辻川慎一つくば便り
Home
すみっコ運転士
昨晩20時過ぎ。同じ頃に無事に乗務を終わった同僚と一日のドライブレコーダーの結果用紙にコース名、乗車人員を記入し、最後に押印していると「辻川さんは、いつも100点だね、ボーナスの査定がアップしますね。」と言われました。
「いつも同じコースを走っていましきらね。それに嘱託社員ですから、ボーナスは無しと言う契約で、査定は関係ないですよ。」と笑いながら答えました。
「それから35000円の安全手当もありませんので、仮にバスをぶつけても引かれるお金もありません。でも、ぶつけたら恥ずかしいですからね。」とそんな話しもしました。
社員のみなさんは、査定制度の中にありますので他の人との比較が気になる訳ですが、私は対象外。つまり、ライバルではありませんよ。と伝えたかったのです。
車庫が狭くなり、私の担当バスの車庫位置が何かあるたびに変わって来たのですが、一番奥の一番端っこにおさまっております。
「すみっコぐらし」ならぬ「すみっコ運転士」状態になりました。
まあJRの時から「出世」や「個人の収入アップ」よりも、仲間たちに信頼される事を大事にして来ましたので、ずーっと「すみっコ」にいる事には「慣れっコ」なのかも知れません。
労働者が小さな差異で反目し、対立関係の中にある事の方が、経営者の職場管理はやりやすかった。
逆に、違いを超えて一つになった時には恐るべき力を発揮するのですね。
その本当の力を、実は労働組合を「管理」する幹部たちも恐れていた。
だから「これが限界だ」と、裏で経営者や政治家と談合しながら労働者を抑えて来た。
そう言う構造だったと思っています。
それは、高度経済成長の時代だったから成り立った事なんですね。
労働者をバラバラにして抑え込んで、反乱する者は、経営者と労働組合の幹部と両方で排除する。それで収益が確保される時代だった訳です。
ところが、そんな前提が崩れた時に、管理に慣らされた人々から時代の荒波を超える様な人が出て来ない。そう言う深刻な現実に突き当たっている様に思うのです。
子供たちも管理されて来たので、優秀な子と言うのは限られた枠内で優秀であると言う事になります。
枠を超える事態に対処し、新しいものを自分から、自分たちで切り開き、創って行く。そんな力を奪われて来た様に感じます。
自分を生きるよりも、管理の中で生きる事が優秀とされるのですから。そこに対応できない。入れない。と言うのは負けであり「必要ない!」とされて来た訳です。
すみっコの方が楽だって、キャラは可愛くても何だか悲しい感じも致します。
すみっコでも居場所があり、誰かに必要とされていればまだ良いかも知れません。
すみっコにさえ居られない、たくさんの可能性を秘めた魂や力の所在があるのではないか?
そんな風に思います。
人のすみっコをちゃんと見るって大事だと思います。
嘱託社員のリミットては「70才」と書かれております。
実際には運転士不足で、70才を越えた人も働いておりますが、時代も状況も激しく変わって行きます。
天変地異もある事でしょう。
人が狭い対立を超えて、一つになれた時にだけ現状を変え、困難を越え、新しいものが生み出せる。
それが人間の真実の姿ではないのか?
そんな事を「すみっコ」で考えたりしております。
誇大妄想ではなく、たった40人足らずが一つになっただけでどれほどの事ができるのか?を実証した経験から思う事であります。
自分は終わりだなんて思っても、世界は終わってないのですから。
笑顔は、いつでも闘うと言う構えがあって笑顔たり得る様に思います。
その構えの無い笑顔に力はない。
先ずは、週末の夜乗務の闘いに入ります。
未選択
2024/11/22 16:15
0
「裏切る」って何だろう?
いやぁ〜。雨が降らない予報が次々と変わり、期待を裏切りよく雨が降ります。
お陰様でバスは、車内も外側も汚れるので清掃が大変でございます。
まあしかし、考えて見ると天気が人の期待に応えてくれる訳ではありません。
そのお陰で、人はグチを言い合ったりして仲間である事を確認し合っている様に思います。
どうしよもなく大変な事ほど、人は結束するのですよね。
人が生きる力は、愛なのですから。人は愛を必要とした。前頭葉で働く愛の脳内物質ドーパミンを、他の動物たちはほとんど使えない。人間特有のものだそうでございます。
だから、人間は色んな愛の対象を求める。
明るくなって来ますと雨の中でも、紅葉が鮮やかです。
こちらでは、ピークかなとも思われます。
紅葉を愛でる事ができるのも、人間の愛の働きの様です。
そして、自分だけでなく多くの人がその美しさを感じる。
動物たちや昆虫たちは、冬を越えなければならないのでそれどころではありませんよね。
と言う訳でめんどくさかったり、大変だったり、忙しかったりする訳ですが、愛着を持てるものや人がいる事が人間の生きる力になるのだと思います。
それを共有できる人がいれば一層楽しく、不安を超える事ができる。
(こちらは「アカメガシワ」の紅葉です。)
自然には裏切るも何も無い訳ですが、人は裏切る。
裏切るって何だろうって考えました。
かく言う私も、裏切ってるかもって悩む時があります。
誰かに良い顔をして、凄いと言いながら「違うくない?」なんて思い直す時。それだけなら心の中なんですが、他の人に「おかしくないかな?」なんて言ったりすると、それって裏切りじゃないか?って反省したりします。
惹きつけておいて、裏で突き放しているのですから、結局信頼されない事になる。
人間の前頭葉は、記憶の働きが主でありますので、愛と言うのも実は記憶なんですね。
それを裏切ると言う事は、負の記憶としてその人に残されて行く。負の記憶は、嫌な記憶なので消されて行く。離れられ、忘れられるのです。
なので裏切ると言う事は、相手から自分が消されて行く事になる。
なので愛を取り戻すと言うのは、実に大変な事なんですね。
そもそも愛着も持たれていない人には無理な訳ですから、裏切ると言う事にはなおさら注意が必要なのだと思います。
(春先のアカメガシワ。赤色がとてもステキです。)
裏切ると言う言葉は、例えば座布団の裏側が切られていても表からは見えない。表は綺麗でも、裏は違う。そう言う意味ですが、実は「人の気持ちを大事にできない。」と言う事なんですね。
人の気持ちを踏みにじっている事。愛に生きる人間に取っては、やってはならない事。気をつけなければ、自分の愛の対象を失う事になると言う、かなり大変な事なんですね。
軽く見てしまいますし、軽く裏切る方がかなりおります。
人の心や気持ちより、正義、大義みたいにやって来た私の裏切りを深く反省しないと、さらに深く人を裏切る様になってしまいそうです。
人として自分の言葉に嘘があってはなりませんね。
未選択
2024/11/21 16:10
0
バス運転士の仕事って
寒く、辛い朝になりました。
いつもより長く眠ったはずですが、何だか気持ちが沈んで、体調もスッキリしません。身体を動かすのも大事とステップマシーンを踏んで見ました。
食べもの、休養だけでなく、適度な運動も大切ですから。
沈んだ気持ち、重い身体が身体を動かす事で晴て行く事もあります。
バスの点検をしていましたら夜が明けて来ました。とても寒いのですが、深呼吸をしましたら気持ちが晴れて来ました。
今日から従業員送迎バスのルートが少し変わりました。外国人従業員だけでなく、日本人従業員も乗せる事になりました。駅に着くと、長い列を作って待っておりました。
いつも通り「おはようございます。」と一人一人にお声がけして迎えました。以前は、プロでないドライバーさんがやっていて「あいさつしない人ばかりだ。」と怒っていましたが、プロであればあいさつするのもこちらの仕事でございます。
ベトナム人の方々同様、ちゃんとあいさつしますと大半の方が返してくれます。
送り出しも同じです。
「いってらっしゃい。お気をつけて。」と声をかけます。」
一日の仕事の始まりですし、無事に帰りもお迎えしたい。同じ労働者として、人として心から思う事です。
(名鉄を走っていたキハ8000の写真に目が止まりました。古い車両ですが、何気に可愛らしい感じがしませんか?)
私の担当バスもかなり古い中型バスで、エアサスでなく板バネタイプです。
はじめて見習い運転士を付けられた時に、客席の最前部に乗って気がついたのはタイヤの上と言う事もありますが、道路のでこぼこで乗り心地がとても悪くなると言う事でした。
バスの運転席はタイヤの前にありますので、運転席の方が乗り心地が良いのです。
つまり、運転席で大丈夫でも客席はそうではないと言う事なんですね。
大事な経験をさせて頂きました。
空調もですが、運転席で感じるのと客席は違うのです。
プロの運転士ならば、自分本意でなくお客様がどうか?で配慮する。それがバス運転士なのだと思います。
お客様の気持ち良いが、バス運転士としての気持ち良さになる訳です。
そこは、電車運転士とも違うところだと思います。運転しながら、直接接する場面がほとんどありませんので。
何しろ尊敬する貸切バス運転士ナンバーワンの人は、新型のバスであっても実に丁寧な運転をされているのを見させて頂きました。
まして私の担当は古いバスです。まあまあ、同じ高齢者同士ですので、一層労らなければならないのであります。
と言う訳で、道路状況を良く見て良くない道は速度を落とし、段差がきつければ徐行する。加速もブレーキングも、不快感を与えない様にスムーズに。
まだまだではありますが、無事に送り届けて下車する時に「ありがとうございました。」と言って頂いた時は、とても嬉しく感じます。
丁寧さや、心配りは感じるものだと思います。
それでも、事故になれば全ての努力が一瞬で水の泡。とても厳しい仕事でもあります。
実はとっても奥が深い仕事だと思います。
浅くするのも、深くするのも自分の心がけ次第なんですね。
それって人生そのものの様にも思います。
これから退勤のお迎えと送りになります。
バス車庫には手作り感がある神棚があります。
絶対大丈夫が無い仕事でもあるからなんですね。
今夜も何とか無事に、気持ち良く感じてもらえる様に心を落ち着けて頑張りたいと思います。
未選択
2024/11/19 15:58
0
自立すること。
こよみ(暦)上は既に冬。
今朝は小雨が降りとても寒く感じました。昨日は昼間24℃にもなり、寒暖差が激しく体調を崩されている同僚がおりました。
会社の脇を流れている用水路。
名前も知らない木の葉も黄色く紅葉しております。
60年以上前に作られた用水路だと近所から来ている先輩に聞きました。
鯉が泳いでいるのを「発見」しましたら、「用水路に水が無くなっても土管の中の水はあるので大丈夫なんだ。子供の頃、作っている時によく潜り込んで遊んだからわかるんだ。」と説明してくれました。
その方は、体調が悪く入院されておりましたので「大丈夫なんですか?」と聞きましたら「全然大丈夫だよ。」ととても強気な事を言っていたばかりで安心していました。ところが今朝出勤すると、再び長期の加療に入ったと聞きました。
他の先輩に「大丈夫なんでしょうか?」と聞きましたら「あんまり立ち入って聞けない事だから良く分からない。辻川さんは聞いてたけど。」との事でした。
またしても私の方が非常識だったのかな?と考えてしまいました。
体調は大丈夫ですか?と聞いただけだったのですが。
庭の梅の木の芽が赤くなって来たのを感心してながめていましたら、カマキリの卵があるのを見つけました。
大きなオオカマキリの卵とは違う形をしています。
ハラビロカマキリの卵だそうです。
線虫と言う水生の寄生生物がいて、それが付いた虫を食べてしまうと体内で育った線虫に操られて水の中に落ちて行くとの事。
エイリアンのモデルの様な生物のために、地方によっては絶滅危惧種になっているとか。
わが家に卵を生んで、無事に育って行くと良いのですが。
やはり自然界と言うのはなかなか厳しいワンダーランドなんですね。
今日は小学校のスクールバス担当です。人間の子は、親をはじめ色んな人に面倒を見てもらいながら育ちます。世話を受けながら育ちますので、本当の自立と言うのは実は「一人でできる」と言う事止まりでなく、他の人のお世話ができる様になる事なんですね。
お世話になって育ったのですから、お世話返しができてはじめて自立と言える訳です。
今日は、40才代の新人さんが他の運転士の見習い運転をしております。
後ろから見ていてもぎこちないのが分かります。
なかなか車線変更のタイミングもつかめない。なので、私の方で先に車線変更して無事に入れる様にしたりしておりました。
乗務を終えると「ありがとうございました。」と言ってくれました。
あ〜。自分で納得できる運転までにはなかなか行かないなと思いながらも、人の世話をできるくらいになって来たのかな?なんて思いました。
運転士として、ようやく自立し始めているのかも知れませんね。
私も若くありませんが、高齢の両親の世話ができる様になってはじめて、人としての自立もあるのかなと思ったりもします。
お世話になった恩を忘れず、お返しする事が人としての愛なのかも知れませんね。
人に対する自分の関わり方が、問われ、良くも悪くもしっかり返って来るのだと思う様になりました。
未選択
2024/11/18 12:33
0
愛は花に託された。
休みの本日。朝から懸案だった隣家との間の生垣のトリミングや切り株の除去をやりました。
切り株の方は想定以上に根が太く、深く張っていて大変でございました。
若い時分の記憶で、大した事は無いと思ったのが間違いでした。
スコップで株を掘り起こそうと悪戦苦闘しているうちに、めまいがして倒れそうになりました。
小型のチェーンソーも使って何とかやり切ったのですが、今度は背中が張って痛み出しました。
いやはや、こんな時には「年」を感じる次第です。無理が効かないので、知恵と道具が必要な様です。
過日お墓参りに行ったときに、お墓の脇に咲いていた花です。バーベナと言う花の様です。花言葉は「家族の和合」との事。誰かが種を蒔いたのでしょうか?
ところで亡くなった人を花で囲んだり、お墓に花を飾るって日本だけの習慣ではありませんよね。
20万年前にいて、どうやら絶滅してしまったネアンデルタール人が住んでいた洞窟の人骨から、花の花粉が見つかるそうです。
狩猟民族であったらしいのですが、手が無く、目も見えないはずの人骨もあるとの事。
火の番をして、みんなに守られながら生きていたのかも知れないと言うのです。
そして誰かが亡くなると、その人を悼み、その人への愛を花に託したと思われます。
どうも、私たちがイメージしてきた野蛮な原始人とは違う様です。
故人への愛を花に託すと言うのは、太古の昔からあったのですね。
つまり、愛すると言う事、あるいはそれを何かに託すと言う事は人間として根源的な心の働きとして続いて来たのです。
心の働きや人への愛の深さについて、私たちの方が進化しているとは言えないかも知れません。
人への思いよりも、儀礼的に「そう言うもんだ」とか「他の人に引けを取らない様に」だとか。
そうなるとどうも現代人は、心としては退化しているのかも知れません。
かく言う私自身が反省するところ大でございます。
亡くなられた隣家の高齢の奥さまは、たくさんの花を植えられて、とても綺麗にしておられました。
なので、ボサボサの生垣だと嫌だろうなと思っておりました。
生垣は「白丁花」と言う木です。日が当たる場所だと可憐な白い花をたくさん付ける木なんですね。
なので株分けをして日当たりの良い場所にも新しく植えてみました。
花がたくさん咲いたら喜んでもらえるかも知れません。
愛ってのも人として生きているから花に託せる。
そう思えば、背中の痛みも心も和らいで来ます。
未選択
2024/11/16 18:03
0
前のページ
Home
次のページ
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
カテゴリー
未選択(1444)
最新記事
自らに由る(自由)
(07/27)
褒める。
(07/26)
人当たりが良いですね。
(07/25)
尋常でない暑さ。
(07/24)
百日草
(07/23)
RSS
RSS 0.91
RSS 1.0
RSS 2.0
リンク
管理画面
新しい記事を書く
P R
ページトップ