辻川慎一つくば便り

生まれ故郷

昨日は、柄にもなく、大日如来だの菩薩だのとの話題になってしまいました。

私が生まれたのは富山県の立山町と言うとこです。私の父親の故郷なんですが、小学生の頃は毎年の様に夜行列車を使い家族で帰省して父の兄弟の家に泊めて頂きました。

おじさんたちにとても可愛かって頂きながら「慎一、あれが立山。左の山が剣岳、右の方が大日岳、さらに右の方が薬師岳だよ。」と教えて頂いたのを覚えています。



立山と言うのは、金沢の白山、富士山と共に日本の「三大霊峰」との事で1300年前から神の山として信仰を集めて来た山なんですね。


そして大日岳とは大日如来が祀られ、薬師岳とは薬師如来が祀られている山と言う事でその名が付いているのです。

生まれたところではあっても、父が家族のために仕事を求めて、九州から北海道まで渡り、日立市にたどり着き小学生からは茨城県民と言う事になりましたので、富山は父の故郷で私の故郷では無い様に思って来たのですが、どうもそう言うものでも無いのかも知れない。と思い始めております。


昨年末に、毎年干し芋の買付けを頼まれているバスの運転士さんに父から頂いた富山の蒲鉾をおすそ分けしました。


年が明けて、一昨日。乗務を終えて車内清掃しているとこにその運転士さんが来ました。「辻川さんは、富山のどこ生まれなんですか?仕事で富山に行った時に割烹旅館に泊まって食べた蒲鉾がとても美味しかった。翌日は金沢だったので市場で探したんだけど無かったんだよ。」とそんな話しをしてくれました。

つまり、ずっと食べたいと思っていた蒲鉾を想定外に頂いたと言う事でした。

「私の生まれは、立山町と言うところなんですよ。喜んでもらえて嬉しいです!」そんなやり取りがありました。

父も高齢になり、一緒に富山に行く事はできなくなってしまったのですが、今さらながらに「俺は富山で生を受けたんだ。」と思ったのでございます。


祖父やおじさんが住んでいた富山地方鉄道の「五百石」と言う駅です。

駅と古い家の記憶はあります。

昨日訪ねて来てくれた友人は、都会生まれの都会育ちで「田舎も良いと思っていたのだけど、年を重ねて来たら殺伐としている様な街の方が落ち着くんだよ。」とそんな話しをしてくれました。

都会であれ、故郷は故郷なんだと思います。

私もこの年になって生まれ故郷と言うのもあるんだと感じる様になって来ました。

しかも、神が宿り、仏が祀られている山々がある歴史も自然も豊かな地で生まれたと言う事を自分が粗末にしてはならないなと思い始めた訳です。

大日如来の話題を上げてから、おじさんたちに大日岳と言う山を教えて頂いたのを思い出したのです。不思議な事ではありますが、偶然では無い様にも思います。

そのおじさんたちもだんだんとこの世を去って行きました。

自分の心の中に仏がある事を見出す。それが、悟りと言う事なんですね。小難しい事では無い。

目先の利益や執着にとらわれて、時代と共に退化してしまった心の問題を生まれ故郷のおじさんにたちや山々の事を思い浮かべながら考えます。

何より私自身が、大切にすべきことを間違えていた事を見直しながらです。

https://youtu.be/ysQ_2IfYolM?si=ztink7pIL1vnC97N

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