辻川慎一つくば便り

愛は花に託された。

休みの本日。朝から懸案だった隣家との間の生垣のトリミングや切り株の除去をやりました。
切り株の方は想定以上に根が太く、深く張っていて大変でございました。
若い時分の記憶で、大した事は無いと思ったのが間違いでした。
スコップで株を掘り起こそうと悪戦苦闘しているうちに、めまいがして倒れそうになりました。
小型のチェーンソーも使って何とかやり切ったのですが、今度は背中が張って痛み出しました。
いやはや、こんな時には「年」を感じる次第です。無理が効かないので、知恵と道具が必要な様です。


過日お墓参りに行ったときに、お墓の脇に咲いていた花です。バーベナと言う花の様です。花言葉は「家族の和合」との事。誰かが種を蒔いたのでしょうか?


ところで亡くなった人を花で囲んだり、お墓に花を飾るって日本だけの習慣ではありませんよね。

20万年前にいて、どうやら絶滅してしまったネアンデルタール人が住んでいた洞窟の人骨から、花の花粉が見つかるそうです。


狩猟民族であったらしいのですが、手が無く、目も見えないはずの人骨もあるとの事。


火の番をして、みんなに守られながら生きていたのかも知れないと言うのです。

そして誰かが亡くなると、その人を悼み、その人への愛を花に託したと思われます。

どうも、私たちがイメージしてきた野蛮な原始人とは違う様です。

故人への愛を花に託すと言うのは、太古の昔からあったのですね。

つまり、愛すると言う事、あるいはそれを何かに託すと言う事は人間として根源的な心の働きとして続いて来たのです。

心の働きや人への愛の深さについて、私たちの方が進化しているとは言えないかも知れません。

人への思いよりも、儀礼的に「そう言うもんだ」とか「他の人に引けを取らない様に」だとか。

そうなるとどうも現代人は、心としては退化しているのかも知れません。

かく言う私自身が反省するところ大でございます。

亡くなられた隣家の高齢の奥さまは、たくさんの花を植えられて、とても綺麗にしておられました。

なので、ボサボサの生垣だと嫌だろうなと思っておりました。

生垣は「白丁花」と言う木です。日が当たる場所だと可憐な白い花をたくさん付ける木なんですね。

なので株分けをして日当たりの良い場所にも新しく植えてみました。

花がたくさん咲いたら喜んでもらえるかも知れません。

愛ってのも人として生きているから花に託せる。

そう思えば、背中の痛みも心も和らいで来ます。

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