辻川慎一つくば便り
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鉄道員は結ぶよどこまでも
みなさま、あっという間に年の瀬ですね。慌ただしいと思いますが、せっかくですから気持ちを落ち着けて、お互いに良い時間を過ごしたいですね。
私の方、昨日の日曜日は鉄道時代の仲間たちからお誘いを頂きいわき市まで行って来ました。東日本大震災と原発事故の時に、仲間たちと作ったいわき合同ユニオンと言う労働組合の大会でございました。
大会と言うと堅苦しい感じですが、アルコール付の食事を頂きながら活動報告をして会計報告、来年はこうしようか?なんていつも楽しく語り合います。
私の方は常磐線で、原ノ町行き普通電車に乗り換えました。国鉄時代のカラーリングをした531系でございました。制輪子交換をはじめ、私も検査修繕に携わった車両です。
旅のお供は、バス会社の先輩から頂いた本でございます。
「辻川はマナーがなってないから勉強しろってことなんですね?」と言うと「いやぁ、辻川さんは上を目指している様だから。」と言うので「上を目指すって?もう天国くらいしかないですよ。」なんて笑い合いました。
あんまり「HowTo」系の本は読まないのですが、良い大人になってからも仲間同士だけで通じる様な言葉使いはやめるべきだと言う事については、説得力がございました。
そう言われると、いつまでも子供みたいな人が増えて、さすが大人だと感じられる人がいなくなりました。その点を誰よりも私自身が反省したのでございます。
会場は、とっても気さくで感じが良いご夫婦が経営しているお店でございました。
お料理は、素材と人柄を頂く。
お刺身も美味しく頂きました。
ユニオンの委員長が、この店を選ぶのが分かります。
お酒が入る前から、変わらぬ弾丸トークがはじまりました。
みなさんの話しを聞きながら、いつも感心するのはとにかく色んな人の名や近況が果てしなく出て来る事。
それから仲間からの相談事には、地域のつなかりで良い解決を図っている事なんですね。
つまり、人のつながりこそが大切だと言う事を鉄道員たちは知っているのです。
だから、鉄道員はもちろん、いろんな人たちをつなげているのでございます。
そのつながりが果てしないくらいに人の名前が、それぞれのエピソードや関係と共に出て来るのでございます。
労働組合の所属や職業の別もありません。人としてのつながりを、鉄道員たちの仲間が作っているのです。
党派や宗教や組合ごとに分かれて対立し合う事に対して「どうしたらその壁を超えて、仲間として一緒にやれるのか?」が私のテーマでしたが、こういう事なんだよーってしみじみ感じた次第です。
生シラスとその天ぷらも美味しく頂きました。
毎年12月になると心が沈んで来ました。年が明けると息子の一人の命日が来るからです。来年13回忌になるのですが、ユニオンの委員長のお母さんの13回忌が終わったばかりだと聞きました。
えっ?するとお母さんを亡くされたばかりだったのに、息子を亡くした私のところに何度も来てくれたの?ととても申し訳ない事に改めて気付いたのでございます。
「自分の悲しみばかりで、気付かずに申し訳ありませんでした。」と言いましたら、涙が溢れて来ました。
鉄道時代には、別の労働組合に入っておられた仲間が「辻川さんは、みんなに支えられていたのですね。」としみじみ言いました。
そんな失礼極まりない私に「辻川さんと一緒に闘った事は、みんなの誇りである事には何の変わりもないのですよ。」と動労水戸の書記長さんが言ってくれました。
そう。
それほどまで意気に感じ、支え続けてくれた凄い仲間たちがいるのに、私自身が卑しく自分の事ばかりにとらわれいてはならない。私自身も仲間たちの果てしないつながりの中にしっかりいるのですから。
帰路、仲間たちとの固い絆を噛み締めながら水戸駅の立ち食いそばを頂きました。
汁が機械から出されているのに驚きました。私は、JRの駅蕎麦屋にも置かれておりましたので、働く人には感謝しながらもずいぶん味気ないものに変わってしまったものだと思いました。
時代は変わる。鉄道の現場も変わる。
私はもはや、鉄道員でなくバス運転士。
でも、仲間たちと共に人をつないでいるのは一緒なんですね。
命はDNA、ゲノムまで分けらる時代です。しかし、それで命は分からない。命は無数のネットワークの中にある。
つまり人は分けても分からない。分断して、対立させて境界をつくり、国をつくり、その中で村組織をつくり、そこから人を見て分かった様な気になって安住する。
それでは、環境の激変には対応できないのだと思います。
仲間たちは、時代の変化や天災、東日本大震災・原発事故の経験と精一杯闘って来てここにある。
昔と決して同じでは無いのです。
大人として、人を分ける壁を突き壊し、さらにつながりを強めながら今の時代に立ち向かっている。
私が負ける訳には行きません。
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2024/12/23 13:08
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ちょっとミラクル。
学校の方は、明日23日か24日で今年は終わります。なので学校送迎の運転士さんたちの乗務も終わります。
私が主に担当している工場の送迎バスは、28日の土曜日まであります。日給月給なので、私としてはその方が助かるのですが昨日の土曜日も、来週の土曜日も出勤になります。
2週間連続の6日間勤務は、なかなか重い上、年末のバス整備・清掃がそこに加わってさらに精神的にも肉体的にもハードです。
1台仕上げれば良いのかな?と思っておりましたら、少なくとも2台はやらないと残り作業が他の同僚に行くと聞いて「やるしかない」と、昨日の午後も2時間半前に車庫に行き、一番手のかかる「大物」をやりました。
もう1台分のカーテン洗いとコンプレッサーでの車内の隠れたゴミやホコリ取り、そして車内の天上、壁、荷物棚の拭き上げです。
カーテンの何が大変かと言うと、洗ってからの取り付けなんですね。カーテンの組み合わせがある上、レールが隠れておりますのでフックを掛けるのが大変なのです。見ながらやろうとしても、なかなか見えないのでクビが痛くなりますし、逆光だと全然見えません。
結局手触りでグルグル回ってしまう小さな輪に、小さなフックを掛けて行くしかないのでございます。それが片側90個。
古くて、分からない例えだと思いますが、廃車になった415系電車のカーボンブラシ交換作業に近いものがあります。今の三相誘導モーターと違い昔の直流モーターにはカーボンブラシと言うのが付いていて、それがだんだんと減るので定期(交番)検査で長さを測り、減っていれば交換しなければなりませんでした。
電車の床下で、見えない狭いところに片手を入れて外し、再び取り付ける。やはり見えないところに取り付けるのが、めちゃくちゃ難度が高かった作業でした。
それを思えば、大した事は無い!と自分に言い聞かせながら、こつをつかんて行く訳です。
それでも簡単に行くところと行かないところがあるのも不思議です。腰も背中も痛んできます。
でも、最初にやったバスの時よりはかなり早くできる様になりました。
アナログで手間がかかるバスなんですね。
そして雑巾で車内をくまなく拭き上げる。
暗くなる出庫の時間に何とか間に合わせる事が出来ました。
そして疲れ気味ながら乗務開始。
するとどうでしょうか?
車内の空気感が全然違うのです。なんだか澄んでいて心が落ち着くんですね。
それから、全然関係ないはずなのにいつも道路の凸凹を拾ってギーギー軋む「恥ずかしい」バスなのに、きしみ音までしないのでございます。
なんだかミラクルでございました。
手間をかけ、時間をかけた分、撫でたくなる様な愛着が湧くのが不思議です。
道路は、土曜日渋滞でいつもの渋滞よりひどいくらいでしたが、自分が納得できる運転が出来ました。
日々自分の課題と向き合い、その度に改良を図って来ましたので多少なりとも技量は上がって来たのかなと感じますが、やはり何より心の状態が運転に出るのだと思います。
欲が出たり、急いだり、慌てたりすると危険が増える。ギアも入ってくれない。状況に合わせながら、丁寧にシフトチェンジするとちゃんと入ってくれるんですね。
面倒くさいと思えば面倒くさくなりますが、オートマでは味わえない感覚だと思います。
(父に頂いた焼酎です。)
都市部や大きな会社では、清掃も整備もちゃんと分業化されている様です。茨城は、バス運転士の賃金も低いと同僚たちが言います。
それは、それで改善されないとバス運転士のなり手は増えないのかも知れません。
でも、冷たい水でバスの内外を手仕事で拭き上げたりしているから、なんだか古いバスでも応えてくれているのかななんてミラクルは人任せの中には無い様に思います。
古いバスの相棒と一緒に、古くなって来た私も明日から28日まで、小さなミラクルを感じながら頑張れたら良いなと思います。
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2024/12/22 06:26
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何が間違って来たのか?
雪の朝に続き、今朝はマイナス4℃でございました。
バスの窓の氷が、外気が低すぎて簡単に溶けませんでした。
乗務後に、カーテンを洗濯しようと計画していたら水道が凍っておりました。
昼間も気温があまり上がらないので、いよいよ冬本番かなと思います。
手もしびれて字を書くのも、一つ一つの作業もなかなか思う様には行きません。
私の担当バスは古いタイプなので、色々と不便で「余計な」作業があります。
シートベルトも、収納式ならば放っておいても大丈夫なんですが、使用後はこの様に一つ一つそろえておかないと乱雑になってしまいます。いちいち「面倒」なんですね。
カーテンもUVカットで、ややスモークがかかっている新しいバスにはありません。
手間がかかる訳です。
不満を言えば、不満だらけになってしまいます。
でも、その分常に「面倒くさい」と思う自分の心と向き合い、乗ってくれている人たちとも向き合う事になります。
それを誰かに認めて欲しいとなると、認められない事に不満が出て来る訳です。
そうしますと、私を認めて欲しい。→お金でか?名声でか?になるのですね。
ところで、財産や名声を目的とするならば、どんなに立派な事をしても小さな事になる。小さな事でも、自分が善いと思う事を積み重ねる事が人としての本当の天の道であり、幸福があるのだと江戸時代初期の中江藤樹さんが言っております。
人は分類しても分からない。肉体と知と魂として、一人一人と向き合う事でしか人としての関係にはならないとも言っております。
不思議な事に、それから400年経った今でも同じ事を言っている人がおります。例えば生物学者の福岡伸一さんや宇宙飛行士の毛利衛さんです。
現在の最先端にある人と江戸時代の学者さんが、同じところに到達していると私は感じて驚きます。
分けるのではなく、お互いに切れない関係で私たちは生きている。借りに人や生命が終わっても天(宇宙)の道は終わらない。天の道を歩むのが人本来なんだ。
そう言う点で同じと感じる訳です。
フェイスブックで見かけました。
私が生まれた富山の街からは、立山連峰が晴れればこんな風に見えるのです。冬の景色ですね。
父が家族のために、仕事を求め故郷を出なければ私も、この山々を見ながら富山で育ったかも知れません。
茨城よりも過酷な冬がある富山、岩手、北海道で父が働き、母が家事をしながら私を育ててくれたのですね。
そんな私が、いつか「名」のために両親を苦しめながら「大義に生きる」といい気になっていた訳です。
私を育てるために、苦労を厭わなかった親を顧みないところで、私は天の道から離れていた。
どんなに立派そうな事を言い、やっていたとしても、それが自分の名声や評価のためであるならば何にもならない。
真心では無いのですから。
その報いを受ける事になりました。
師走に走るバスを運転しながら、寒さの中でバスの清掃・整備をしながら、何より自分のダメさと向き合い、これからどう生きるべきかを考えております。
親の恩を忘れず、日常生活をちゃんと見直す事が全ての土台であると言うのが、中江藤樹さんと妻が同じである事にも驚きます。
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2024/12/20 16:10
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私も弱いので。
暗い中を出勤するのに車で走り出しましたら、チラチラと降るものがありました。雨じゃない、雪みたいだと思ったらだんだんと強くなって来ました。
参ったな〜。年内は大丈夫だろうと、まだスタッドレスタイヤに換えておりませんでした。
車庫に着いたら、さらに強くなって来ました。
同僚たちと「参りましたね。寒いですね〜。」と話しながら「止んで晴れるはずです。」との予報を頼りにする事に。
出庫の頃には止んだのですが、路面が濡れておりますのでバスのボディははねた泥水で汚れます。
帰庫して早速洗車機にかけた上、年末作業の課題である圧縮空気での室内のホコリ除去作業をやる事にしました。
窓を開けないとホコリが充満するのですが、何と私の担当バスは客席の窓が開きません。
仕方がないので非常扉を開けて、マスクをして作業開始。
いやぁ、普段ほうきが届かない最後部の椅子の下からホコリの塊だけでなくアメの包装袋やいろんなものが出て来ました。
おまけに、私がなくして困っていたペンライトのヘッド部分まで出て来たのは有り難かった。
運転席でキロ数を見たり(記入項目にあるのでございます。)、運転記録を記入するのにも、車両点検するのにも使っているものです。
何せ老眼で良く見えない私に取って、老眼鏡と共に無いと仕事にならない必需品なんですね。
バスの車内は綺麗になるし、紛失物も見つかるしやって良かった〜と思い、車内をさらに掃き、モップで拭き上げ、外窓とボディの水滴をスクレイパーで落とし、さらにタオルで拭き上げたら一時帰宅だと考えておりましたら「辻川さん、今日は雪で中止かなと思ったら大掃除やるんだね。」と同僚が言うのです。
「え~っ、今日は大掃除だったのですか?」と慌てて、帰りが遅れますと妻に連絡しました。
大掃除の分担は、側溝に溜まった落ち葉を取り除いて流れを良くする事。ほうきで集めながら手で袋に入れておりましたが、結局周りの落ち葉も集めないと直ぐに側溝に溜まってしまいます。
なので、周りの落ち葉も集める事に。
夏は草との闘いですが、この時期は数限りなく落ちて来る落ち葉との闘いなんですね。
自然が豊かだと言う事ではあるのですが。
落ち葉を掃いていましたら、本社ビルの清掃をしていた取締役の人から「一段落したら外窓もやってもらえますか?」と言うので、タオルで拭きました。
その方は、掃除になるとみなさんが使用するトイレの清掃を徹底してやる人なんですね。
便器の中まで手で磨きます。
朝早くから夜遅くまで仕事をして、人が足りなければバスも運転します。いつも険しい顔をしているのは責任感からなのかと思います。笑っている時には、私も安堵したりします。
普段見えないところが、綺麗である事は人でも、会社でも大事だと思いますので裏窓も出来る限りですが、綺麗にしました。
ゴム長靴を履いて作業していたためか、足が冷えて来て、持病のお尻が痛んで来ました。それでも、我慢しながらやりました。
小学1年生で手術はしたのですが良くはならず、私に取ってまるでウルトラマンのカラータイマーなのでございます。
子どもの頃から人知れぬ弱さを抱えながら、頑張って来た感じです。
でも弱点があるって大事ですよね。
弱いから、他の人の弱さに同情して来れたのかも知れません。
弱さに負けずに頑張っている人を尊敬して来た様にも思います。
優しさと甘さは違うのですね。と昨日のブログでも考えてみた訳ですが、弱さで落ちこんだりするのが、人間ですよね。人がどうのこうのよりも、自分の弱さを見つめながらも、自分はどうするか?
掃除をすると言う行為は、そんな弱い自分を見直しながら、自分自身を清め、リセットする事なのかな?なんて思います。
毎日大掃除状態の妻がおりますので、疲れて帰宅してからも出来るだけですが手伝った次第です。
良い新年を迎えるための大掃除をしながら、私の食事も用意してくれます。
さて、こちらの明日は氷点下3℃予報。
明後日は冬至ですね。
師走は事故シーズンでもあります。
自分の弱さを見据えながら、何より安全第一で頑張ります。
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2024/12/19 16:15
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見せかけの優しさでなく。
どうも、あれもこれもやらなければに支配されて一つ一つが雑になる。しかも人に良く見られたいと言う欲まであるので矛盾する。
結局自分のためにもならず、トホホな結果になって来た様に思います。
本質で同じ事をいつまでも繰り返すのは、愚かですね。
今日は、せっかく担当バスが変わりましたので、あれもこれもと言う気持ちを抑えながら朝乗務後の年末作業をやりました。
ヘッドレストカバーを外し、洗濯機で洗い、取り付けました。
外すよりは、装着の方が手間取ります。綺麗に付けないと台無しですので。
一つ一つ付けながら「何年か前に、657系の座席シール貼りを、仲間たちと一緒にワイワイ言いながら楽しくやったな〜。」なんて思い出ます。
「シートベルトをお締め下さい。」と書いてあり「お手数をかけますが、万が一のためにシートベルトをお願いします。」とアナウンスするけど、ほとんどの人がやらないな〜。なんて思ったりします。
シートベルトをしないと、万が一の場合の保証が10%ほど引かれてしまうのです。運転士が注意喚起しないと、運転士の責任も問われます。
私も万が一も無い様に運転はしているのですが、絶対は無い訳です。
そんなこんなも思いながら、最後にカバーの取り付け状態をチェックしました。
やらなければならない。やれば良いと言うやっつけ仕事だと、やはり自分に取って良くないのだなと思いました。土台楽しくない訳です。
ちゃんとやると気持ちが落ち着きますね。自分のためが、人のため。そんな感じが致します。
本当に自分に優しくあると言う事は、人に優しくあると言う事と一体。
自分に甘いから、人にも甘くしてダメな事も良しとすると自分も人もそれまでになる。
相手の甘さに依拠して、実は自分の甘さを容認しているだけなんですね。
自分が好き!ではなく、嫌われたくない、良く思われたいと言うのは、自分が自分の人生の主人公になれていないと言う事なんですね。
そう言う人だと「中味ゼロ!」になる。「あいつは中味ゼロだよ!」と同僚が言うのを聞いて驚きました。
中味ゼロって何だろう?厳しい言葉でしたが、果たして自分と無関係だろうか?
自分が自分の人生の主人公になれず、見かけだけ繕うならば、67年も生きて来た私だって中味ゼロって事になるな。
見せかけが通るほど甘い世界はどこにも無いのだ。本物の優しさこそが人の中に残って行くのではないかと改めて学んでおります。
未選択
2024/12/18 16:04
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