辻川慎一つくば便り
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アメリカン・パイ
昨日は、妻がアップルパイを食べたいと言うので、スマホで調べてもらいました。
そうしましたら、土浦市天川と言う古い住宅街に「アメリカン・パイ」のお店があると言うので行って見ました。
「アメリカン・パイ」って言う歌があったね。と言うと妻は知らないと言います。
ちょっと歌って見てと言いので「バイ〜バイ ミスアメリカン・パイ♪」とワンフレーズを歌ったのですが、やっぱり知らないと言います。
調べましたら1971年の洋楽ヒット曲で、ドン・マクリーンと言う人が歌っておりました。
私が中学2年生の時に、よくラジオから流れていたのだと思います。「電話リクエスト」なんて言うラジオ番組があって、同級生たちも聞いておりました。
https://youtu.be/hFb_Lg9nV_c?si=3rzIs7gzFm0JLRrY
アメリカン・パイって、アップルパイが一般的みたいです。
これでございます。
優しい味のアップルパイでございました。
ミートパイも買って見ました。
はじめてのミートパイ。こちらはビールが合う感じです。
住宅街の一角で、良くやれてるな〜って思いますが「お土産にしたいと言うお客様がいるので、10時から開店しています。」との事でした。
お店の中には、楽しく可愛いアメリカ雑貨も売られており、店内で食べる事もできます。
お店の人も感じが良いです。
味が濃いのが好きな人には物足りないかも知れませんが、素材を大事にしているのか余計な甘さや塩分が控えられている様に感じます。
時々良いお店に当たります。また行ってみたいお店です。
もっとも、私一人なら訪ねる事は無かったと思います。私の方は、生きてきた世界が狭かったので、妻がいての事ではあります。
世界の人々がグローバルにつながり、お金さえあれば一人で生きる事に不自由しなくなった現在ですが、私たちの意識は、物不足で、相互に助け合わないと生きて行けなかった時代の村社会のままなのかも知れません。
なので、かなりの人が「みんな一緒」みたいな暗黙の同調圧力に苦しんでいますよね。
同じ人なんか一人もいないのに、仲間だ、友だちだ、同じ組織の一員だとか。
みんな違う他者なんだってところから、違う他者を尊重する中で時代に対応する人のつながり・連帯って事を考えて築いて行かないと、今の時代には通用しなくなっている。
それは、昔のまんまの発想から抜け出せず、知らず知らずに人を傷つけて来た私自身の課題である様に思います。
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2025/01/14 15:29
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渋い思い。
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年で一番寒いのは、1月後半から2月前半にかけてらしいですね。つまり、いよいよ寒さがピークになる訳です。
でも、夜明けと夕暮れに発車する毎日を送っていますと確実に日がのびている事も感じます。
辛い事ばかりではありませんね。
ともあれ、あまり体調がすぐれない身としては、有り難い3日間の連休でございます。
毎朝7時近くまで眠っておりますと、仕事が始まってまた3時起きができるのかなー?なんて心配にもなります。
でもずいぶんと楽になった感じがしますので、やっぱり心も身体も休養は大事だなって思います。
味と素材と値段のバランスがあまり良くないと感じるのでチェーン店はなるべく避けている私たちなんですが、ちょっとお気に入っているのが「山岡家」の「朝ラー」です。
定番細麺のとんこつラーメンなんですが、ねり梅がトッピングされていて硬さ、油の量、味の濃さが選択できます。
そして安い割に満足度が高いのです。
山岡家が人気のある理由が分かります。
各店で微妙に違うので、やはり同じ山岡家でも合う合わないもあります。
先日は、山岡家の記念すべき1号店が6号国道沿いの「牛久店」である事が分かり行って見ました。
まだ午前10時頃でしたが、こちらもお客さんは絶えませんでした。
24時間365日開店していながら、働く人にも優しいとのキャッチフレーズですが、働く人たちも感じが良いのであながち誇張では無い様に思います。
働いている人を見ると、どんな会社やお店なのかって大体分かりますよね。
不味ければお話しになりませんが、店の人の感じが悪ければやはり客足は遠のく様に思います。
商品に大した差がなければ、人を選ぶのは当たり前の事だと思います。
ですから人を育てたり、大事にする事を忘れた企業やお店は廃れて行くのだと思います。
結局最後は人を選んでいる様に思います。
さて、そうなるといつも思うのは「自分はどうだろう?」って事です。
良い年になって、大した技量も能力も無い。なので「給料を上げろ!」と言うほどの仕事をしているのか?なんて思ってしまいます。
もはや査定の対象ですらありません。
でも、自分の限界や出来ない事があると知る事も大事だと思います。限界を知るから挑戦し続ける努力もできる訳です。
苦味を知る人が、味の深みを感じられるそうです。
人生の苦味を知る事で、人生の深みを感じられると言う訳です。
今朝は、まだ青いバナナを食べて見ました。青いバナナは、硬くて渋いのですね。妻には「青いのには毒があるのだから、食べたらダメでしょう!」と叱られました。
渋いってのは味覚ではないそうです。渋いって「華美でなく格好良い」と言う意味と「ケチ」って言う意味があります。渋みも深い。
やっぱり人生は、紙一重なんですね。
どうも格好良く行きません。
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2025/01/13 11:57
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生まれ故郷
昨日は、柄にもなく、大日如来だの菩薩だのとの話題になってしまいました。
私が生まれたのは富山県の立山町と言うとこです。私の父親の故郷なんですが、小学生の頃は毎年の様に夜行列車を使い家族で帰省して父の兄弟の家に泊めて頂きました。
おじさんたちにとても可愛かって頂きながら「慎一、あれが立山。左の山が剣岳、右の方が大日岳、さらに右の方が薬師岳だよ。」と教えて頂いたのを覚えています。
立山と言うのは、金沢の白山、富士山と共に日本の「三大霊峰」との事で1300年前から神の山として信仰を集めて来た山なんですね。
そして大日岳とは大日如来が祀られ、薬師岳とは薬師如来が祀られている山と言う事でその名が付いているのです。
生まれたところではあっても、父が家族のために仕事を求めて、九州から北海道まで渡り、日立市にたどり着き小学生からは茨城県民と言う事になりましたので、富山は父の故郷で私の故郷では無い様に思って来たのですが、どうもそう言うものでも無いのかも知れない。と思い始めております。
昨年末に、毎年干し芋の買付けを頼まれているバスの運転士さんに父から頂いた富山の蒲鉾をおすそ分けしました。
年が明けて、一昨日。乗務を終えて車内清掃しているとこにその運転士さんが来ました。「辻川さんは、富山のどこ生まれなんですか?仕事で富山に行った時に割烹旅館に泊まって食べた蒲鉾がとても美味しかった。翌日は金沢だったので市場で探したんだけど無かったんだよ。」とそんな話しをしてくれました。
つまり、ずっと食べたいと思っていた蒲鉾を想定外に頂いたと言う事でした。
「私の生まれは、立山町と言うところなんですよ。喜んでもらえて嬉しいです!」そんなやり取りがありました。
父も高齢になり、一緒に富山に行く事はできなくなってしまったのですが、今さらながらに「俺は富山で生を受けたんだ。」と思ったのでございます。
祖父やおじさんが住んでいた富山地方鉄道の「五百石」と言う駅です。
駅と古い家の記憶はあります。
昨日訪ねて来てくれた友人は、都会生まれの都会育ちで「田舎も良いと思っていたのだけど、年を重ねて来たら殺伐としている様な街の方が落ち着くんだよ。」とそんな話しをしてくれました。
都会であれ、故郷は故郷なんだと思います。
私もこの年になって生まれ故郷と言うのもあるんだと感じる様になって来ました。
しかも、神が宿り、仏が祀られている山々がある歴史も自然も豊かな地で生まれたと言う事を自分が粗末にしてはならないなと思い始めた訳です。
大日如来の話題を上げてから、おじさんたちに大日岳と言う山を教えて頂いたのを思い出したのです。不思議な事ではありますが、偶然では無い様にも思います。
そのおじさんたちもだんだんとこの世を去って行きました。
自分の心の中に仏がある事を見出す。それが、悟りと言う事なんですね。小難しい事では無い。
目先の利益や執着にとらわれて、時代と共に退化してしまった心の問題を生まれ故郷のおじさんにたちや山々の事を思い浮かべながら考えます。
何より私自身が、大切にすべきことを間違えていた事を見直しながらです。
https://youtu.be/ysQ_2IfYolM?si=ztink7pIL1vnC97N
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2025/01/12 17:24
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ちょっと休養チュー。
昨晩の夜便。いつも最終便に乗るベトナム人の実習生の女性に「今日は早かったですね。」と話していましたら「食べませんか?」とサンドイッチを頂きました。ベトナム語のあいさつを教えてくれた人です。私の名前を覚えてくれますので、私も彼女の名前を覚えております。
想定外の事でしたが「ありがとうございます。頂きます!」と一つ頂きました。
そこに、別の同僚が来て「辻川さん明日の土曜日は休みですか?」と聞いて来ました。「以前と違い、もう責任者ではないので私には何の情報も入って来ないのですよ。出勤日が分からないのは困りますね。」と話しを致しました。
その同僚が自分のバスに戻りましたら、「実習生」の人が「私が、出勤日のカレンダーを持っています!」と探して見せてくれました。
「わぁー、ありがとうございます。助かります!」と重ねてお礼を伝えました。
毎日送迎している「だけ」の私を気にかけて、できる事なら助けたいと思ってくれている事にとても嬉しく感じた次第です。
人として、できる事なら助けになりたいと思っているのですよね。「大変で、かわいそうな人たち」なんかではなく、人としてはお互い様で対等なんだよな〜って学び直した瞬間でございました。
人種も、国籍も関係ない。人としての関係なのだと思います。
(大日如来。宇宙の仏様なんですね。如来も自分の中にいる。)
そんな事がありながら無事に乗務を終えた訳ですが、どうにもフラフラが止まりません。
帰宅して妻が作ってくれた美味しく温まるお汁を頂きながら、軽く一杯やりお代わりをしようと立ち上がりましたら目まいがして床にこぼしてしまいました。
ストレスで自律神経がおかしくなっているのだと思います。これ以上無いくらいの悲しみの時から不定期に続いて来ました。
自分では大丈夫と思っても突然フラッと来るのです。先日もそれで運転席のドアを隣のバスにぶつけてしまいました。突然来るので構え様が無いのが辛いですね。
そう言っても、経験してなければ分からない人には分からないのですから。不注意としか思われませんので、謝るしかないのです。
自律神経の失調の症状の一つにフラフラ感や目まいがある訳ですが、直接的には脳の血流が悪くなり酸欠状態になるのでフラッとするのですね。
身体全体もですが、脳の血流を良くする対策を自分で取らなければなりません。
と言う訳で、朝からストレッチをしたり足踏みをしたりと軽い運動をやり、朝日を浴びながら深呼吸をしたりしました。
遠方から友人が訪ねて来てくれましたので、一緒に常陸秋そばを頂き、お風呂に入り温めの「重炭酸泉」にゆっくりと浸かって来ました。
温めながらストレス発散ですね。
簡単に良くなる訳ではありませんので、じっくりと。目まいが来る事にも構えながら。
色々とこれまで通りには行かないのですが、同年代の理解し合える友人がいると言うのにはやはり救われます。
ますます救われてばかりの人生でになって来ました。
(仏になるための修行を積むのが菩薩なんですね。菩薩も自分の中にいる。)
さて、最近知った事ですが、キリスト教などの考え方と仏教の大きな違いです。
西洋の神様は、自分(人間界)と別なところにいると考えるのですが、仏教の神様(仏)と言うのは自分の中に、自分の心の中にあると考えるところが大きな違いなんですね。
自分自身の中の仏(神様)を生きる。自分自身が如来や菩薩になって行く。そのための修行をする。修行とは特別の事ばかりでなく、私たち人間界の日常の中にある。
そう言う考え方なのだと思います。
人の心の中に仏もあれば、卑しさもある。自分自身を見ると分かります。だからこそ、仏の心を見いだして、そこに生きよう。
仏の心や道と言うのは、大日如来にも現れておりますが、宇宙の道・天の道に通じている様に思います。
自分の都合の良い様に、ご利益ばかり願うと言う事とは全く違う考え方なんですね。
自分の中の仏を生きる、そうして人は仏になって儚く限りある自分の生を全うする。
なるほど、キリスト教的西洋的考え方と根本が違いますね。
神様のために生きるのではなく、自分の中の神・仏を生きよ!って事ですから。
目まいがして、フラフラしながらも、見えて来た事もございます。
心の中でもっとも尊いのが、慈悲の心。母の子に対する無償の愛なんですね。
立派な建前ばかりで、実は「現世御利益」の人たちばかりなので、自分の夕食であろうサンドイッチを一つ分けてくれる労働者の気持ちが嬉しく感じるのかも知れません。
私も自分の仏を探して、生きないとと思います。
今日は、ちょっと休養しております。
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2025/01/11 16:08
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ぜい肉と執着を落としチュー
昨年末、会社の一斉健康診断の日に倒れて動けなくなってしまいました。受けないとバスの運転ができなくなりますので今日は乗務の空き時間に病院に行き健康診断を受けて来ました。
15年ぶりくらいでまたタバコを吸い始めてしまいましたので、医師に注意されるかな?と覚悟していたのですが「1年前より体重が5キロ以上減って、腹囲も減っている!」と驚かれた次第です。
「どうして?」と聞くので「食事ですね。」と答えました。
夜遅い仕事だと寝る直前の食事になりますので、大体の同僚が「太る」と言います。
私も帰宅が21時近く、22時には寝て3時起きの毎日です。
特に寒い時期は、寝る前に胃の負担が少なく、身体が温まる様にと妻が汁物を作ってくれます。
汁物に20度の焼酎をお湯割り3杯頂く。
これで十分なんですね。
アルコールは、それ以上飲むとアルコールが残ってしまうだけでなく睡眠障害になる事がようやく分かって来ました。
眠らないといけないとアルコールに依存すると逆の結果になるのですね。
そんな訳で、頂いた野菜を食べ続けた
事と妻の料理の凄さを実感した健康診断でございました。
肺も綺麗で、心臓にも以上無しとの事でした。
まあ医師の言葉に依存するのも人頼みに変わりはありませんので、自分の生き方の見直しはまだまだこれからだと思います。
突然倒れても、医師が大丈夫って言ったのになんて言っても仕方ない事ですし、これで大丈夫なんて事は無いのですから。
(つくばみらい市にある板橋不動尊です。建物は江戸時代後期のものながら、何と1200年の歴史があるとの事です。)
800年くらい前に生きた吉田兼好と言う人が「徒然草」で、「世の中は無常であり、何かに執着するような人生ではいけない。 人間はいつか死ぬのだから、様々なしがらみを捨て、今この瞬間を大切にし、本当に自分が生きたいような人生を生きなければならない。」と書き残しているのですね。
執着なんかしても、全ては変わりゆく。執着やしがらみを捨てたところで今を生き、自分を生きられるんだよ。
そう言う教えの様に思います。
執着って?と思いますが、例えば人より早く行きたいと、やみくもな運転をするのも執着だと思います。
執着すると自分を失う。
会社や誰かの評価ばかり考えて行動するのも執着。
執着すると、自分も人も見えなくなる。
結構、そんな事ってたくさんありませんか?
私なんか、過去の事ばかりに執着して、現在生きている事がおろそかになってしまう。
なかなか執着を捨てるって事は大変なんですね。
執着して人を殺してしまうなんて事も、ありますよね。
(板橋不動尊の不動像。弘法大師空海が彫ったとされているとの事です。)
執着を捨て、ぜい肉を落とし、世界や人との関係が変わったら全然違うものが見えて、何より自分自身が変わるかも知れませんね。
新年第一週、執着を捨てながら締めの乗務に行って来ます。
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2025/01/10 16:02
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