辻川慎一つくば便り
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今と自分を心から大切に。
週末金曜ラッシュ。覚悟はしておりましたが、地方都市つくば市とは言え中心部はなかなかの混雑でした。ドライバーだけでなく、歩行者も、自転車も信号点滅で走って来ますので油断ができません。約3時間、運転席に座りっぱなしで神経を集中しますので頭も身体も固まり、フラフラ致しました。
まあ、それでも何とか無事に終える事が出来た事にほっとしております。
(のどかな筑西市を大型バスで走っていた頃が懐かしくなります。)
工場の送迎バスの発車時間前に、スクールバスが戻って来ます。
あっと言う間に大型バスを乗りこなす新人さんもいれば、小型のマイクロバスの運転になかなか慣れずに格闘している新人さんもおります。
私も下手くそなので、気持ちが分かる様な気がします。なので「焦らないで。」「せっかくのチャレンジを諦めないで。」と声をかけ、気に掛けて来ました。
でも、なかなか通じない感じでした。
インフルエンザのワクチンを注射してから、しばらく調子が悪いと言うので「もうやらない方が良いよ。私は全然受けてないよ。それより良いものを食べて免疫力をつけた方が良いと思いますよ。」そしたら「受けなくても大丈夫なんですか?受けるのは当然みたいな感じでしたから。」と言うので「そう言う人も、だれもあなたの身体に責任は取ってくれませんよね。自分の感じや判断が大事だと思います。」そんな話しもした事がありました。
顔色が悪い時もありましたので「まだワクチン後遺症があるの?」と聞きましたら「安いレトルトカレーを食べたら腹の具合が悪くなった。」との事でした。「安いのには理由がありますから注意しないとね。なるべく良いものを食べて下さい。」
そんな会話をして来ました。
(もうすぐ菜の花の季節が来ますね。見て楽しみ、香りも楽しみ、食べて楽しめる大好きな花です。やはり筑西市にて撮りました。)
昨日は「今日は顔色が良いね!」と声をかけました。「時間が遅れるので、なかなか別のコースをやらせて貰えません。」と言うので「ぶつけたり、事故ったり、何より子どもたちにケガをさせない事が一番。大きなバスでもマイクロバスでも基本は同じです。その上で慣れて来たらメリハリをつけて行けば良いのですよ。緩急をつけて、注意するところ、ちょっと急いでも良いところを見つけて行く。それも基本は同じだと思います。私も同じですから。」
そんな話しをしましたら「辻川さんはお幾つなんですか?」と初めてくらいに私の事を聞いてくれました。
「もう67です。コースが決まった限定運転士なんですよ。」と返しましたら「とても見えません。身体もガッチリしていますし、60くらいかと思ってました。」と言います。
あ〜、この人は正直な人なんだと思いました。話を盛らないからです。なので「嬉しいです。ありがとうございます。」とお返ししました。
「もしかして一人暮らしなんですか?」とちょっと親しくなった感じがしたのでプライベートな事を聞きました。
「はい。30年一人暮らしをしています。」と言ってくれましたので「一人は大変でしょうね。一人暮らしの大ベテランですね。」とお話ししました。
じゃあ自分で30年も一人暮らしして生きられるの?って考えたら、やっぱり凄い事だと思うから。
バスの清掃姿もそれとなく見ておりますが、丁寧に良くやっております。
裏表と言う感じがしません。正直過ぎて上手く渡れない人なのかなって思います。
でも自分を投げないで、生きている。
語りかけながら、やはり力をもらい、基本人頼みだった私を反省した次第でございます。
(筑西市を散策しながら、たくさんの花を撮り続けていた事が今改めて分かりました。前を向く力をもらっていたのかも知れません。)
私は、ある時点から自分が自分である事から逃げておりました。
自分が言って来た事、やって来た事を全否定された様に感じ、目を背けて見ない様にして来ました。
「過去」に否定的に触れられると行き場の無い怒りが湧いて来たのです。
自分への背信と言う怒りが、そこに触れた人への怒りになった。
でも本当は、自分から逃げるのを追いかけていたのも自分なんですね。
逃げるから自分も周りも巻き込んで傷をつけてしまう。
自分と向き合い直して、自分を受け入れて、自力で立つ。それ以外に、他の人を受け入れるなんてできないのだと思います。
自分を受け入れていないのに、人を受け入れられるはずがない。
人の関係は、束の間の関係の連続の様に思います。全てが束の間であり、永遠の時間なんて事は無い。だから今のその人との関わり、関わる自分が大切なんだと思える様になって来ました。
ダメな自分や逃げていた自分と向き合いながら、残り時間が少なくなって来て、多少なりとも知恵が付いて来たのでしょうか。
生きている今と自分を心から大切に思えると、今を共に生きている人との時間や空間の大切さが見えてくる。別々では無いのだと思い始めています。
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2025/03/01 13:48
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孤独な存在だから世界を広げる。
色んな事がありました。労働運動をやろうと国鉄に入り、仲間たちと新しい労働組合を作りJRに移行し、党派の殺人のターゲットにもなりながら子どもが生まれてもろくに会えず、それでも折れずに鬼の様になって立って来た。
小さくはない身体を「いつかは仲間たちのところに戻って、一緒に仕事をする。」との一念で鍛え上げていたので、顔が怖かった上にマッチョだったので、暴力団関係者に誤解されて「スカウト」されたりも致しました。
何気にそう言う方たちの愚痴や本音を聞かされたりもして、面白かった。
まあ、強面でも結構優しいところがあったりするので、近かったのかも知れません。「極左です」と言う私の素性は、相手には理解不能でしたが、私の方は人の世界を広げてもらいました。
私の労働組合は、人種や門地、性別、思想信条で人を差別しないと言う事を原則にしておりましたので、私がヤクザだからと色目で見る事はありませんでした。人としてダメな人と、そうでない人がいるのは、どこの世界でも変わらない様に思います。
(庭の小さな南高梅が、精いっぱい花を咲かせてくれました。良い香りが致します。)
中小企業のバス会社に来ても、私の世界は広がり続けている様に感じます。
元警察官がいたり、前職や生きて来た環境が全く違う人たちが、同僚になる。偏見なんかで見ていても、通用なんか致しません。
面白いと思うのは、新しくバス運転士を目指して入って来る人がバス会社を渡り歩いている人たちでなく、「新たに挑戦したい仕事」として選択して来ると言う事なんですね。
そう言う人たちが入って来る度に、職場の雰囲気が変わって行くのを感じるのです。
昔からこの会社の労働者に関わって来ましたので、時代が変わったなーとしみじみ思います。
(お裾分けのお返しに頂いた九州直送の文旦。とても美味しく頂きました。)
どうも人の名前を覚えるのが苦手で、聞いてもすぐ忘れてしまうので、聞いたら密かにメモる様にして覚えます。
名前と言うのは、覚えてもらえると嬉しい様に、ちゃんと相手に関心と興味を持ち受け入れるスタートの様に思います。
つまり、マナーの土台だと思っています。
親しくなった年下の人なら、ファーストネームで声をかけられる様になるともっと親近感が増します。
なので新人さんが入りましたら、私の方から声を掛けさせて頂きます。
最近入った人は、自衛隊の人でごさいます。
バス運転研修の感想を聞いたりするのですが「自衛隊のトラックとホイールベースの長さが違ったり、ブレーキのタイミングが違ったりとまだまだ伸びしろがあります。」と話してくれます。
目が生き生きとしていますし、仕事への姿勢も凄いと感じていましたら「中隊長でした。」との事。「部下には失敗しても良い。ケガだけはするな。失敗は2度しない様にどうするかを考えろ。と部下には指導して来た立場なんです。」と語ってくれました。
どうりで姿勢が凄い。私が恥ずかしくなるくらいちゃんとしております。
何より自衛隊員の部下にケガだけはするな!って指導に感心致しました。
(寒い時期の水仙の花期って長いのですね。まだ頑張っております。)
ちょっと調べて見ました。中隊長と言うのは昔だと大尉。かなり地位が高く、現場の隊員を日常的実戦的に指揮する立場なんですね。
大体150人くらいの隊員を指揮する立場との事です。
150人と言うのはダンバー数と言って、平均的な人間の脳の大きさを計算し、霊長類の結果から推定することによって、人間が円滑に安定して維持できる関係は150人程度であると提案された数だそうであります。
こちらも面白い。人間はあまり多くいてもまとまらない。150人くらいの目が届き、良い関係が維持できる数の現場の人を指揮できる人。
それが中隊長なんですね。
数的に言うと、私なんかは小隊長でしたからちょっと人としてのスケールが違う訳です。
私がバス会社に来なければ会えなかった人たちに会えて、私の世界がまた広がっています。
世界は、市場原理で人としての社会のブレーキを失い弱肉強食に変わっている様に思います。
人頼み、国頼み、会社頼みではどうにもならない。そして、いずれ一人で死んで行く。
親戚なんてのは、とうの昔に崩壊しておりますね。
実は過酷な現実なのだと思います。
過酷さを嘆いていても、何にもならない。
生きて行くためには、自分で根を張って行くしか無い。
だから、自分がしっかりしなければ誰も気に止めてなどくれない。
と言うか、私が気に止めて行くしか無い。
孤独である事。それをしっかり感じる事が大事なのかも知れません。
仲間たちのお陰で孤独を感じずに済んで、人に甘えて来ただけだなと思い直しています。
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2025/02/28 15:10
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「自己責任の時代」と「STORY」
毎日色んな事があります。
夜乗務の点呼が終わり、ドライブレコーダーの結果に捺印し乗車人員を記入しておりましたら、点呼の人に「辻川さんは、きっちりした字を書きますよね。いつも感心します。」なんて言われました。
書類に字を書く度に「下手くそだな〜」と感じ、自分で納得できる字なんて一生書けないのかなと嘆いている毎日です。
なので「まさか〜。他の人と間違えてないですか?」といつもなら「ありがとうございます。」と返すのですが、否定してしまいました。
それから帰宅して、お風呂に入りながらちょっと振り返って見ました。そういえば「字が上手い」とか「綺麗」だとかは言って無かった。「きっちりした字」と言ってたんだよな〜。
そうすると、私の方がやはりちゃんと相手の話を受け止めていなかったんだ。そんな事に気付いて、申し訳無かったと考え直した次第です。
バスの運転も、清掃も、書く字も、それから人とのコミュニケーションも、何だか嫌になってしまうくらいまだまだな〜って思います。
下手くそで雑なのですから、なるべく落ち着いて運転しないと、字も正確に書かないとと自分に言い聞かせながらですので、その方の感想への返しはやはり「よく見て頂いてありがとうございます。」だったなと反省した次第です。
(昨日も日本人の乗客から「喜捨」を頂きました。)
私は、自分の思いを情熱にして労働組合のリーダーを長くやって来たためか、どうも自分の思いが勝ちすぎて人の思いが分からないところがあります。
熱いリーダーだからこそ、みんなが付いてこれた時代もありました。また、そう言うリーダーに付いて一緒に行動する事に喜びがあり、勝ち取れる事もありました。それで、不可能に見えた事が可能にもなった時代だったのかも知れません。
私の方は、熱い思いを引いたら雑さだけが残ってしまいました。良い年になって、恥ずかしながら雑さしかない私自身との嫌になるくらいの格闘の日々なのでごさいます。
(今朝の車庫からの夜明け前です。)
国鉄分割民営化の「成功」とそれに対して長く続いた解雇撤回闘争がありました。
それがどんな社会的意味があったかと言うと「解雇するのは大変」と言う事を思い知らせたのです。
それを総括した2003年の小泉改革で、労働者派遣法を全面的に拡大して、非正規雇用化を進めた訳です。企業は雇用や生活に責任のある正社員と言う面倒な存在から解放されて、切り捨て自由で労働者を働かせる事ができる様になりました。
それから企業も政府も「選んだのは自己責任」だと言い出したのです。
まあ、胴元がルールを変えて「自己責任」だと言うのですからイカサマみたいなんですが、そのルールの直撃を受けたのは若者たち。
秋葉原事件や荒川沖駅事件など非正規雇用や派遣労働者の青年による悲惨な殺人事件が起きました。
命を奪われた人も、奪った若者にも何とも言えない思いがあります。
どうして、そんな状況に追い込まれたのかを分からないまま突然殺され、他方は死刑になった。殺害には殺害で応じる。それで命の大切さなんて、伝えられない様に思います。
一体何が解決したのでしょうか。
話は変わります。バスの乗降口の扉は、「自動扉」ではありません。勝手に開いたら危ないのですから、運転士が操作します。そして、非常の際はこの蓋を空けてエアーロックを解除する様になっております。
私が、特別支援学校のスクールバスを運転している時に、何とその子どもたちにまでずいぶんと助けられました。
例えば車椅子をしっかり固定された少女に、とても気が付く子がいて「運転士さん、蓋が空いていますよ。」なんて教えてもらったりしました。私の閉め忘れでした。
例え身体が不自由で、身動きができなくても、人の役に立ちたいと色々と助けてくれました。本当は悲しい事や辛い事がたくさんあるでしょうに、でもいつも笑顔の女の子でしたが、今は社会人。無事に元気でおられるかと、バス扉の蓋を見る度に思い出します。
その子が好きだった歌がありました。
https://youtu.be/nMROhyihehU?si=nSpiN1kSpHMUPmTq
AIさんと言うシンガーの「ストーリー」。
「辻川さんは、カラオケで何を歌ったの?」と介助人さんに聞いて「ストーリーを歌ったよ。」と聞いて「私も歌うんだよ」ってとても喜んでくれた事もありました。
この歌は2005年の発表以来、ずっと支持され続けて来たのですね。
自分の思いや情感を歌う昭和の歌と違い、この頃から若者たちの心を支える様な歌が歌われる様になった感じがするのは私だけなんでしょうか?
政府も、会社も、社会保障も、年金も「成功者」と強い人以外には頼みにならない時代が「自己責任」の時代なんですね。
これまでの社会構造は終わった。だから甘えるな、と言う事かと思います。
これまでの構造を批判しながら、しっかり甘えて成り立って来た時代と、今の若者たちが向き合っている時代の厳しさが違うのだと思います。
その中を生きなければならない。
その厳しい時代だからこそ、人への思いやりや優しさが負けずにある事が生きる支えになっているのかなと感じます。
雑な私が、無反応に負けず声をかけ続けている理由かも知れません。人の支えこそ、弱者が生きる術である事は、人の字そのものが表していますね。
古来一人では、人の字にもならなかった事は今でも変わらないのだと思います。
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2025/02/27 14:02
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先輩バス運転士の誕生日
2月26日と言うと日本が全面戦争に進む大きな要因になった1936年の「2・26事件」の日と言う事になりますが、私の先輩バス運転士は今日で70才を迎えます。
実はこの先輩を知ったのは、今の会社ではありません。もう30年近く経つでしょうか、JRで動労水戸と言う新組合を作った時に、何しろみんな若かったので結婚ラッシュがあり、ベビーブームがありました。
子どもたちと家族みんなで一緒に楽しもうとりんご狩りをやりました。常南交通の労働組合も担当しておりましたので、観光バスを格安で手配して頂き、日帰りバスツアーをやりました。
その時の運転士さんが、今の先輩運転士のNさんでごさいます。
今は亡き、幼い時の私の息子の一人も連れて行きました。
ひと時ではありますが、その時に乗せて頂いた事をずっと記憶しておりました。
(筑西市関城町。梨畑を見ながらよく散歩しました。散歩しながら撮った梨の花の写真です。)
離婚して、JRを離れ、政治党派も辞めて傷心の再出発のバス運転士への道が、筑西市関城町から始まりました。
そこで所長さんをしていたのが、N先輩でございました。
下手くそで、何も分からない大型バスの運転士生活のスタートを、忘れもしないにこやかな人がいてくれた事。
本当に幸運で、心強いだけでなく癒される私がおりました。
(梨の実)
車庫の草刈り作業があると、やった事の無い「刈払い機」の使い方も教えて頂きました。
自家製の焼き芋や揚げ餅を頂いたりもしました。
職場のみなさんと一緒に、休憩時間カラオケにも誘って頂きました。忘れ得ぬ楽しい思い出です。
そして、氷点下8℃にもなる真冬の筑西市の車庫でみなさんが来る前にストーブを焚き、お湯を沸かしておいてくれました。出庫前の介助人さんの水仕事がとても冷たいので、お湯を沸かしておいてくれたのです。
もっとも、何だかそれが当たり前みたいになっている感じもしましたが、新参者の私は「凄い人だな〜」って思っておりました。
そして、不慣れな上に心深く傷を負っていて次々と失敗する私を責める事なく、何度か目をつぶってくれた人でもありました。
長くかかってしまいましたが、何とか一人前のバス運転士になれたのは、こうした先輩方のお陰だと思っております。
そして、今も気に掛けて下さっております。先週、ランチをごちそうして下さったのもその先輩でごさいます。
私がどれほど感謝しているのかは、分からないかも知れません。
とても思い出深く、大切な人です。
70歳の誕生日おめでとうごさいます。
今の70歳は老け込む年ではありませんね。職場にいてくれるだけでも有り難いので、まだまだ宜しくお願い致します。
(筑西市で働いていた時に作って頂いたお弁当です。)
そして、罰当たりな私が忘れてはいけない事。
困難な日々に、毎日毎日お弁当を作ってくれて、忘れたら遠路JR水戸線の川島訳まで届けに来てくれた妻でごさいます。
先輩は「ステキな弁当箱だね!」とよく言って下さいました。
私一人でやれて来れた訳ではありませんね。
自分だけでやってきたみたいな生意気になりかける自分を反省しながら、今日も夜乗務に出発します。
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2025/02/26 16:07
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悠久の時間
60代になって、落ち込む事の連続と言う感じです。
勢いでやって来たつけがドーッと来ているのかも知れません。
私よりも力任せに生きていた人たちは、どんどん亡くなってしまいましたが、私にもしっかり来ている様に思います。
もっと気楽に生きられたら良いと思うのですが。やはり難しい時代なのかも知れません。
五木寛之さんがインドを訪ねた記録的著書を読みはじめました。
ブッダのルーツを訪ねたのです。
めちゃくちゃ時間感覚が違い、日本からするとルーズのレベルを超えているのですが、そこに悠久の時間が流れていて慣れて来ると解放感があると言います。
私も東南アジアの国に行った事があり、インドほどでは無いかも知れませんが時間の流れの違いに解放感を感じたのは同じでした。
ちょっと昔の沖縄でも、時間感覚がゆったりしておりました。
そう言う世界に生きている人からすれば、秒単位でギスギス動くなんて「クレイジー」なんですね。
そして、今やIT大国と言われるインドですが、都会を離れるとそのまま数千年変わらない姿があると言います。
東京と関東、東北の違いなんて言うレベルでは無い想像を絶する地方の生活がインドの大半で、話される言葉も10種類以上ある。方言でなく言葉が違うらしいです。
地方に行くと電気も無く、当然街灯なんてものは無いので真っ暗。何も見えない中を人々が動いている。
五木さんの感想が面白い。
「真っ黒であっても、動いている人たちには見えている。人間は自分の能力の大半を使っていない事が分かった。」とそんな感想を述べています。
なるほど〜と思う事があります。夜のラッシュアワーを走る様になった当初は、対向車のライトが眩しかったり暗い道を走ったりと良く見えないので、めちゃくちゃ目が疲れました。雨の日なんか最悪で、油膜や道路の水の反射で恐ろしく見えなくなります。
一体どうすれば?と嫌がられても徐行
してきた訳ですが、回数を重ねて行くと見えて来るんですね。
どうやら年のせいで見えないのではなく、自分の能力がまたまだ使い切れていないと言う事だった様に思っていたところでした。
つまり不便で大変なところでは、人間の使われていない能力を使う事で対応すると言う事なんですね。
そんなチョー不便で、チョー時間の流れがゆったりしたところでブッダが悠久の教えの悟りを開いたと言う事です。
人間の能力全開だったのかも知れません。
私たちは、今置かれている世界を前提にして、あくせく懸命に生きている訳ですが、世界はそれだけではない訳です。
私には現実性が無い、頭の世界で生きていると言う人もおります。
だから、今の現実には通用しない。なので失敗ばかりで格好悪い。人の気持ちが分からず、常識も無いので恥知らずなんです。でも現実って、住んでいるところ、生きて来たところで違うのだと思います。
本当はみんな時間軸が違っていたのを、資本主義化する時に無理やり合わせた訳です。そうしないと合理的な生産も戦争もできないから。
不合理な人は、必要ない。
そう言う淘汰のされ方をして来たのだと思います。
どうにも、私はそんな不合理で、資本主義的生産に合わない人たちに仲間だと思われる事が多かった。
理屈を語りながら、理屈に合わない生き方をしてきたのですね。
ヤクザも生きづらくなりました。
本当は、私も生きづらいのを仲間たちがフォローしてくれて気づかなかったのかも知れません。
やはり私は、きっちりとした正統派にはなれなかったのだと思ったりします。
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2025/02/25 16:21
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