辻川慎一つくば便り
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師走に思う思いやり運転。
師走は何かと忙しいのは、公私ともになんでしょうか?
私の方も、通常の作業の他に作業項目が課せられて慌ただしいのでございますが、さらに本日は朝、夜の間に昼間の送迎の仕事が入っております。
中味としては、そんなに大変な行路ではないのですが、発車から入庫までありますので手間は同じなのでございます。
むしろ、普段と違う所に注意が必要になります。
まあ、他の(大半が年下の)先輩同僚たちは慣れてはいるのですが、それでもやはり面倒がるパターンなんですね。
しかも、忙しい師走だからこそ仕事の依頼も入って来ると言う訳です。
今日は、朝乗務後にエアコンフィルターとエンジンの吸気エアフィルターのホコリを圧縮空気で飛ばす作業をやりました。
電車の検修庫にはかなり高圧の圧縮空気のパイプが通っておりますが、こちらでは電動のコンプレッサーで行います。
コンプレッサーのスイッチさえ分かれば、慣れた作業でもあります。
一番大変なのは、以外にもエアコンフィルターを外すために天上のビスを外し、再び戻す事なんですね。
電車の時はチームでしたので、一人では無く必ずと言って良いほど手が伸びて来ました。手を貸す、あるいは一緒にやるのが当たり前でした。
何事も一人でやると言うのは大変なんですね。大体、上を向きながら長いビスを扱っているだけで、腕やクビが疲れてしまいます。
何事も必要な作業に至るまでと後始末の方が手間がかかるのでございます。
と言う次第で今週2回目、妻にお弁当を作って頂きました。私が何とか頑張れている源なんですね。
そんなこんなで、私自身も焦ると余裕が無くなる事を再発見しながなんですが、昨晩も交通事故を脇目に見ながらバスを運転しておりました。
進路変更の必要があるか等を、赤色灯の点滅が見えた段階から予測し始めます。とにかく安全にかつスムーズに。運転士としての技量は困難な時にこそ問われるのだと思っています。
2台の車の衝突事故でした。三車線を無理に曲がろうとした車と構わずスピードを落とさずに直進して来た車。譲らない同士の衝突だろうなと思います。
かなり壊れておりました。
譲るのは悔しい。損する。私は急いでいるんだ。とはお互いなんでしょうね。
それでぶつかれば、結局両方とも損しますよね?忙しい師走がますます忙しくなる訳です。
譲るって事を上からやる様な感じの人もおりますが、お互いに守り合う、協力し合うから「お互い様」の様に思うのです。
余裕が無い時にこそ、譲れるのが譲ると言う事の気持ち良さの様に思います。
日常の中で、私たちはいつも非常時になった時が試されている様に思います。
そう考えると私自身は、やっぱりまだまだだと思います。
米沢藩を立て直した上杉鷹山の師であった細井平洲と言う農民出身の学者のが送った言葉に「勇なるかな勇なるかな、勇にあらずして何をもって行なわんや」と言うありました。要は「何をやるにしてもまず勇気が必要である」と言う意味なんですね。そして「先施の心」すなわち「自分のして欲しいことを先に他人に対してすべきである」という教えも遺しているそうです。
あ〜、何をやるにしてもとは日常のささいな事でさえ勇気をもってやるって事なんですね。
譲るのにも勇気が必要。うん、確かに。しかも、自分がしてもらえたら嬉しい事について勇気をもって他の人にやると言う訳です。
うーすると、自分がしてもらって嬉しい事がちゃんと分からないと他の人にできないと言う事になります。
嬉しいと感じられる事が、勇気を持った思いやりの前提になる訳です。
嬉しい感じ!を大事にしながら、午後の長丁場も頑張りま〜す。
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2024/12/13 12:11
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自分に負けそうになりながら。
早くも12月の半ばに入ろうとしていますね。会社では、新年を迎えるためにバスの通常点検や清掃の他に、エアフィルターの気吹きや油類の補充、さらにヘッドレストカバーとカーテンの洗濯などが指示されております。
私も基本の担当バスがありますので、先ずはカバーとカーテンの洗濯からやる事にしました。
使える洗濯機2台をみなさんで使うので、空いている時に気を使いながらやります。
私の朝の帰庫は、約1時間ほど早いので1時間勝負。ヘッドカバーとカーテンの半分10枚から洗い出したのですが、「全部行けそうだ」と欲が出て、全て外して洗いました。
化繊で薄いものなので、乾燥は取り付けて自然乾燥。夜便までには乾くと言う段取りでございます。
ヘッドカバーは難なく付けられたのですが、何せ古いタイプのバスで、窓の大きさ(長さ)が一様でない事に戻す段になって気が付きました。
カーテンレールが狭いところに隠れていますので苦労しながら引っ掛けて、あれやこれや組み合わせながら、違うと付けては外し…悪戦苦闘しながらようやく出来た!と思ったら、一枚余っているのを発見。そんな〜と焦る。
そのうちにどんどん帰庫して来ますので、自分の担当バスの定位置に戻さないと邪魔になってしまう。
気持ちばかりが焦る。仕方がないので、一旦終わりにして夕方再挑戦する事にしました。
何ともスッキリしない気持ちで、休憩時間に入りました。
あ~あ。カーテンを外す前に長さの違いくらい良く見ておくべきだった。
相変わらず気持ちばかり焦って、仕事が雑になり余計な手間がかかってしまう。
そんな時には、必ず思い出す人がおります。
私に電車の検修の仕事の厳しさを教えてくれた後輩です。同時に、人に教えると言う事の人としての姿勢を学んだ人でもあります。
あ~またかよ。顔向け出来ないなと事ある度に思い浮かべます。
(気分転換もあり11時前に開いているラーメン屋さんで、チェーン店でないお店を探し、妻と行って見ました。若松町の「良温」ラーオンと言うお店です。太い麺がツルツルシコシコでございました。スペシャルもつ丼も確かにスペシャルでした。)
一時帰宅がすっかり遅れて、図書館に本を返しに行きました。
妻に返却を頼んで駐車場におりましたら「すみません。」「すみません。」と言う声がしました。
私?と思って見ましたら、何とその後輩が立っているではありませんか!
え~っ。本当に出てきてしまった〜。って感じでした。
なんという巡り合わせなんでしょうか。
「偶然は、偶然じゃないから。」と言う妻。
そうですね。
私が会いたかったのかも知れません。
そして、励ましてもらえた様に思います。
(こんな濃い感じのお店でございました。)
さて、もう一度カーテンと格闘して気を引き締めて夜の乗務に向かいます。
みなさんも多少の失敗は糧にしながら、ご無事で頑張って下さい。
まあ、私みたいにそそっかしい高齢者は珍しいかも知れませんが、そんな自分に負けないぞ〜!
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2024/12/12 15:54
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お互いに心の支えになりたい。
昨日から私が働く会社では、つくば(研究学園駅からバスタ新宿を結ぶ高速バスの営業がはじまりました。
観光バスを運転してきたベテランの運転士が担当しております。
何せはじめての運行ですので、現実には様々な課題が出てくるのですが、何より運転する人がいて成り立ちます。グチをこぼしながらも、対応する運転士さんたちをやはり尊敬の目で見てしまいます。数々の「修羅場」をくぐり抜けて来た経験の凄さを感じます。
第1便には、記念乗車してツイッターに上げている人がいたとの事でした。いるんですね。「快適!気持ち良い。」とのコメントだった様です。
まだ知られておりませんが、市内の人に紹介しましたら「それは便利だ。使える。」と言っておりました。つくばからバスタ新宿まで大人1300円との事です。
(私の方は、本日は小学校の送迎バスです。お弁当を公園で頂きました。
)
つくばで運転士をするようになって、道路も全く分からなかったのですが、ずいぶんと分かる様になって来ました。
住んだ事も無い街で、運転士をすると言うのですから無謀と言えば無謀だったのかも知れません。
転職と言うのは環境の激変が伴うのですが、知らない街への転居もしましたので平気なつもりで、実は大変なストレスがあったのかも知れません。
「辻川さんならできる」みたいな見えない期待に応えなければ。そんな感じで、ミスの連発に自分が追い詰められてしまいました。
人の要望に応える自分が好きで、雑なくせに完璧主義。雑なのですからミスをする。ミスをすると落ちこんで引きずる。それが、さらにミスを呼ぶ。
見た目では分からない、完全にマイナス思考の私だった訳です。
でも環境の激変で大変だったのは、私だけではありませんでした。
そんな私を信じて、東京から来てくれた妻はどうであったのか?
自分の大変さへの対応で、もっと大事な事に思いが至らなかった。
そんな風に反省をしております。
反省する事で、私だけでなく転職で苦闘している人たちの事も思える様になって来ました。
何ができる訳ではありませんが「私もそうでした。大丈夫、焦らないで下さい。技術の前に危険が分かる事の方が大事だと思います。」
相手の前職を聞きながら、まるではじめての人で悩んでいる感じなら、そんな感じで励ます様にしております。
それからある人は、出会うと笑顔で深々と頭を下げてくれる様になりました。内心は、大変だったのだと思います。
ちょっとくらいは、心の支えになれたのかも知れない。なんて思ったりします。
とにかく無事に、充実して働けるのがお互いに一番の土台だと思いますので。
昨日は、いつも100点でトリプルA評価のドラレコの採点が97.5点。良く見ると「急発進」が1回とありました。トリプルAではあるのですが、落ち込む私がいました。
またです。上手くもないくせに完璧主義で、ちょっとのミスを引きずる。
まだまだ伸びしろがある。増長は戒めて急発進にも注意だなって、成長の課題にすれば良いだけなんですよね。
高齢者の嘱託運転士には、無事故安全手当も、ボーナス査定も関係ないのですよ。と言いながら、点数は気になっている訳です。
自分を本当に評価できるのは、他者でなく自分なのに。人の評価は変わるのですし、機械に全ての危険が判別できる訳ではありません。
危険と感じ、それに対処するのは誰でもなく自分な訳です。
これではダメだ。ではどうするか?
ダメだと思わない事が、処置無しなんですね。
自分へのダメ出しは、前を向き、人と向き合うための積極的な自分への働きかけの様に思います。
いてくれるだけで安心する。
そんな先輩への道を少しずつ歩んでいるのかも知れません。
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2024/12/11 13:32
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働き方改革ってな〜んだ?
かつてない少子高齢化の難題にぶつかっております。
「先進国特有」の問題の様に語られますが、経済成長して困らなくなると、次の世代や子どもたちの事より自分の事ばかりになってしまうからじゃないかな?なんて思ったりします。
全てはお金次第と言う訳です。
金になるどころか、子育てには大変な時間と労力、そしてお金がかかるので自分のために使った方が良いと言う事になる様に思います。
ところが、お金と言うのは、誰かが働いた結果を買える限りで有効な訳です。働く人がいなくなれば、何の役にも立たない。買えるものが無くなってしまうのですね。
社会全体で誰かが働いてくれている限りで、お金と言うのは通用している。
なので、これから働く人が激減していると言う事が本当に深刻な問題なんですね。
「働き方改革」で、働き安い労働環境にして、物流の根幹であるのに過酷な運輸業にシフトチェンジする人を増やすと言うのです。しかし、少子化で働く人自体が激減しているのですから根本的対策にはならないと思います。
(ツタの紅葉もなかなか良い感じがします。)
衆議院選挙投票日とつくば市議会議員選挙が重なっておりました。
さすがにつくば市。多彩な候補者がたくさんいて、何がどう違うのか良く分からない。
バスを運転していると、ゴミを拾いながら歩いている女性がおりました。
選挙期間になりましたら、タスキをかけて拾っていたので、あ〜候補者なんだと分かった訳です。
それにしても、ゴミ拾いが選挙運動で当選できるのかな?とちょっと気になっておりました。
結果はぶっちぎりに近い支持を得ての当選。子育てしやすい街つくりのために、徹底調査し、ヒヤリングもして具体的な改革、政策実現を果たして来たと言う事で名の通っている議員でございました。
つくば市は、古い保守的な住民層と新住民が住んでいるのですが、現状を足元から変えてこれからの街つくりに挑戦している人がいて、相当な支持があるんだなと感心致しました。
(こちらは、都市部のビルに貼り付いたツタです。風の流れなのか、ちょっと自然のアートです。)
話しは戻ります。
「働き方改革」と言うのを政府が経営者に義務化して、問題の根本解決にはならない。土台「働き方」を考えて選択するのは、働く人の方のはずです。
まあ「働かせ方改革」だと反感を買いそうだからのネーミングだとは思いますが、働く方も政府や経営任せにしてグチを言っているだけでなく良く考えなければならないと思います。
自分たちの本当の幸せと次世代の幸せとは何だろう?と言う事をですね。
自分が幸せでない人は、子どもを育てる事もしないのですから。
以前大手私鉄バス会社の路線バスで働いていて、給料が下がっても今の会社に転職した人に「どうしてですか?」と聞いた事があります。
「朝5時から働いて、夜の10時。人がいないからやるしかない。40万円くらいになったけど、何人も死んだよ。やってられないと思って辞めたんだ。」と話してくれました。
「一体何のために働くのでしょうね?」とつぶやいてしまいました。
金を稼ぐのは何のため?
何か目標があるのならまだしも、コンビニ弁当を食べながらお金を稼ぐのは何のために?
幸せでない人が運転するバス?
後ろから煽って来たバスのドライバーを思い出してしまいました。
幸せはお金?幸せよりお金ですか?
そうやって稼いだお金で、自分が心から必要だとか、幸せを感じるだとかの選択をしてお金を使っているのかな?
なんて、考えてしまいました。
私なんか、よ〜く考えるとそんなに欲しいものがある訳でもなく。何となく買って来たものが大半です。すると、大事にもしないんですね。
買っても忘れてしまうのですから。
病気になったり、死んでしまったり、
何のために働いているの?
働き方改革は、生き方改革そのものの様に思いはじめております。
働く事で、私たちは価値を生み出しています。では、その価値とは?人々が幸せを感じた時に価値になるのです。
そうでないものに価値は無いのですね。価値ある労働と言うのは、人を幸せにできる時に意味を持つ訳です。
うー、すると家でもいろんな事をしているのですが、家族に幸せを感じてもらえない労働であれば、私のその労働にも価値は無いって事になります。
つまり、自己満足。
やはり「働き方改革」が必要な様でございます。
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2024/12/10 16:34
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何のために働くのか
バス乗務のために3時起きして、22時就寝の毎日。昼寝をしないととても持たない67才の運転士でございます。
総務担当の雑務から、運転士に復帰する事で若干ながら年収が増えました。とは言え、JR時代の約三分の一。ボーナス無しが一番大きな要因です。
中小企業の高齢嘱託運転士の現状でございます。年金があるじゃないか?と言われそうですが、それでJR時代のようやく半分程度。しかも年金からも税金が容赦なく引かれます。
働けど、働けどと言うのを実感します。
とは言え、社会の一員として前線で役に立てると言う喜びはあります。「高齢」であっても現役であるのですから。
(何気に、牛久の大仏様もこの世ではがんじがらめの様に見えたりします。)
JR常磐線はよく遅れます。列車が遅れると配車も混乱する。そんな中、暗い構内で、遅れを少しでも減らしたいと急いでいたJRの後輩が、転倒してケガをしたとの連絡がありました。
幸い大事にはならなかったのですが、「ケガをしてしまった私が言うのもなんですが、辻川さんも気をつけてて下さい。」と言われました。
「私もずーっと運転席に座って運転して足がしびれ、バスのステップを踏み外した事がある。他人事なんて思ってないよ。お互いに気を付けないとね。」
とそんなやり取りをしました。
そんな矢先、今朝は降車の際に工場の労働者がステップを踏み外して転倒してしまいました。他の人が緩衝材になったのか「大丈夫ですか?」と声をかけると「大丈夫です。」と言うので一安心した次第です。
高齢でなくても、慌てたりして良く見ないと危ないのは同じなんですね。身体の柔軟性は違うかと思いますが、自分は絶対大丈夫、なんて事はないのです。
(今朝は、氷点下2℃。寒さに震えながらの出庫でした。厳しさに耐えると言うのは、より深い脳の快感のためじゃないかな?なんて思ったりします。)
ベテランがベテランとして重要なのは、成功した自慢話ではなくたくさんの失敗の経験から学んでいる事だと思います。成功よりも失敗から学んで来た人こそ、ベテランの先輩と言えるかも知れません。
昔だと「長老」として、みんなの相談を受けたり、アドバイスをして尊敬されていた人がおりました。
自慢話は、人のための何の役にも立たないので嫌がられるだけなのは、今も昔も変わらない様に思います。
かく言う私も、仕事も、人生も失敗だらけで痛い思いをたくさんして来たのですが、失敗から本当に学んでいるのか?が問われている様に思います。
同じ失敗をするのは、愚の骨頂な訳です。
真のベテランから、信頼と尊敬を受ける長老になっていけるのかどうかは、運転だけでなく人生そのものから厳しく学ぶと言う姿勢が不可欠なんですね。
ギャンブル依存症と言うのは、成功体験の快感を脳が記憶していて、どんなに失敗しても同じ事を繰り返してしまうと言われます。
痛苦な失敗を見据え、考えると言うのは実は難しい事なのかも知れません。
なので、強い意志が無いとできない様に思います。それは、脳の意識的働きになる。
人からの信頼と言う、より深い快感のために失敗を失敗として見据え切る。そして、教訓として生きる。
私も税金を取られてばかりでは悔しいので、より深い快感を求めて生き抜きたいと思います。
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2024/12/09 15:45
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