辻川慎一つくば便り
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回る回るよ因果は回る。
日々色々ありながら、金曜日の週末を迎えました。大型バスの運転で緊張したのか、腰や目が痛み出しました。泣き言を言っても、誰かが解決してくれる訳でもありません。
痛むのは筋肉が血行不良になっているから。身体を温めながら大きく腰のストレッチ。目の回りを触れると分かるのですが、特に目の下の筋肉が痛むのです。なので、丁寧にマッサージをして血の回りを良くする。
それで何とか耐えられる様になる事を、運転しながら学んで来ました。食事と運動は、栄養とそれを全身に巡らせるための土台と言う事になります。
昨日の休憩時間に、自然食品の店に寄りましたら「菊芋」がございました。なかなか売って無いので、私も食べた事がありませんでした。
試しに食べて見る事にしました。
まずは時間が無いので、スライスしてキャベツとキュウリ、ツナと一緒にサラダにして食べて見ました。特にクセはなく、シャキシャキとした食感が良い。
熱を加えて調理するとホクホクの食感に変わるそうです。
自然のインスリンと言われ血糖値を下げる働きをするのですね。
なかなか良い、珍しい食べ物に出会いました。
茨城の農作物の豊かさは、農家の方々の豊かさだとしみじみ思います。しかも安いのですから。
自分のして来た事、している事は自分に返って来る。因果は回り、巡る。実は、日々そうなのだと思います。その積み重ねもまた因果として回って来る。
そう言う事なのかなと思います。なので、速攻で効果があるなんてのは、後でまとめて跳ね返って来るだけの様に思います。
良いんです報われ無くても。人と比較して、人の成功を羨む必要もありません。
自分の心が愉しいのか?身体が気持ち良く感じているのか?
そちらの方が大切だと思います。そこでこそ因果が回っているのですから。
今朝の出庫前、朝焼けが美しかった。「さあもうひと頑張り!」疲れた心と身体に沁みる眺めてございました。
あまり枝葉末節に囚われていると大事な事を見失うよ。そんな事を自分に言い聞かせながら。
社会がどんどん複雑化して、簡単には割り切れなくなって来ました。そうすると錯綜する枝葉のところばかり気になる。枝葉の比較であれやこれやとぶつかる。そうして、せっかく生まれて生きているのに、つまらない事に時間も心も囚われてしまう。
周りの人を無視するなんて事でなく、存在を深く尊重しながらも、大きく遠くを見る事が大事なのだと思う。
今成功を謳歌して、傲慢になればそのツケは因果として回って来るのですから。
私自身が経験した事、見て来た事、そして今見ている事。全てそうです。
成功はかりそめ、失敗してもくじけず努力する事の中に人としての普遍の力があると思います。
体幹、すなわちしっかりした幹なくして豊かな枝葉にはならない。また、豊かな枝葉無くして体幹も太くはならない。
人も社会も同じだと思います。
枝葉の働く人がいなければ成り立たないのが会社はもちろん社会。それが分からず傲慢になれば、大した嵐でなくても木は倒れる。幹も根っこもなければ、枝葉も実も実らない。
当たり前の事が、分からなくなってしまうのも人間なんですね。
だから私は、手を使う。人の手の凄さを自分で見ながらものを作り、料理を作り、楽器を演奏し、字も書く。どんだけ凄いんだろうって思います。
そして、体幹が痛んだらストレッチしたりマッサージもできる。
お互いに感謝すべきだよな〜って、私の脳は感じて考える。
当たり前の事なんだろうか?それを無視すれば、悪い報いが来る。
そんな当たり前の事に気付いている人は、どれだけいるのかな〜。
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2025/10/31 12:08
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迎え送る人
週明け3日間のうち2日間、慣れない大型バスの夜間運転だった。とにかく運転しながら、危険を感じる事で自分の課題にして行く。現実には色んな場面があるから。なので、その時無事でもこれからも大丈夫と言う事は無いと自分を戒める。
私が先週運転した別ルートの大型バスに「接触跡」が見つかり、ドライブレコーダーで調査された。幸い私では無かっので胸を撫で下ろした。
誰であってもおかしくない。大した収入でもないのに、そう言う代物を扱って毎日人を乗せて運んでいる。それがバス運転士である。
有り難くも今日は、マイクロバスの運転。走り方が違うので、何だか調子がでない。あ〜、かなり疲れているんだ。注意しなければマイクロバスだってぶつかる。
朝の乗務を終えて、かなり疲れている事を感じて余計な事をせずに休まなければと思う。
そんな時に植えた花たちを見ると心が和む。
咲いたハマギクにキタテハ蝶が止まり、蜜を吸いながら羽を閉じたり開いたりしていた。喜びの表現なんだろうか?
朝はずいぶんと寒くなった。短くなって来た昼間の暖かな陽射しを浴びながら静かな時を共にする。
(ノゲイトウの花期も長い。間もなく11月なに、あの暑い日々から咲き続けている事に驚く。)
私が夕方出庫する時間は、大半の方が帰宅する時間になる。帰る方々に手を上げながらゆっくりと大型バスを出す。気付いた人は手を上げたり、振ったりしてくれる。
そうして送られると何やら嬉しい。ところが一人のベテラン運転士が、丁寧にお辞儀をしてくれた事に驚いた。
色んな苦労や辛い事があるのに、とても優しいと感じる人だった。「来年の今頃はいないかも知れない。」なんて言うので「奥さんが悲しみますよ。」と話した事があった。それから、ずっと心配していた。
同僚たちとは冗談ばかり言い合っているけど、人はそればかりでは無いといつも思っている。
私自身がそうだから。
(サルビア・サリーファン。こちらも花期がとても長い。)
毎日人を迎え、人を送りながら思う事。
自分の子どもたちとは「死別」と「生別れ」。両親を送ったら、誰も送ってくれる人がいない私の現実。
しかし、そんな高齢者もたくさんいる。
ところで自分が送られる事に不安を感じながら、人を大切に送ることの大切さが抜け落ちてはいないのか。
生まれた人を迎え、亡くなった人を送ると言うのは生きている人にしかできない事。自分が死んだらできない事。自分が、どうなるかなんて事は死んだら無関係な事になる。
つまり、生きている間にできる事は人を大切に迎え、送る事なのだと思う。
そうして、自分がどうなるかなんて誰にも分からないし、自分は知る由もない。死んでいるのだから。
ちゃんと送れなかった人の悲しみの深さ。いかに盛大に送ろうとも、生前大切に出来なかった人の深い後悔。
それが私の中にある。たぶん私だけでなく多くの人にもある。
不安が無い様な仕事は、大した事が無いとも言う。不安だからこそ意味があるのではないか。
様々な不安の中で、ひたすら迎えと送りをしながら思う事です。
ネアンデルタール人の墓にも花があったと言う。限られた命を知り、心を込めて丁寧に迎え、送るのが人なのだと思う。
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2025/10/30 12:50
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誤解
バスの運転の合間に、空を見たり、木を見たりする。少しでも神経の緊張を解いて、リラックスするために。
夜間ラッシュアワーの渋滞で身動きが付かない時は、ちょっと建物を見たりする。
運転席でちょっとしたストレッチをして身体の緊張を解すのと、心の緊張を解す事は身体と心の余裕を生み出すと感じる。遠くを見るのは、目のストレッチにもなる。
目の前の事に縛られてしまうと、逆に自分が見えなくなると思う。
小学校での待機時間にも、空を見たりします。
息子は、空が綺麗だななんて見れずに逝ってしまったのだろうなといつも思う。
心の飢えがあり、虚しいからこそ少しの事が喜べる。飢えた人には、どんな食べ物でも美味しく感じられるはずなのだから。
飢えを飢えとして分からないのが、心の飢えの難しさの様に思う。
小学校の桜の葉の紅葉を見ていたら、葉にいた虫が手に飛んで来た。ずいぶんと小さくて、丸い可愛い虫だなと思った。幹に返そうとしたら飛んで行った。後で調べたらマルカメムシと言って、かなり酷い匂いを出すらしい。どうも私には出す必要が無かった様だ。
無事に帰庫すると満開のセイタカアワダチソウが綺麗に感じる。
「ブタクサ」で花粉症の原因と言われるが、ブタクサは別の植物で、虫媒花なので花粉を飛ばす必要が無いので全くの誤解。
よく見るとなかなか魅力的な咲き方をしていたりするので、私は嫌いでは無かった。
近頃はススキも盛り返しているので、セイタカアワダチソウでススキが全滅すると言うのも誤解。
何事も思い込みで判断すると誤ってしまう。自分の感覚や心の声は、大事なのだと思う。人には誰しもに心がある事を、自分も含めてあまりにも無視して来たから。
小学校送迎の有難さは、夕方に帰宅できる事。
簡単に食事を作り、本を読みながら軽く晩酌をして早めに休む。大型バスの運転があるので、まとまった睡眠時間が取れるのが有難い。何より神経と目を休める。
1970年代に「宇宙(ユニバース)25」と呼ばれるラットの実験があった。この実験では、食べ物が十分に与えられるなど理想的な環境が与えられたラットの集団が、当初は爆発的に増殖したが、最終的には集団が崩壊し絶滅するという結果になってしまった。
この実験は、物理的に満たされた環境でも、社会的なつながりや目的が失われると、集団や個人の精神的な崩壊が起こり、暴力や育児放棄などが起きて絶滅してしまうことを人間にも示唆していると言う。
人はパンのみに、あるいはお金のみに生きるにあらずと言う訳だ。
しかし、思い込みの誤解の中で遠くを見る事が無くなってしまった様に思う。
頭と心のバランスが大事である様に思う。
今夜も、見えにくい夜の大型バスの運転。
頭も心もフル稼働させながら、バランスを取りながらやって参ります。
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2025/10/29 13:03
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「あの頃は本当に楽しかった。」
夜間大型バスの運転を無事に終え、今日は小学校の送迎バスです。そして、明日もまた大型バスの運転を指定されています。
今日は、一時帰宅するほどの時間が無く、会社の駐車場のすみっコでのランチタイムです。
バッハを聞きながら、一人静かな時間を過ごしています。
朝の出庫前に、動労水戸の木村委員長から組合の新体制の報告と共に、私がJR勝田車両センターにいた頃一緒に働いていた後輩が転勤して来たとの話しがありました。その後輩が「辻川さんと一緒でした。あの頃は本当に楽しかった。」と言っていたと伝えてくれました。
もちろん覚えている青年です。私も25年越しで、鉄道の仕事に復帰して苦労をかけた組合の仲間たちと一緒に働いた日々は感動の日々でもありました。なので、所属組合は違っても、一緒に働いた若者たちも楽しかったのだと思います。
若者たちが所属していた大きな労働組合もあっという間に力を失い、バラバラになってしまいました。そして、人の気持ちもバラバラにされた。
と言うか本当に心を合わせて働き、ハラハラドキドキしながらも楽しく生きていたのは私がいた労働組合の人たちだけだったかも知れません。
私の仲間たちも「辻川さんと一緒で楽しかった。」とよく言ってくれました。
私が復帰してから、50近くになって青春をもう一回やり直した様な感じだったかも知れません。
そう言う特別な時代があって、今がある。
私と一緒に働き、生きた時代を本当に楽しかったといまだに言ってもらえるのは心から嬉しい事です。
過ぎた事は、2度とは戻らない。人の記憶の中で生きるだけなのですから。
(脂が乗ってとても美味しい私の両親から頂いた北海道産の塩鮭で、シャケのり弁にして見ました。)
みんなで心を合わせて一つの事をすると言うのには格別な喜びがあります。そして、目的が困難であればあるほど、喜びも深い。
心が合わないと嫌な印象と記憶になる。それから、合わせている振りをする人も、そっぽを向く人もいる。
色んな人がいる中だからこそ、心が合ったと感じられると本当に楽しかったになるのだと思います。
今の私ですか?そう言う事が2度とは戻らない。全てに終わりがある。誰しもに死が来る。当然私にも。
その事実に向き合いながら、自分が心から愉しいと感じる事を大切にしたい。
そう思っております。だから、自分の雑さ、丁寧にやれていない自分と向き合っている。
丁寧に向き合いたいと言うのは、良く見せようとか格好をつけたいとかではなく、物事や人に対する心の置き方であり、その姿勢である様に思います。
だから、いつも「まだまだだな〜」って自分を反省し続けている。
つまりそれは、生きている事を深く愉しむためにと言う私の心の働きの様に思います。
(さて、何がいるか分かりますか?じ~っと動かずに虫を待っています。)
バスを運転するのも、結局心の姿勢だと分かって来ました。洗濯ものを干すのも、掃除するのも、食事を作るのも、花を世話するのも…全てにおいてなんですね。
楽しかった。失望した。悲しく虚しい。そして、より深く味わい、愉しむ事へ。
そう言う人の心の流れなのかなと思います。
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2025/10/28 11:40
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虚しさと向き合いながら
昨日朝、そのまま出勤する後輩に朝食とランチのおかずを作り、無事に送り出して後片付けをした。
一息ついて、雨が降る日曜日に一人。
廃線跡を見たからか、何とも言えない虚しい気持ちに襲われる私がいた。
「辻川さんは、俺たちと違ってひなたを歩いて来たじゃないですか。」と言った昔の仲間の言葉を思い出す。
「ひなた」で、色んな人に持ち上げられていましたが、何だか孤独だった。時間はどんどん埋まって、それこそ馬車馬の様に動いていた。
一生懸命にやり続けて、結局一人。
でも、「ひなた」の孤独と違って、今は虚しく感じる自分と静かに向き合う時間がある。
(後輩が寄って欲しいと言うので最後に寄った霞ヶ浦湖畔の道の駅)
「虚しくて、不安な時は、自分と向き合う時が来たということです。虚しくて、不安な時は、自分と向き合い、変わっていく絶好のチャンスの時でもあるのです。もし、あなたが、虚しさに悩んでいたら、思い切って自分と向き合い、自分の心の声を聞いて下さい。」
そんな事を言っている人もいる。
そう、自分と向き合う事、自分の心の声に耳を澄ます事もずっと置き去りにして来たなと思う。
何かやる事で、心の虚しさを埋めてしまわない事も大切なのかも知れない。
何事も、埋めない空間と時間があってこそ落ち着くのと同じじゃないか。
そんな事を思ったりする。
(ランタナの鉢植え。枝が詰まっていない空間感が良いと感じる。)
週明けの今日は、大型バスの運転。
朝乗務を終えて、バスの掃除をしていたら隣の大型バス担当の青年が「バスの側面にかなりの傷がついている。誰だ?」と騒ぎになった。
私も先週運転したので「まさか私が」と思いながら振り返る。その後二人運転しているので、私なら運転した翌日には見つかったはずだとか、色々と考えてしまう。
今はドライブレコーダーを見れば分かるので、ジタバタしてもしょうが無い。
それだけ大きいものを運転しているので、誰にでもありうると言うのが現実。
要は、大型バスで急いではならないし、決して無理をしてはならない。
緩急をつけて、危ないところは良く確認できるようにゆっくり運転する事。
そんなメリハリの大事さが、だんだんと分かって来た。
(福来ミカン。初収穫の日が近い。)
スピード感を持って改革する、馬車馬の様に働く。…掛け声は良いが圧倒的な高齢社会が来ている現実がある。
大事なのは、どうしたら心を合わせてかつて無い時代をみんなで生き抜いていけるのか?
腹黒く心を合わせた事の無い人たちには、できないだろうなと私は思う。表面は対立している様で、裏で手を握っている。
それでも何とかなった時代の終わりじゃないの?
虚さを感じている高齢者は、私だけではないと思う。虚しさと向き合う時間の中で、そんな事を考えている。
昔の家族は三世代同居だった。今は、社会全体が三世代で生きている。社会全体で、お互いを尊重して生き抜く時代が来ている様に思う。
私の子ども世代のJRの後輩と濃密に行動を共にしながら、しみじみ思った事でもある。
https://youtu.be/65RH5Hwwe7Q?si=o7wHCu-kI2LAczQn
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2025/10/27 12:52
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