辻川慎一つくば便り

荒野を目指した青年は?

週末金曜日でございます。社員さんたちは、昼休憩の間にも乗務が入ったりするのですが、高齢嘱託運転士の私にはほとんど回って来ません。

体調が良くない時には、とても有難いと思います。

大型バスの運転もなかなか回って来ませんが、私にも運転できると言う自信が付きましたので流れに任せるのみですね。

今日も朝乗務後のバス清掃は、休みながらやりました。体力があっても痛みと言うのはどうしようもありませんね。

様々な痛みがある人の事を思いながら、痛みを感じる事の大切さも思います。

野菜や果物の買い出しにも行きましたが、こちらも痛みをこらえながらでした。あまり良く見ないで買ったミカンが「すみません痛んでいます。」とレジの方が見つけてくれたので、逆に「見つけてくれてありがとうございます。」とお礼を言いました。

私には珍しかった「太秋柿」と言う柿も買って来ました。

茨城では、あちこちに柿が成っていますのであまり有難がらない果物かも知れません。会社にも成っております。

我が家には柿の木はありませんので、私は有難い。


早生で青いのに甘いとありました。青い柿って、本当に甘いのだろうか?とちょっと心配でしたが、食べて見る事にしました。



とても綺麗な実でございます。


食べて見ましたら、サクッとした食感で甘さが後から来る感じが致しました。うん!見た目通り上品な感じの甘さでした。◯だと思います。

スーパーだと野菜も果物も日が経ってしまうのですが、生産者が並べるJA直売店は、新鮮な上中間マージンが無い分安いのですね。

レンコンも新鮮で美味しいし、「安く」はありませんが玉子も全然違います。食べ比べるとはっきりします。

そんな事に感心しながら、ちょっと痛みを忘れます。

私の友だちが好きなので、昔のフォークソングを歌うのですが「悲しくてやりきれない」と言う歌があります。

私が小学校5年生の頃、とても人気があったフォーク・クルセダーズの歌です。

同じ「フォークル」の歌に「青年は荒野を目指す」と言う曲がありました。作詞したのは、やはり若い頃に惹かれて読んだ五木寛之さんです。

で、ちょっと発見がございました。


社会や色んなものから独り立ちして「青年は荒野を目指そう」と言う曲のB面(レコードを知らないと分かりませんね。)の曲が「百まで生きよう」と言う歌でした。人生は色んな大変さはあるけど百まで生きたら変わるよ。ってそんな歌詞でございます。


荒野を目指して、百まで生きようなんて今思えば凄い組み合わせだと改めて思います。

ところが、その歌を歌った加藤和彦さんは、62才で「時代は俺を必要としなくなった。」みたいな言葉を残して自死してしまいました。疲れてしまったのかも知れません。自分が歌った歌の歌詞を思い出せないくらいに。

人と言うのは単純じゃありませんね。まあ、嫌になる現実がそれぞれにあるからこそ支持された歌なんだと改めて思います。
「痛くてやりきれない」とか「老人も荒野をめざす」とか「痛みながらも百歳へ」とか

私にも作詞作曲の能力があればな〜なんて思ったりします。

自分だけじゃなくたくさんの人たちが、かつて経験した事のない高齢化の時代ど真ん中に生きているのですから。

元警察官の同僚に、「68になるんですよ」と話しましたら「え~っ。全然若く見えます。」と驚かれました。「いやぁ。中身はボロボロですよ。」と言いました。

まあ、見かけと心くらいちゃんとしていたいですからね。でないと完全にボロボロになっちゃいそうですし。

心まで枯れない様に。
オシャレって、遊び心が大事らしいですね。嫌み無く、遊び心が出せたら粋と言う訳です。

加藤和彦さんはとてもオシャレな方でしたが、私なりに自分が楽しめる様な遊び心が持たら良いなと思ったりします。

週末も頑張ります。

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