辻川慎一つくば便り

失われ行くものへの哀しみ。愛。

68才は、痛みと痒みで迎えております。痛みはお尻、痒みは一端治まりかけた蕁麻疹の逆襲でございます。

経験者は分かると思いますが、酷くなりますと、とにかく座っても、立っても、横になっても痛いのが痔なんですね。修行僧の様にバスを運転して来ましたが、まさに寺の病でございます。

21時過ぎには就寝して、3時に起きる予定が、0時半に痒みと痛みで寝ていられなくなってしまいました。

身体を温めて薬を塗ったり、色々とやったのですが、直ぐには良くなりません。

一番困るのは、バスの運転と終わった後の清掃作業でございます。別れた方との約束で毎月仕送りもしなければなりませんので、それが終わるまではダウンできないと言う事情もありますので、何とか乗務だけは続けないとと、笑い話ばかりもしておれません。

やっぱり睡眠不足は危ないですね。居眠りはしませんが、注意力が鈍っている事を自覚しながら何とか朝の乗務は無事終えたのですが、清掃の方が大変でございました。ちょっと動くと痛みで動けなくなります。身体も痒い。

乗務とは別の病と向き合う修行って感じです。


帰宅して、ランチ作り。こちらも休み、休みでございます。


私がJR時代に、今の会社の労働組合をバックアップしておりました。団体交渉に何度も出て労使間の調整役をしておりました。その時代に国道354号沿いの書店脇に、老夫婦がやっていた小さな中華料理店がございました。その店に「豚肉とピーマンの細切り丼」と言うのがありまして、それが好物でした。おばさんが「細切り丼」と茨城なまりでリピートする声が、記憶に残っているほどです。

それを思い出しながら、作って見ました。そもそも、この組み合わせが良いのだとは思いますが、なかなか美味しく出来たものの同じにはなりません。当たり前でしょうけど、オイスターソースも使っていたのかな〜なんて推測しながら食べておりました。

約30年前の事ですので、もう食べる事はできません。お店の建物は別の企業が使っております。

何にでも終わりがある。終わりがあるから懐かしく、哀しく感じるのだと思います。


暑い最中に、ずいぶんと頑張って楽しませて頂いた花たちも、寒くなると枯れて行きます。


人も同じでいずれ枯れて、この世を去って行く。

万葉の時代から、日本人は春を見ながら哀しいと感じたりして来たのですね。これからのはずですが、終わる事を思い、その美しさを哀しいと感じて歌に詠んでおります。

哀しいと言う感情は、愛しいにつながっております。

つまり、終わりや別れがあるから哀しくて愛しいと感じる訳です。

いつまでも居座って平気な人に愛情は感じないし、儚さや哀しさが分からない人には愛すると言う感情も生まれないのだと思います。

最近昭和のフォークソングを、ギターを弾きながら歌っておりますが、別れの歌や哀しい歌が多いのです。

その情緒や感情と言うのは、古くから変わらないのだなと改めて思います。


(友だちに聞いた家庭料理「レンコンの酢炒め」を作って見ました。「酢をたくさん使う」のがポイントだそうですのでかなり使いました。今夜帰りが遅いので、軽い夜食用です。)


そう、元気な盛りには「人間離れしている」と仲間たちに驚かれる様に活躍しておりましたが、年相応に病と付き合いながら生きて行くしか無いんだな〜と自分自身にも哀しみを感じ、頑張ってくれた身体も愛おしみながら、それでも何とか動けていて、料理もやれるし、ギターも弾ける。仲間たちもいる。仕事もある。

一つ一つ、一人一人といずれ別れが来ると言う哀しみの心があってこそ愛せるのだなと思っております。

それでは、痛みと痒みを何とかしながら、いずれ出来なくなる乗務を愛おしみながら、夜に向かいます。

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