辻川慎一つくば便り
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やめた事から始まる新しい旅
私が政治党派をやめた事から始まった、友人との温泉旅行に来ております。
友人もまた、長く奮闘してきた仕事をキッパリとやめた記念の旅でもございます。
新しいはじまりと言うのは、やめると言う事からはじまる。
お互いに共通する過去の出来事や人について心の整理をしながら、温泉旅行そのものを改めて味わっております。
おなじみの伊香保温泉の階段を一緒に歩きました。古くからのうらぶれた、飲食店がある裏道も一緒に愉しみながら歩いて来ました。
透明で綺麗な泉質で熱すぎない温泉で、ゆったりと温まりました。屋上露天風呂で、明るいと空を見る事が出来ます。紅葉し始めた木々の葉も綺麗でした。
家庭料理に挑戦中の私ですが「私には、無理だな〜」と思えるのが職人技ですね。
とても細かく綺麗な料理であるだけでなく、一品一品がとても美味しい。手抜きなど無い料理が、こちらの進み具合を見ながら並べられました。
色んな国籍の外国人の方も働かれておりましたが、仲居さんの応対も相手に合わせながら、決して不快にさせないと言うポリシーを感じさせるものでした。
お酒を飲まない友人が、地酒プレミアムセットを勧めてくれました。
いやぁ〜、絶品でした。山に囲まれて水どころ、米どころのお酒はやはり美味しい!と感動致しました。
長く労働組合で活躍されて来た友人が「お酒を飲む人は、酒がメインで、大量の料理を残したりするのでもったいないと思って来たのですよ。」と言います。
私も、料理を残す事はしませんでしたが飲みながら仲間たちと話す事が主で料理を味わうと言う事はして来なかったので反省しながら「分かります。」と返しました。
つまり、そんな飲み方をする事もやめました。
何かの自分の思惑や目的を持って人との時間を過ごす事もやめました。あるがままに大切な時間と思い出を共有し、過ごしております。
友人の見学チョイスで、伊香保温泉の入り口辺りにある「命と性のミュージアム」にも寄って来ました。私の予想に反して、命と性についてタブー無く正面から考え、感じて見ようと言うコンセプトに貫かれたミュージアムでございました。戦争や核などもってのほかでしょう?と言う事も訴えられております。命と性を謳歌しよう。子どもを作ろうよ。老いたからと性から離れてはいけない。そんな事もうったえられておりました。
興味本位では見れない奥深い内容に考えさせられて、ちょっと疲れた次第です。でも、若いカップルや家族連れがいたりして、それぞれが考え直しながら見学しておりましたので、人として誰しもが向き合わなければならない事をタブー無く提起し続けて来た事が、伝わっているんだなとも思いました。
私には重いながら、良いものを見せて頂きました。
体調も良く無かったので、心配もありましたが、友人と話しながら、温泉にゆったりと浸かり美味しい料理と美味しいお酒を味わっておりましたら、不思議に回復している事も実感しております。
今までの様な在り方や生き方もやめる。過去を悔やむのもやめる。
やめる事で新しい事がはじまる。
それを実感する旅になりました。
友人も「キッパリとやめて良かったと思う」と言います。
その大きな節目の旅に、同行する相手に私を選んでくれた事に対し、なんとも言えない光栄と感謝があります。「辻川さんは、私にはとてもできない事をやった人ですから。」そう言って下さいます。
(ちなみに伊香保の歴史を刻んで来た素晴らしい温泉旅館は「大森」でございした。)
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2025/09/29 05:18
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あなたの心に
10月を目前に、今日は私のブログを通して知り合った友人と一緒に温泉旅行に行って参ります。
私の方は初めてと思っておりましたら、私が国鉄分割民営化に抗って新しい労働組合を立ち上げた頃から見守ってくれていた有難い人だと分かりました。
なので、お会いした事は無くても古くからの友人なんですね。
とは言え、早起きして乗務する習慣のため今朝も3時起きです。
いつもよりは余裕がありますので、朝食はゆっくりと頂きました。
玉子焼フライパンの蓋を作りましたので、レモン玉子の美しさを見て頂こうとしたのですが黄身が割れてしまい残念でした。それでも「うーん」と唸っちゃう美味しさでございます。
自然食品のお店の「水戸納豆」も、自家製ぬか漬けも、そろそろ終わりの「黄金マクワウリ」も、全て美味しく頂きました。
寝る前は野菜だけでみるみる痩せて来たのですが、どうも高齢になるとちょっとふっくらしていた方が良い様です。
若い時と違って、栄養を摂取する力が弱り栄養失調になってしまうとか。ちゃんと肉類も食べてたんぱく質などをとらないとダメだとか。
若い頃からの「常識」は変えなければならない様です。
スペアミントのハーブティーの美味しさも分かりましたので、枯れても頂ける様に乾燥茶葉にも挑戦しております。
まあ、とにかくワイルドに「こうすれば大丈夫!」なんてやって来たのですが、そんなものは無い事にバスの運転をしながら、ようやく気付いて来ました。
生きている限り遅いと言う事は無い様に思います。
有名人も含め、頻繁に訃報を聞く様になり驚いたり、残念に思ったり悼んだりするのですが、そう感じるのは自分が生き残っているからなんですよね。自分の訃報は、聞けないのですから。
感じると言う事は、生きていると言う事。大切なんだと思います。
そうすると感じないと言うのは、生きながら死んじゃっている状態と言えるかも知れません。
あるがままで生きると言うのは、無関心や無感動に生きると言う事ではなく、逆に心から感じるためにしてもしょうが無い不安や心配から解放されようよって事の様に思います。せっかくまだ生きているのに、それを感じないともったいないよって事ですよね。
加齢が原因の無呼吸症対策にもなる様なので、ギターを弾きながら昨日も歌っておりました。
忘れていた「あなたの心に」。私には日本版「愛の讃歌」の様に思えました。改めて凄い歌詞だと感じます。
あなたの心に春の様な風が吹いているなら、青い空があるなら、涙でいっぱいの海があるなら「私一人で、吹かれてみたい」「私一人で、登ってみたい」「私一人で泳いでみたい」と言う愛の歌です。何が凄いって「あなたの心にあるなら」なので心が無ければ成立しないと言うところに限りない愛の歌が生まれると言うところです。
現実にはサム・マネーが必要とは言え、心があってこそ愛がある。
私の心に、温かい風は吹いてるかな〜。青い空はあるかな〜。涙の海は?
そんな事を思ってしまいます。
心に残る歌って、メロディーも歌詞も胸を打ちますが、聴く人、歌う人の心も問う。
だから何だか心が洗われる。
喉の筋肉だけでなく、心が動いているんですね。
美味しいものを頂きながら、身体と心も動かす。
それが、生きているって事かも知れません。
それでは、湯治を兼ねた友人との大切なひと時の温泉旅行に行って参ります。
https://youtu.be/SZPpbZFeSi4?si=tgltU5egKSz3yF8z
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2025/09/28 07:12
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レット・イット・ビー(あるがままに)
誰しも同じでしょうけど、長い様であっという間の人生でもございます。
浦島太郎は、それを象徴する様な昔話だったのですね。
そうなると後何年生きられるのかな〜とか、体調が良くないとお迎えが早いのかな〜とか考えてしまいますが、どうなるのかは誰も分からない。
分からない事をくよくよ考えてもしょうが無い。
それよりは、人生100年時代の自分の年齢と立ち位置を対象化して見た方が懸命な様です。
次の肉体的精神的平均分岐点が75才らしいので、次の山目指して今までの生き方を変えなければしっかりとは越えられない事を自覚すべきなのかも知れません。
痒みと痛みがあっても、何かせずには居られない私。とても珍しく美味しい玉子を頂きましたので、小さな玉子焼フライパンの蓋を作りました。玉子焼なら要らないのですが、目玉焼きだと必要なんですね。竹製まな板が割れてしまったので、リサイクル致しました。ノコギリで切ったあとサンドペーパーで、ビッタリ合う様に削りました。なかなか、根気のいる作業でお尻が痛みました。取手は、枯れたドウダンツツジの枝を残しておいたものを利用しました。ちょっと可愛くありませんか?
友だちから頂いた「レモンたまごアローカナ種」。
南米チリ原産のアローカナという鶏が産む、殻が青緑色で黄身がレモンイエローの卵で卵特有の臭みが少なく、濃厚な味わいが特徴で、普通の鶏より産卵数が少ないため希少だとの事です。アロカナ族と言う先住民が飼っていたのですね。
めちゃ美味しいので、丁寧に調理しないともったいないと思い蓋を作った次第です。
昨日は、私より一つ上の真のベテランの方とお話しをしました。サイクリストでスマートな方なのに「無呼吸症」で酸素吸入器を使っていると言うので以外に思い「私も10キロも痩せたのに、検査に引っかかってしまいました。」と話しました。
そしたら「辻川さん。俺たちのは加齢なんだよ。加齢で喉の筋肉が緩んでいるんだ。原因が違うんだよ。」と言われて、なるほど〜と合点した次第でした。
一人でおりますと会話もしませんので、喉の筋肉は余計に使わなくなりました。
そしたら私の場合歌うって事は、無呼吸症対策にもなると言う訳です。
そう言えば、定年後にギターを始めて、若者たちの様に路上で歌い、海外まで行ってギターケースにお金まで入れてもらったと言うつわ者高齢者もいるんですね。人生色々、凄い先輩たちがおります。
工場の送迎バスでも、定年後も嘱託で頑張っている方と話しました。早い発車のバスを若い人たちに譲り、次発の私のバスに乗って来て「今さら急ぐ人生でも無いよ。」と言う。私も「確かにそうですね。」と相づちを打ちました。
高齢の時代を良く生きるためには、考えても仕方の無い事をくよくよ考えずに「あるがままに生きる」事だと90で現役のお医者さんが言っておりました。
やりたい事をやり、食べたいものを美味しく食べる。あれが良い、何が悪いなんて言っても75才を超えると関係ない。それまでの生き方で決まってしまうから、それまでの10年間の準高齢期が大事なんだと言うのです。
なるほど大事なところにいる訳です。
失った事を嘆いている場合ではありませんね。
「黄昏(たそがれ)」がとても美しくなって来ましたね。黄昏も悪くありません。
黄昏ながら疲れて帰りましたが、私のブログを楽しみにしてくれているJRの後輩から、北海道名寄のFM放送「Airてっし」で名前が出ます。とメールがあり1時間ほど聞いておりました。彼の名と便りが紹介されるのを聞いてバッタリ倒れた次第です。
もはや当たり前にたくさんの人がいた時代ではありません。人との付き合いを大事にする事は、食事と運動と共に大切なんですね。
あるがままに生きて行くだけでございます。
あるがままに。
https://youtu.be/ntHSfhwkZlk?si=o5CZZj5TgT6Qh82_
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2025/09/27 09:13
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荒野を目指した青年は?
週末金曜日でございます。社員さんたちは、昼休憩の間にも乗務が入ったりするのですが、高齢嘱託運転士の私にはほとんど回って来ません。
体調が良くない時には、とても有難いと思います。
大型バスの運転もなかなか回って来ませんが、私にも運転できると言う自信が付きましたので流れに任せるのみですね。
今日も朝乗務後のバス清掃は、休みながらやりました。体力があっても痛みと言うのはどうしようもありませんね。
様々な痛みがある人の事を思いながら、痛みを感じる事の大切さも思います。
野菜や果物の買い出しにも行きましたが、こちらも痛みをこらえながらでした。あまり良く見ないで買ったミカンが「すみません痛んでいます。」とレジの方が見つけてくれたので、逆に「見つけてくれてありがとうございます。」とお礼を言いました。
私には珍しかった「太秋柿」と言う柿も買って来ました。
茨城では、あちこちに柿が成っていますのであまり有難がらない果物かも知れません。会社にも成っております。
我が家には柿の木はありませんので、私は有難い。
早生で青いのに甘いとありました。青い柿って、本当に甘いのだろうか?とちょっと心配でしたが、食べて見る事にしました。
とても綺麗な実でございます。
食べて見ましたら、サクッとした食感で甘さが後から来る感じが致しました。うん!見た目通り上品な感じの甘さでした。◯だと思います。
スーパーだと野菜も果物も日が経ってしまうのですが、生産者が並べるJA直売店は、新鮮な上中間マージンが無い分安いのですね。
レンコンも新鮮で美味しいし、「安く」はありませんが玉子も全然違います。食べ比べるとはっきりします。
そんな事に感心しながら、ちょっと痛みを忘れます。
私の友だちが好きなので、昔のフォークソングを歌うのですが「悲しくてやりきれない」と言う歌があります。
私が小学校5年生の頃、とても人気があったフォーク・クルセダーズの歌です。
同じ「フォークル」の歌に「青年は荒野を目指す」と言う曲がありました。作詞したのは、やはり若い頃に惹かれて読んだ五木寛之さんです。
で、ちょっと発見がございました。
社会や色んなものから独り立ちして「青年は荒野を目指そう」と言う曲のB面(レコードを知らないと分かりませんね。)の曲が「百まで生きよう」と言う歌でした。人生は色んな大変さはあるけど百まで生きたら変わるよ。ってそんな歌詞でございます。
荒野を目指して、百まで生きようなんて今思えば凄い組み合わせだと改めて思います。
ところが、その歌を歌った加藤和彦さんは、62才で「時代は俺を必要としなくなった。」みたいな言葉を残して自死してしまいました。疲れてしまったのかも知れません。自分が歌った歌の歌詞を思い出せないくらいに。
人と言うのは単純じゃありませんね。まあ、嫌になる現実がそれぞれにあるからこそ支持された歌なんだと改めて思います。
「痛くてやりきれない」とか「老人も荒野をめざす」とか「痛みながらも百歳へ」とか
私にも作詞作曲の能力があればな〜なんて思ったりします。
自分だけじゃなくたくさんの人たちが、かつて経験した事のない高齢化の時代ど真ん中に生きているのですから。
元警察官の同僚に、「68になるんですよ」と話しましたら「え~っ。全然若く見えます。」と驚かれました。「いやぁ。中身はボロボロですよ。」と言いました。
まあ、見かけと心くらいちゃんとしていたいですからね。でないと完全にボロボロになっちゃいそうですし。
心まで枯れない様に。
オシャレって、遊び心が大事らしいですね。嫌み無く、遊び心が出せたら粋と言う訳です。
加藤和彦さんはとてもオシャレな方でしたが、私なりに自分が楽しめる様な遊び心が持たら良いなと思ったりします。
週末も頑張ります。
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2025/09/26 12:48
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失われ行くものへの哀しみ。愛。
68才は、痛みと痒みで迎えております。痛みはお尻、痒みは一端治まりかけた蕁麻疹の逆襲でございます。
経験者は分かると思いますが、酷くなりますと、とにかく座っても、立っても、横になっても痛いのが痔なんですね。修行僧の様にバスを運転して来ましたが、まさに寺の病でございます。
21時過ぎには就寝して、3時に起きる予定が、0時半に痒みと痛みで寝ていられなくなってしまいました。
身体を温めて薬を塗ったり、色々とやったのですが、直ぐには良くなりません。
一番困るのは、バスの運転と終わった後の清掃作業でございます。別れた方との約束で毎月仕送りもしなければなりませんので、それが終わるまではダウンできないと言う事情もありますので、何とか乗務だけは続けないとと、笑い話ばかりもしておれません。
やっぱり睡眠不足は危ないですね。居眠りはしませんが、注意力が鈍っている事を自覚しながら何とか朝の乗務は無事終えたのですが、清掃の方が大変でございました。ちょっと動くと痛みで動けなくなります。身体も痒い。
乗務とは別の病と向き合う修行って感じです。
帰宅して、ランチ作り。こちらも休み、休みでございます。
私がJR時代に、今の会社の労働組合をバックアップしておりました。団体交渉に何度も出て労使間の調整役をしておりました。その時代に国道354号沿いの書店脇に、老夫婦がやっていた小さな中華料理店がございました。その店に「豚肉とピーマンの細切り丼」と言うのがありまして、それが好物でした。おばさんが「細切り丼」と茨城なまりでリピートする声が、記憶に残っているほどです。
それを思い出しながら、作って見ました。そもそも、この組み合わせが良いのだとは思いますが、なかなか美味しく出来たものの同じにはなりません。当たり前でしょうけど、オイスターソースも使っていたのかな〜なんて推測しながら食べておりました。
約30年前の事ですので、もう食べる事はできません。お店の建物は別の企業が使っております。
何にでも終わりがある。終わりがあるから懐かしく、哀しく感じるのだと思います。
暑い最中に、ずいぶんと頑張って楽しませて頂いた花たちも、寒くなると枯れて行きます。
人も同じでいずれ枯れて、この世を去って行く。
万葉の時代から、日本人は春を見ながら哀しいと感じたりして来たのですね。これからのはずですが、終わる事を思い、その美しさを哀しいと感じて歌に詠んでおります。
哀しいと言う感情は、愛しいにつながっております。
つまり、終わりや別れがあるから哀しくて愛しいと感じる訳です。
いつまでも居座って平気な人に愛情は感じないし、儚さや哀しさが分からない人には愛すると言う感情も生まれないのだと思います。
最近昭和のフォークソングを、ギターを弾きながら歌っておりますが、別れの歌や哀しい歌が多いのです。
その情緒や感情と言うのは、古くから変わらないのだなと改めて思います。
(友だちに聞いた家庭料理「レンコンの酢炒め」を作って見ました。「酢をたくさん使う」のがポイントだそうですのでかなり使いました。今夜帰りが遅いので、軽い夜食用です。)
そう、元気な盛りには「人間離れしている」と仲間たちに驚かれる様に活躍しておりましたが、年相応に病と付き合いながら生きて行くしか無いんだな〜と自分自身にも哀しみを感じ、頑張ってくれた身体も愛おしみながら、それでも何とか動けていて、料理もやれるし、ギターも弾ける。仲間たちもいる。仕事もある。
一つ一つ、一人一人といずれ別れが来ると言う哀しみの心があってこそ愛せるのだなと思っております。
それでは、痛みと痒みを何とかしながら、いずれ出来なくなる乗務を愛おしみながら、夜に向かいます。
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2025/09/25 14:15
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