辻川慎一つくば便り

人間は、人生という演劇の役者である。

今日は、工場送迎バスに戻りました。

すみっコぐらしの定位置でございます。朝の迎えで6日ぶりに顔を見たベトナム人実習生の人が「久しぶり〜。」と嬉しそうな顔をしてくれました。


バスを降りた小学生が、傘をさしながら手を振ってくれたり、添乗員さんにも顔を覚えて頂いたり「続けたいな〜」とも思うのですが、工場の送迎でも待ってくれている人がいるのです。

一瞬の事ですし、それ以上でも以下でも無いのですが、何やら心嬉しい私がおります。


すみっコの森の前で、自撮り撮影でございます。


いつの間にか、若さも、髪の毛も失われ、肉は垂れ、増えるのはシワばかり。

あ〜あって思ってしまいますが、ローマ帝国の有名な皇帝哲学者マルクス・アウレリウスは、こんな言葉を残しております。

「もっとも長命な者も、もっとも早死にする者も失うものは同じであると言うこと。なぜならば人が失いうるものは現在だけなのである。と言うのは彼が持っているのはこれのみであり、何人も持っていないものを失う事はできないからである。」

ふむふむ。人が失うのは若さではなく現在であり、持っていない過去も未来も失う事はできないと言うのであります。

確実に持っているのは現在だけ、今だけしかない。

明日死ぬかの様に今日を生きろ!って言ったガンジーさんと共通しますね。



それからこんな事も言っております。


「人間は、人生という演劇の役者である。」

あ~そう考えて見ると労働組合の委員長をやった時も、政治党派の幹部をしていた時も、家族を持った時も、その役を精一杯やって来たのだなって思います。

上手い役者であったかどうかは別にしてですが。

そしてさらにこんな事も言っております。

「耳に入ってくるものは全て意見であって事実ではない。目にするものは全てあるひとつの視点であって唯一の真実ではない。」
「あなたは自分の心に対して力を持っている – 外部の出来事ではなく。これに気付くと、力が湧いてくる。」

なるほど、なるほど。
外部の出来事に対して力があったのではなく、自分の心に対して力があったのか!散々色々やって一体何を成し遂げられたと言うのか?なんて思ったりするのですが、自分の今を生きる心に対してのみ、自分の力があると言うのですね。

人の話しと言うのは意見であって事実ではない。と言うのも本当にそうだと思います。

労働組合の委員長としては、かなり良い役者だったかも知れませんが、どうも人の意見に左右された時には「大根役者」だった様に思います。役になり切れず演じ切れなかったのですね。

ちなみに、大根は、消化が良いので腹を壊さない、当たりが悪いことから、芸の当たりが悪い役者を「大根役者」と呼ぶようになったと言われているそうです。


(大根は作っておりませんが、茄子の第一号を収穫致しました。)


6月は食中毒の季節かと思いますが、当たらない場合が良い時もあります。

何でも演じれば良いと言う訳ではありませんね。

まあ、当たり役があったと言う事だけでも幸せだったと思います。

して見ると今は、バス運転士を演じている事になるでしょうか?

当たりまで行かなくても、渋い役者として、誰かの心に残れたら本望です。

それから独居老人役も良い。
不良息子から孝行息子への変身なんて言う役も良いですね。

過去も未来も持っていないので、今を失わない様に大切にしながらです。

それでは、今夜の運転士役の幕開けでございます。

行って来ます。

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