昨日午後は雨降りでしたので、お互いに早起きなので母を連れて5時にお彼岸の墓参りに行って来ました。
そうしましたら、まだ薄暗いのに先に来ている人がいてちょっと驚きました。

(最近煮物作りをしている私ですが、母の作る煮物は別物って感じです。薄味でありながら、しっかり優しい肉じゃがです。手羽の下味も焼き加減もバッチリ。小料理屋さんもやっていた事に、改めて納得してしまいました。)
「登るのは大丈夫なんだけど、階段を降りるのが辛い。」と言うので、降りる時は手を握りながら降りました。どうも私自身も軽い目まいでふらつくので、共倒れにならない様に内心では気をつけながらでした。
「こんなになって情けないね。」と言うので「母さんだけじゃなく、みんな同じだよ。人生も登る時より降りる方が難しいって言うよ。」と言うと「確かにそうだね。降りる方が難しい。」と言う母。
年の差17才の母子ですので、一緒に下っている感じが致します。

実家には捨てずに置いた本が30冊ほどあります。
労働組合と政治運動をしながら、自分のモチベーションとして様々な人が生きて闘った記録を読んでおりました。
こちらは想像を絶する様な拷問に耐え抜き、勝ち抜いたベトナムの闘士が残した記録でした。
ベトナムにも、不屈で闘い抜いた人々がいて独立を勝ち取り今がある訳です。まあ、勝ってしまうと新しい支配と利権が生まれると言うのも、人間が繰り返して来た歴史の現実でもあります。
私が学んで来た事は、人を侮ってはならないと言う事です。
何の因果か、工場の送迎ではベトナム人実習生を乗せておりますが、彼らの先人たちの壮絶な闘いから学んで来ましたので、彼らを軽く見る事はありません。
どの人も、先人たちの苦労や努力があって今存在しているのだと思います。

つまりそれは、自分を軽く見て侮ってはならないと言う事でもあると思うのです。
自ら侮って後 人之を侮る
(みずからあなどってのち ひとこれをあなどる)
と言う言葉があります。
人間は、自分で自分を侮ってしまうと、世間の人も、その人を侮り軽く見る様になる。と言う事なんですね。
自分を侮ると言う事は、先人や周りの人や無数の生と縁(つながり)の中で自分が存在し生きていると言う事を軽く見てしまう事になる。
歴史や人生って、自分も他者も決して侮ってはならないと言う事を教えている様に思います。
その様に、自分自身も親もちゃんと見なければならないよな〜って思います。