これは不運ではない。
みなさま、無事に1週間を終えて今日は8年ぶりに会う友人宅を訪ねます。
信念や理想を人におしつけるならば、人を分断し対立させる事になる。それが集団になると戦争になる。イスラエルの戦争が拡大している事、心がざわめきます。
我が友との間も「正義」の名の下に分断されました。しかし、時が経ちますといつも優しく私を迎えてくれた記憶が甦るのです。
つまり、善い人なんですね。
私からの連絡は、やはり想定外だったのだと思います。
でも会う日が近づいてくると「体調は大丈夫か?」「雨が心配だ。」とかメールが届きますのでやはり心待ちしてくれているのを感じて、私も嬉しくなります。

日本酒が大好きな人なので、お土産は私も好きな地酒に致しました。
どうも60才を前に、息子に死なれてからと言うもの、どんでん返しの連続でどん底に落ちる事ばかりが続いているのですが「それは不運ではない。」と言う言葉に会いました。
昨日も取り上げた、もう一人のマルクス。マルクス・アウレリウスです。
「波が砕ける岩頭の様であれ…君に起きたことが君が正しくある事を妨げるだろうか。広やかな心を持ち、自制心を持ち、賢く、考え深く、率直であり、謙遜であり、自由である事、その他同様の事を妨げるか。…これは不運ではない。しかしこれを気高く耐え忍ぶ事は幸運である。」
ローマ皇帝だった哲学者マルクスが残した言葉でした。
人生の試練は不運ではない、気高く耐え忍ぶ事ができるのは幸運だと言い切るのでございます。
気高くある事、何事からも自由な心である事以外に人に取って大切な事など無い。
いやぁ~、目が覚める様な言葉ですね。ビックリ致しました。

立ち姿を良くするために、余分と感じる草をカットしました。ドクダミだって凛として違って見えないでしょうか?
何が起きようとも、それを耐え忍び、気高さを忘れずに立ち続ける事、国鉄分割民営化に立ち向かった時のそもそもの初心でごさいました。
死を前にしても動じる事なく気高くある事が大切なんですね。
それが単なる知識ではなく教養と言う事の本質的力の様に思います。
それでは、友との大切な時間に向かいます。
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