「あと1週間が山だね。」
スクールバスの方が断然良いと言うNEXCO東日本で働かれていた同僚が言います。寒さの峠と言う意味ですね。
峠ではありますが、陽射しがあればその暖かさもしっかり感じます。
寒さも暑さもしっかりと感じられる事って大切だと思う様になりました。
自分の身体や心はしっかり感じて、命を維持するために休みなく防御しているのに、それを感じる事なく無謀な事ばかりしているから頑張れなくなってしまうのだと思います。
どうも自分自身の身体や心からの言葉無き声を聞こうとするよりも、数値化された世間の基準や専門家の意見、周りの声に振り回され過ぎてはいないか?と私自身も生き方を見直しているところです。
自分の事を人任せにしていたら、自分自身が生きている無二の存在であり、目の前の人も同じなのだと言う事が分からなくなって行く様に思います。
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(わが家スイセンの2輪目が咲きました。しっかりと春が来ています。)
バスの運転士になって良かったと思う事は、仕事の内容だけではありません。
色んな経歴や困難を抱えながら共に働いている同僚たちから生きると言う事について学べる事がたくさんあるのです。
例えば、朝早く夜遅い私の担当バスの仕事です。自律神経の調子が良くない様で突然ふらつくのですが、睡眠不足でもフラフラします。
なので、昼間に何とか眠らなければ持たないと「頑張って」寝る様にします。
ある日疲れた顔をしている添乗員の女性に「顔に疲れが出ていますね。」と声をかけましたら「母親の介護で、2時間くらいしか眠れないのです。」と言います。
仕事は、プロで凄い仕事をされますし、いつも周りを気遣い笑顔を絶やさない人です。
運転士に復帰する前に、添乗員の仕事を教えて頂いた事があります。その時から凄い人だと思って来ました。
私は、トータル何時間眠ったかで調子を判断する訳ですが、そう言う基準では成り立たない生き方をしております。
そんな基準を考えていても成り立たない生活と人生を送っているのです。
だからと言って全くへこたれず、強く明るく生き抜いている。
そう言う人がおりますと、私の大変さってどんだけ?と思うのでございます。
土台自分自身の身体や心が発している声なき声を聞こうともせずに、時間やお金や、検査数値頼みで生きていたら、充実感なんて生まれるはずが無い。
生きている基準自体が違うと思うのです。
医者通いや薬漬けで、自分の声を無視するのは自分の身体や心の働きの破壊ではないのか?とさえ思ったりします。
胃薬や消化薬を飲みながら浴びる様に酒を飲んで、辛さを忘れて眠ろうとしておりました。ジムに通い120キロのバーベルを上げて、俺は大丈夫だと思っておりました。
しかし、心が折れたら上げられないのです。
そんなものは人間の強さでも何でも無い。
私だけが大変な訳ではない。大変さを嘆く事も、逃げる事もなく向き合い、生きている人たちがたくさんいる。
そう言う人たちより、話題になっている有名人たちがどれほど凄いと言うのでしょうか?
私は、目の前の人たち、同僚の方々から学び、力を頂いている。私に取っては、それが日々力になっている。
確かに私は恵まれていると感じる日々です。