辻川慎一つくば便り

梅雨でも天晴れ

いよいよ梅雨入りの様です。
今日は雨の中、小学校の送迎バスで「田んぼコース」でございます。

雨の日は酷いとは聞いておりましたが、泥水の水たまりが凄い道である事が良く分かりました。

狭い道で水たまりを避けて、子供たちを乗せる場所を選ぶのにも気を使います。

路肩も緩んでおりますから、対向車を避けるのも慎重に。
甘く見て油断してはならないのですね。無事に送迎してのプロであり、それで生活できているのでございます。


(梅雨入りと共に夏椿「沙羅双樹」の花が咲きはじめております。)


絶望と死が支配するアウシュビッツ収容所では、頑強な人でなく感動を無くした人から死んで行ったと言います。

だからユーモアで笑い合う事を日課にしたと言います。無感動の後に来るのは死のみである。だから、無関心や無感動と言うのは、人としては死んでいるのと変わらないのですね。

収容所の泥の水たまりに映る景色を見て「レンブラントの絵の様だ」って感動した人もいたそうです。


こんな絵だったのでしょうか?


そして、身だしなみや礼儀、あいさつをどんな状況でも忘れない人の方が、屈強な人よりも弱音を吐かず頑張ったとも言います。

「衣食足りて礼節を知る」と言われますが、実は礼節の習慣が過酷な環境の中で人としての存在を支えると言うのが真実の様です。

バスを運転して気を配りながら、水溜まりにレンブラントの絵を見るなんて言う芸当はとてもできませんが、道を譲って待機してくれるドライバーに手を上げてお辞儀をしたり、送って来た保護者の方にも同様にしたりする事は出来ます。

アウシュビッツほど酷い訳ではありませんが、笑顔と礼節、感動する心を大切にしないと死んだも同然になってしまうのは同じ様に思います。

小さな事にも心を働かせないと、動かなくなるのは身体と同じかも知れません。


(あまり綺麗な流れではない用水路に掛かっている「アカメガシワ」の木。あちこちに見かけるのですが、あまり立ち姿が良くありません。しかし、こちらの木には風情がある様に感じます。)


あっぱれ(天晴れ)と言う言葉があります。凄いとか素晴らしいとか言う意味だと思っておりましたら、あわれ(哀れ)の変形なんですね。つまり、嬉しいと哀しいを一つの言葉で表現している訳です。

紫式部が良く使ったと言う、穏やかな感動や賞賛を表す言葉との事です。深い心の働きから出た「ああ~」から来ているのですね。

哀しみの無い喜びは浅く、心の働きは弱い。哀しみを知る人の喜びは深い。

なので哀しみや悲しみって大切なんだと思います。

人を思わないところには哀しみも悲しみも生まれませんね。天晴れな人生って、どんなに孤独でも人を思える事かな?なんて思ったりします。

私の両親も、友人たちも、あっぱれな人たちだと思います。


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