辻川慎一つくば便り
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虚しさと向き合いながら
昨日朝、そのまま出勤する後輩に朝食とランチのおかずを作り、無事に送り出して後片付けをした。
一息ついて、雨が降る日曜日に一人。
廃線跡を見たからか、何とも言えない虚しい気持ちに襲われる私がいた。
「辻川さんは、俺たちと違ってひなたを歩いて来たじゃないですか。」と言った昔の仲間の言葉を思い出す。
「ひなた」で、色んな人に持ち上げられていましたが、何だか孤独だった。時間はどんどん埋まって、それこそ馬車馬の様に動いていた。
一生懸命にやり続けて、結局一人。
でも、「ひなた」の孤独と違って、今は虚しく感じる自分と静かに向き合う時間がある。
(後輩が寄って欲しいと言うので最後に寄った霞ヶ浦湖畔の道の駅)
「虚しくて、不安な時は、自分と向き合う時が来たということです。虚しくて、不安な時は、自分と向き合い、変わっていく絶好のチャンスの時でもあるのです。もし、あなたが、虚しさに悩んでいたら、思い切って自分と向き合い、自分の心の声を聞いて下さい。」
そんな事を言っている人もいる。
そう、自分と向き合う事、自分の心の声に耳を澄ます事もずっと置き去りにして来たなと思う。
何かやる事で、心の虚しさを埋めてしまわない事も大切なのかも知れない。
何事も、埋めない空間と時間があってこそ落ち着くのと同じじゃないか。
そんな事を思ったりする。
(ランタナの鉢植え。枝が詰まっていない空間感が良いと感じる。)
週明けの今日は、大型バスの運転。
朝乗務を終えて、バスの掃除をしていたら隣の大型バス担当の青年が「バスの側面にかなりの傷がついている。誰だ?」と騒ぎになった。
私も先週運転したので「まさか私が」と思いながら振り返る。その後二人運転しているので、私なら運転した翌日には見つかったはずだとか、色々と考えてしまう。
今はドライブレコーダーを見れば分かるので、ジタバタしてもしょうが無い。
それだけ大きいものを運転しているので、誰にでもありうると言うのが現実。
要は、大型バスで急いではならないし、決して無理をしてはならない。
緩急をつけて、危ないところは良く確認できるようにゆっくり運転する事。
そんなメリハリの大事さが、だんだんと分かって来た。
(福来ミカン。初収穫の日が近い。)
スピード感を持って改革する、馬車馬の様に働く。…掛け声は良いが圧倒的な高齢社会が来ている現実がある。
大事なのは、どうしたら心を合わせてかつて無い時代をみんなで生き抜いていけるのか?
腹黒く心を合わせた事の無い人たちには、できないだろうなと私は思う。表面は対立している様で、裏で手を握っている。
それでも何とかなった時代の終わりじゃないの?
虚さを感じている高齢者は、私だけではないと思う。虚しさと向き合う時間の中で、そんな事を考えている。
昔の家族は三世代同居だった。今は、社会全体が三世代で生きている。社会全体で、お互いを尊重して生き抜く時代が来ている様に思う。
私の子ども世代のJRの後輩と濃密に行動を共にしながら、しみじみ思った事でもある。
https://youtu.be/65RH5Hwwe7Q?si=o7wHCu-kI2LAczQn
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2025/10/27 12:52
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廃線めぐりの歌
JRの後輩と、18年前に廃止された鹿島鉄道跡を巡って来ました。
それは、そこで働いていた人、乗っていた人、残そうとした人たちの思いをたどる秋の旅でもありました。
まず始発だった石岡駅の車両基地跡を見る。私が電車運転士だった頃に見た光景がよみがえる。
そして、一つ目の南台駅に。
今は、茨城空港行きのバス専用道路の乗降所になっていました。使われなくなった跨線橋があり、真っ赤なサルビアが咲いておりました。
バス専用道路が終わった先は、そのまま荒れ放題。18年の歳月を感じます。
線路跡脇にあるラーメン店に入って見ました。
ラーメン店には見えないオシャレさ。
店内に入るとギターのあるステージ。お聞きしたら、音楽好きの店主さんがライブ演奏をする時があると言う。
廃線脇のステキなお店でした。
おすすめを聞いて、醤油ラーメンにする。時間をかけてちゃんと作られた熱々のラーメンでした。
廃線脇に新しい息吹がある事にほっとして、落ち着く時間を過ごす。
私たちの旅は続く。
線路跡の狭い道をたどりながら、後輩が道床のバラストを見つける。
マルバルコウソウが咲いていました。
後輩は、「働いていた人達はどうなったのだろう」と言いながら、バラストの石を思い出に持ち帰る。
「かつては、大きな駅に見えた」と後輩が言う「常陸小川駅跡」はバスターミナルになっいた。大正時代に鹿島神宮参拝客を運ぶために作られた時には、「鹿島参宮鉄道」と言われていた。その名がまだ残っているのを見つけた。
後輩が廃線前に乗車して、駅前にある洋菓子店に思い出があると言うので入って見た。
とても感じの良い応対なので、後輩が勧めるバナナクレープとブランデーケーキを買って見た。
映画のロケにも使われたと言う「小川高校下駅」跡も荒れ放題でした。
存続を求めて活動した高校生たちの「鹿島鉄道未来に走る!」と言うスローガンが消えかかりながらも、残っていた。
「彼女たちの母校まで廃止になってしまった。今はどうしてるのだろうか?」と後輩がつぶやく。
「共通の目的を持って、一緒に活動した記憶は一生消えない愉しい思い出になっていると思うよ。」と私。
「あ〜共同性ってやつですね。」と後輩。
「背高泡立ち草」の花が咲いておりました。
成長が早いクスノキが大きくなり、「駅跡が壊れてしまう。失敗した!ノコギリを持ってくれば良かった。」と言う後輩。
笑いながら、クスノキの葉も紅葉するのか?と鮮やかさに魅入ってしまう私。
「廃校になった高校も見て行こう」と探す。後輩が小川南病院で聞いたが分からない。
さらに進むと病院の老人施設脇に、車両が見えた。何と言う幸運だろうか。
説明を見ると何とわが生まれ故郷の富山にあった加越能鉄道から鹿島鉄道に来た車両とあるので感慨深い。
私たちを見かけたデイサービスの職員さんが「中も見ますか?」と雨の中、声をかけてくれた。
「見れるのですか!」と喜ぶ私たち。
やはり運転席が気になる私。
たくさんの人の思いを乗せて運んだ客席。
保存してくれた病院長に感謝しながら、次の目的地に向かいました。
鉄橋跡も見て
最後は、終点の鉾田駅跡。
無惨に崩れているホーム跡、しかし、トキワサンザシの実がとても美しかった。
何と後輩は、ここでプロポーズをしたと言う。
廃線になっても、多くの人の思い出があり、記憶の中に残っている。
墓はどこに行った?花におおわれてしまった。と言う歌詞を思い出した。
帰宅して、私の手料理を肴に、後輩からのお土産の焼酎を美味しく酌み交わし「今日は楽しかったよ。」と話す。
そして、常陸小川駅跡の洋菓子店「ナガイ」のバナナクレープを食べてみた。
信じられないくらい優しい味がした。作る人の人柄そのものなんだと深く感動する。
若い時分には、心の不安定さを感じた後輩もしっかりと気配りをするお父さんになっていた。
「人の世界はみんな違う。自分の正しさを人に強いるのでなく、受け入れる事で人も受け入れてくれる様になる。『正しい事』に振り回されるのでなく、自分自身の心から感じる事を大切にした方が良いと思う。」
改めて年を聞いて息子世代だと分かり、息子の一人を亡くした父親としての言葉を、最後に伝えさせて頂きました。
廃線めぐりの旅も、人の心を思いながらの自分自身の心の旅だった。深く愉しい一日になりました。
https://youtu.be/nKeLpc01rz4?si=Yc7ckiSONMgbMv9F
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2025/10/26 09:35
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内向的性格
今日も雨模様で肌寒いですね。
そんな中、廃線跡が見たいと言うJRの後輩が遠方から訪ねて来ます。私の方は、彼の方が詳しいしガイドにはならないので、運転手って事になりそうです。
大型、中型、マイクロバスと日替わり運転で、昨日帰宅したらさすがにヘトヘトでございました。
それでも4時半には起きて、コーヒーを淹れ、朝ごはんを作り、洗濯、掃除、それから寝具の準備をしたり結構忙しい朝でございました。
それでも、作り置いた高菜炒め、ぬか漬けとニラ、ひき肉入り玉子焼、カブのお味噌汁を美味しく味わいました。
改善点を思案しながら、香りと味は楽しみました。
忙しさばかりに気を取られる時間のもったいなさを思いながら。
洗い物をしながらガステーブルの汚れが気になり、綺麗にしだすと、時間がないのに集中してしまう私がおります。
最近お気に入りのスペアミントティー。熊本産のレモンを入れて見ましたら、合うんですね。酸っぱいはずのレモンの甘みを感じました。
どうも私は、一人で考えたり集中する事が好き見たいです。
一体何なのだろうって思ったりします。
同僚との話しで「あの人は人見知りなんです」と言う話しを聞いて、人見知りってどう言う人か調べて見ましたら、こんな解説に出会いました。
内向的とは、興味や関心が自分の内面に向かいやすい性格のことです。これは、外界の出来事よりも自分の内面での思考や感情を重視する傾向を指し、静かな環境で集中したり、一対一での深い人間関係を好んだりする特徴があります。外向的とは対義的な概念で、一般的に内気やシャイと混同されがちですが、必ずしも「人見知り」であるとは限りません。
なるほど〜、確かに子どもの頃から一人で考えたり、集中する時間が好きだった。
自分の好きとは違う事をやり続けた人生だった訳です。
合うわけが無かった。
今が一番自分らしい生活なのですね。
それでは、後輩を迎えに向かいます。
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2025/10/25 08:24
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まな板の音
何だか一気に寒くなりました。植物たちはめっきり水を吸わなくなりました。暑い夏は、毎日水やりをしていたのですが。今は余分な水を吸わない事で、花が長持ちしている感じがします。
いずれ枯れる花であろうと、変化に構えて、きっと少しでも種を多く残そうとしているのですね。
私も、そんな姿に学んでちゃんと構えなければと思います。
若い勢いで、あまりにもたくさん語り、動いて生き急いだ事をしっかり反省して。生き急いだ人たちの早すぎる死も、何人も見て来たのですから。
(今日は、高菜一束を120円で売っておりましたので、高菜炒めを作って見ました。あまり成功とは言えませんが、特有の香りと苦味は楽しめました。)
昨日は、大型バスの運転でした。昼間の研修では良い評価を頂いたのですが、夜走るのは全く別物である事を思い知らされております。
それでなくても目が見えなくなっているのに、暗い道を大きなバスで走るのはとても怖いのです。
私よりも若い年配運転士さんたちには「夜走るなんて絶対嫌だ。」と言う人が多いと言う理由が分かります。
ともあれ、やらせて欲しいと言ったのですからダメだと言われるまでやり切るしか無いのでございます。
でも、これまでだってやった事の無い運転が始まった時には、目が痛んだり、背中が張って痛んだり…それを何とかしながらやって来たのです。
そうやって、身体と心に刻み込みながらやって来ました。そうしなければ、本当には身につかないのだと言う事を学んで来ました。
不安に駆られたり、悩んだり、痛みに耐えたり、しかし、投げ出さない。ごまかさないで見据える。
そんな過程だったと思い返します。なので困難はあるけれど、何とかするしか無いと思っています。
大型バスの運転に関わる小さな接触事故が続いていると、会社からの事例と対策方についての文書が回覧されました。
大変なのは私だけでは無いのです。自分でやって見なければ、リアルには受け止められなかったと思います
どの人も懸命にやっているし、私よりも腕が良い人たちでも大変な訳です。
私が、その様な人たちと同じにやろうとする事自体が無理なんだと悩みながらはたと気が付きました。
答えは、簡単に言えば大型バスは、危険な箇所ほど悠然とゆっくり運転する事。急がない事。つまりやっぱり心の持ち方にあるんじゃないか。
昨晩走りながら思った事であります。格好をつけようなんて、邪な気に捕らわれるところに落とし穴がある。
そんな事が閃きました。
今日は中型バス担当ですので、また来週再チャレンジですね。
(洗い物をしてくれた友人の奥さんに「綺麗な台所ですね」と褒めて頂いたのを思い出します。)
四国の檜のまな板で野菜を切りますと、檜の香りだけでなくコンコンコンコンと良い音がします。
小学生の頃、なかなか起きられず布団の中にいると母が朝食の支度をする音が聞こえました。リズミカルにコンコンと野菜を切る音が聞こえたよな〜って、思い出しました。薪で炊いたお釜のご飯のおこげの良い匂いと共に、思い出しました。
あ〜、だから俺は、ちゃんとしたまな板が欲しかったんだって気付いた訳です。
記憶って、香りや音や色や道具にまで宿っているんだ。
そんな事を改めて発見致しました。
香りを感じるのは、美味しさを感じる大切な要素なんですね。
当たり前の事かも知れませんが、今改めて感じております。
味わう事は、食べる前に良く見て、香りを嗅ぐ事から。そうして記憶と身体になって行く。
何事でも同じかも知れません。
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2025/10/24 12:43
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花はどこに行った
今日は、大型バスの担当です。気が抜けない運転なのに、疲れが来ているのか注意力が鈍り抜ける事が多い。だから余計に丁寧にやらなければならないと、自分に言い聞かせながら向き合っております。
だからと言って、何が残る訳でもありません。「明日世界が終わってもりんごの木を植え続ける。」と言う言葉もありますが、生活するためには働かなければならないと言うリアルな現実もあります。
妻と別れてから半年。庭にたくさんの花を植えて、眺め続けて来ました。
春の花と違って、夏の花には花期がとても長いものが多いと言う事を初めて知りました。
花は、虫たちに来てもらうと言う事だけで百花繚乱に咲いている訳では無いと思います。
いずれ終わる事など関係なく、美しく咲いている。
人もまた同じかも知れない。なんて思ったりします。
残せるかどうかに関係なく、生きる事自体、懸命に花を咲かせる事自体が生きている事ではないか。
残そうとしても、実は何も残らない。残す事ではなく、自分の人生を受け入れながら、それでも生き抜く事だよ。
そんなメッセージを感じて来ました。
そうしますと、百花繚乱の人たちも愛おしく感じて来ます。
全く高価なものではありませんが、まな板も新調しました。
四国の「四万十ヒノキ」製のまな板です。包装を解くと、とても良い香りがしました。
それだけで幸せな感じになります。
作っている人たちの、木への思いを感じるまな板でした。
一人用なので、小さめで可愛いまな板です。
それから、タラのフライの出来の良さに自分で感動したので、揚げ物用の鍋も買いました。ホーロー製のミルクパンで揚げておりましたので。
こちらも小さなパール金属製の鍋です。
一人暮らしというのは、お金がかからないとしみじみ思います。
こう言う事が、私の楽しみであり贅沢であり、やりたかった事ですから。
ずっと懸命に働いて来て65才になった方が心労で調子が悪いと言うので心配しておりました。
「精一杯頑張って来たのですから、自分のやりたい事を大事にして下さい。脳卒中にでもなったら大変ですよ。」と話しましたら「自分がくつろいだり、楽しんだりする事が無いのですよ。辻川さんはあるのですか?」と聞かれて、料理したり、弾き語りや花を植えて愉しむ事とは言えなくて「何もありませんよ。」なんて言ってしまいました。そう言う事とは無縁な生き方をして来た事を知っておりますので。
それでも、出口が見えない様な問題を抱えているお話しを聞いて、一緒に考えておりましたら「いつも愚痴を聞いてもらってすみません。」と缶コーヒーを買ってくれました。
誰しもに、苦しい事や悩む事があります。虚しくなる事も。
そう、私自身が哀しみや虚しさと向き合っているから、心が通じるのかなと思います。
かつてベトナム戦争への反戦歌として歌われた「花はどこへ行った」。虚しさは、今も変わらない様に感じます。みんな何かと闘っているから。
https://youtu.be/jtxtvrMNt0s?si=F_fbGBO4bebJvxaQ
「花はどこへ行った」「少女が摘んだ」「少女はどこへ行った」「男の下へ嫁に行った」「男はどこへ行った」「兵隊として戦場へ」「兵隊はどこへ行った」「死んで墓へ」「墓はどこへ行った」「花で覆われた」
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2025/10/23 14:17
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