辻川慎一つくば便り
Home
未選択
シノブ(忍)
明日から7月ですが、これからどうなっちゃうんだろうって感じる暑さが続きます。
暑い国から来た人も湿度の高い日本の夏は、辛いと聞いた事があります。
少しでも涼しい気持ちになるかな〜と、庭の草刈りをしながら見つけたシダ類のシノブを水苔に植えて見ました。
湿度を好むシダ類が、何故かあちこちから生えて来るわが家でございます。
シノブ(忍)と言う名は、その強さから来た名前で、日本ではかなり昔から苔玉にしたりして観賞用にされて来たのですね。
ところで忍と言う字の語源を見てみましたら、
「忍」という漢字は、上部が「刃(やいば)」、下部が「心(こころ)」で構成されています。この字は、心臓に刃物が突きつけられるような厳しい状況でも、冷静さを保ち、自分の意志を変えない強い心を意味します。
との事でございました。
なかなかできない事ですね。ながめながら、あやかりたいと思った次第です。
こちらも勝手に生えて来る「カニクサ」です。
いやぁ~、伸びる茎がめちゃ丈夫で強いのに驚きましたら、籠を編む時の結び紐に使われていたそうです。
カニ釣りの糸として使われていたのでカニクサの名前が付けられたそうです。
実は茎ではなく、1枚の葉が「無限に伸びて行く」との事で、不思議な植物があるもんだな〜と観察しております。
明日から工場の送迎バスのシフトやルートが変わると言うので、10人の同僚たちと朝乗務のあと「試走」に行って来ました。
明日も私以外には走った人がいないと言うルートの試走がございます。
自分で運転して走る事よりも、説明したり教えると言う事の方が大変なんですが、私一人でやる訳ではないので責任があります。
とは言え、冗談を言ったり、いじったりで何ともにぎやかな試走になります。
私よりもキャリアが長くて、仕切り役の同僚がおりますので、私の方は聞かれた事にお答えする様にして一歩引いております。
上司には「一番知っているのだから、丁寧に説明して下さい。」と言われて打ち合わせまでしたのですが、みなさんが出来れば良い事なので実際には出しゃばらない様に致します。
かつてはかなり目立つところにおりましたが、出しゃばるのが好きな訳ではなく、自分の責任だと思うからやっていただけなんです。
結果的に、みなさんで無事に回れば、それで良い訳です。
今朝は、見た事の無いバッタが担当バスの窓に隠れておりました。「コロギス」と言う夜行性のバッタで、昼間は森の葉陰に潜んでいるとの事で森に帰る前に夜が明けてしまい、バスの窓に忍んだ様です。
コオロギみたいなキリギリスって事でしょうか?実際にはなかなか見るのが難しいバッタの様です。
身近な自然の世界も、不思議に満ちておりますね。
私たちが見ようとしていないだけで。
タバコ場に、若社長が来て「どうしたらアルコール(検査に引っかかる人)が無くなるだろう?」と同僚たちに聞いておりました。
私には聞きませんが、考えてしまいました。「最後は、自分の人生を心から愛せるかどうかかも知れない。」そんな事を思いました。死んだ息子の部屋に散乱していた発泡酒を思い出し、自分もまたどん底に落ちた経験からです。
でもそこは不幸のどん底では無い。本当は、気高く生きるための幸運なんだよ。
では、夜の乗務に行って参ります。
未選択
2025/06/30 14:28
0
妙案は無いけれど
サタデーナイト。もうフィバーする年ではありませんが、新しく同僚になった20代の青年と久しぶりに若者向けの居酒屋で飲みました。
入社歓迎会と大型二種免許合格の心ばかりのお祝いでした。
じいさんと孫状態で、話が合うのかと言う心配もありましたが、仕事の事、職場の人の事、給料やパートナー探しの事などを聴いて、一緒に考えて返しておりましたらあっという間にお店の制限時間が来てしまいました。
代行を呼んで、見送りましたら「ごちそうさまでした。楽しくてあっという間でした。またお願いします。」とメールが来たので、良かった〜と安心した次第です。
ちょっとヤンチャな10代で、危うい事もあったみたいですが、自分で止めると決めたらきっぱりと止めて来たとの事で、自分の感覚や気持ちに真っ直ぐに生きて来た青年なんだなって思いました。
肝心なところで自分の感覚や気持ちをねじ曲げながら生きて来てしまった私は「ちゃんと自分を持とうとして生きている。」青年に感心した次第です。
「バス運転士の仕事は好きですが、出会いの場が無いのと給料が低いのが困ります。」なんて言う話もありました。
職場の事や同僚の事についてはかなりお話しできますし、給料の事も多少のアドバイスはできるのですが、若い女性との出会いになると私も悩んでしまいます。「スクールバスで小学生に人気のお兄さんでもね〜。小さすぎるしね〜。」なんて事しか言えない私がおりました。
女性に対しても、自分の好きがしっかりあるし、何事もちゃんとしたいと言う志向がある青年でございました。
つい先ごろまでは、お財布の残りのコインを心配しながら同僚に缶コーヒーを買ったりしていたのは何だったのだろーと思いながら、誘った先輩として飲み代と代行代を持った私でございました。
今朝は、日がさす前に庭の芝刈りや剪定に取り掛かりました。
家の窓から、木や花や野菜が育つのが見え、自然の移り変わりを感じられる贅沢のためでございます。
せっかく植えて弱っている草花を見ると心配になります。スマホで調べながら何とか元気にならないかと対策を打って見ます。
草花って、みんな同じでなく扱いが違うんですね。「園芸」と言われるくらい芸が必要な事を自覚しました。花を見事に咲かせるのも芸術な訳です。
してみると、人だってみんな違うので、人の花を咲かせるのも芸術的な事なのかなと思います。
今まで成功した事のない大玉トマトが、ついに色付きはじめました。素晴らしく深い色をしております。
大玉トマトの場合は、ミニトマト見たいに放っておいてはダメで、茎と枝葉の間に出る芽を取りながら一本立ちさせなければいけない。そう教えてくれた人がありました。
育て方ってのがある訳ですね。
茄子もキュウリもピーマンも次々と実が成って来ました。
その実の美しさにも驚きます。自然と人が織りなすミラクルの様に感じます。
それを頂く時の美味しさ。
残念ながら、人を減らしてスマホでQRコードを読み取らせて注文を受ける居酒屋さんの、客との人として交流も一切無くなり大して美味しくも無かった料理を思い出してしまいます。
人も料理も味気ない。土台ネタが良くない。それなのに本当に安いんだろうか?やっぱり今度は、別の青年も誘って家飲みの方が愉しいかなと思う私でございます。しっかり味気ある旬の若者たちですから、大切な時間を台無しにしたくない。
「大丈夫。スピノザは言う。
失うものは何もない。
守るものなどはじめから何
もない。」
長田弘さんの遺作になった詩集にありました。
未選択
2025/06/29 12:09
0
百日草に思う土曜日
金曜ラッシュを無事に乗り越え、かつて無く静かな土曜日を迎えております。
もう私を追い立てるものが無くなりました。
明るく鳴り始める4時に目覚め、コーヒーを淹れて一服。
それから洗濯機を回しながら、掃除機をかけてモップで床を拭く。
朝食を作り綺麗になった部屋で頂く。
全くもって贅沢な時間だと思います。面倒くさいなんて事は全くありません。
休みの土曜日の朝って気持ちがゆったり致します。
仕事の仲間たちには申し訳ないですが。
アマゾンで見つけたペルーの有機コーヒーです。
私的には、香りも味も良いと気に入っております。しかも、有機栽培。マチュピチュの近くで作られているのかな〜?想像するのも楽しいのですが、そんなコーヒーが手軽に飲めるなんて凄い時代だと思います。
今度友人が来て一緒に飲んだら、ゆったりと良い時が流れそうです。
私の方は、朝のトラブルはありましたが夜は順調に終わりました。
ところが点呼に行くと、ベテランの同僚や管理職、事務方を含めて無線のやり取りをしながら難しい顔をしておりました。
あ〜。事故では無い雰囲気なのでバスの故障だなと推測がつきました。スクールバスの乗客が乗っている状態で、動かなくなってしまった様でした。
運転士さんと乗客が大変な訳ですが、故障の状況を分析しながら何とか動かせる様にアドバイスをする。同時に救援バスの手配もする。学校や関係カ所に連絡をする。責任者の判断と指示を受けながら、みなさんで対応しているところでした。
もちろん出来る事があれば私もやるのですが、私に状況を説明している場合でもありません。
なので、気になりつつも邪魔にならない様に帰った次第です。
こういう緊急事態が運輸業には付き物です。そう言う時にこそ会社組織としての姿勢と力量が問われる様に思います。
私自身が、介助人としてバスに乗っていた時に若い運転士が事故に会い、対応不能になってしまった事がありました。なので、若き運転士を励ましながら会社、警察、事故の状況写真の撮影等々私がやりました。それから、会社の責任者の人たちの私に対する見方が変わった様に思います。
その場の状況を冷静に見ながら、自分がやるべき事を考えてやる。そう言う貴重な経験でした。
やれる人がいると判断すれば、その人の指示に従う。出しゃばるのではなく、解決のために自分の最善を尽くすと言う事かと思います。
分かりもしないのに口を出してはいけないのですね。分をわきまえられるのも人として信頼される事につながる様に思います。
草花は、一過性だと思い木ばかり植えて来たのですが、終わって土に帰るからこそなおさら美しく感じるのだとようやく分かって来ました。
今日は、先日気になっていた百日草のグリーンぽい色の深さが忘れられず、まだあるか見に行って来ました。
土浦のJA直売所は、土曜イベントで人がたくさん出ておりました。意外に人気店だった事を知りました。
気になった百日草がまだありました。他の色の百日草やマリーゴールド、ケイトウなど8鉢を買って500円!作った人に申し訳ないくらいの有り難い安さです。
お陰様で、私の花いっぱい計画が少しづつ進んでおります。
日陰だとグリーンぽいのに日に当たるとオレンジ色が強くなる不思議。太陽みたいに感じます。
百日草は、メキシコのアステカで栽培されていたのがスペイン経由で世界に広まったとの事です。
花弁が丈夫で花期が長いので別名「浦島草」と言うとか。
たくさんの花の種類がある様ですが、良く見ると不思議な色をしております。ヘッセが惹かれたのが分かる感じが致します。
平和と言うのは平凡な日々を言うのですね。平凡な日々を送ると言うのは、実はそれを守る厳しい姿勢や心があって成り立っている。
ぼーっと咲いている訳では無いよ。滅ぼさろれたアステカから来た花を見ながら、そんな事を感じたり致します。
今日は、これから職場の青年との飲み会です。爺さんと孫くらいの年の差の組み合わせですが、今日の「ワン・セカンド」でお互いに良い時間を過ごせたらと思っています。
未選択
2025/06/28 14:12
0
続ワン・セカンド
週末金曜日は、会社では私担当と同僚のみなさんが思っている工場の送迎バスです。
来月からバスが増える、つまり他のみなさんが運転するルートが増えると言う事で「どうなるの?」と私に聞いて来ます。
会社の方も、私が一番知っていると「そこは辻川さんに聞いといて。」と言う場面もあります。
なのでフルタイムパートで日給の身なれど企業名を付けて「◯◯所長」だなんて勝手に呼ぶ人もおります。
私の方は、笑って応対するだけでございます。
(今日のJAには、百日草が出ておりました。一鉢60円を2鉢。ヘッセを読んで見方が変わりました。花の枯れ方まで魅力的だとの事です。)
今日の朝は、突然「荷物室開扉」の警告ランプが点いてアラームが鳴りっぱなしでの運転になりました。
バスのサイドにある扉なのですが、もちろん発車前に閉まっている事はしっかり確認ますし、サイドミラーを見ても異常無し。
数分の待機時間に点検に行きましたら、扉と押しスイッチの間に隙があって押されていない事が分かりましたが、処置する時間はありません。
お客さまには「安全に支障はありませんので、ご容赦下さい。」と説明したのですが、赤ん坊の泣き声同様気になる周波数ですので、運転に集中するのが大変でございました。
どんな場合にも動揺しないための訓練みたいな感じでございました。
帰庫してから、報告し針金で緊締して応急処置。修理依頼書を書いて出すと言う作業も発生しました。
それでも、元自衛官さんと会いましたら「今日は、辻川さんの顔が見れたから良かった〜。」なんて言ってくれたので、悪い日じゃないなんて思います。
(こちらは一鉢70円の「ペンタス」。花びらが星形の5枚あるのでペンタス。半世紀前化学科でやった「モノ、ジ、トリ、テトラ、ペンタ」と言うギリシャ数字?を思い出しました。5と言う意味の名の花なんですね。)
昨日の小学校送迎バスの回送中に信号待ちしていたら、隣に特別支援学校のバスが停まりました。他社のバスですが「もしかして」と運転席が見える位置まで小移動しましたら、運転士さんが懐かしい笑顔で私の方を見ました。
「やっぱり!」私も笑顔で手を振りました。バス運転士になって最初の頃に、同じ特別支援学校に来ていた運転士さんでした。
それからも不思議に色んなところで遭遇して来た人なんです。
私より若く子育てをしながら、バス運転士をして来た人でした。言葉は交わせなくても「また、顔を合わせたね。お互いに頑張ってるな。」って言うのが分かるのです。
こちらも「ワン・セカンド」の出会いなんですね。
考えて見れば、人の人生そのものがワン・セカンドの様なものです。その中の一瞬にも忘れられない人がいる。
8年の時が掛かりましたが、しっかりバス運転士としての歴史と時間を刻んで来たのだなと感じる一瞬でございました。
だから私は、自社だけでない同業の仲間たちにもなるべく手を上げ続けております。
昨日も早めに帰宅出来ましたので、こんな映画を見て見ました。
たくさんの美しい木、印象深い音楽の中で「故郷」を理不尽に奪われた人たちを追った素晴らしい映画でした。
「生まれたところには故郷と言う名があるが、死んで土に返ったところに名が無いのはどうしてだろう。」そんなナレーションに考えさせられました。
長田弘と言う詩人が、朝日にはステキな呼び方があって歓迎されるのに、沈む夕日には無いのはどうしてか?と言う表現をしていた事も思い出しました。
ヘッセは、百日草の花が枯れて行く変化が素晴らしく凄いと表現しておりました。
私たちは、何か勘違いをしていないのかな?
映画には「死者を呼び起こす。」と言うナレーションもありました。
忘れると言う事で、死者は2度殺される。
忘れないと言う事は、人の世界ではまだ生き続けていると言う事なんですね。
老いた日々でさえも、ちゃんと美しさがある。
死者を呼び起こしながら、今を輝かせる事ができるのが「老い」と言う事の様に思いました。
政治的な理想に燃えて無残な結果が待っていた。しかし、仲間を思いながら、故郷と肉親たちを思いながら、生き残った二人の老人の、人としての深さや魅力を感じる映画でございました。
さて、今夜は金曜ラッシュの運転ですが、自分の心と向き合いながら動ずる事無く臨んで来たいと思います。
みなさまも良い週末になります様に。
未選択
2025/06/27 12:10
0
ワン・セカンド
有り難い事に、今日も小学校の送迎バスの運転でございます。
バスが小型の上に夕方には終わりますので、まとめて眠れる事がとても有り難いのです。
小雨が降る中を走りましたので、バスを洗う前に一服しておりましたら、5才年下の同僚から「60を超えたらなかなか疲れが取れなくなりますね。」と話しかけられました。「全くですね。週末が近づくとヘトヘトになってしまいます。」と私。「孫に会うのが楽しみなくらいになってしまったよ。」と私の事も聞くので、ちょっと事情をお話しして「子どもにも孫にも会えないのですよ。」とお話ししました。
(今日は、詩人で作家のヘッセが描いた絵です。百日草の絵ですが、彼の花への愛情を感じます。)
精一杯頑張って来たつもりでも、何だか失くした事ばかりだった様に思います。
でも世の中には、もっと理不尽な目に合いながらも生き抜いた人がたくさんおります。
昨日は、ちょっと早く帰れましたので映画を見てから休みました。
中国映画で「ワン・セカンド」1秒と言う題名の映画でした。
中国であった「文化大革命」と言う社会「改革」運動で、理不尽に「労働改造所」と言う強制隔離施設に送られために妻と離婚して、娘に会えなくなった父親。「反社会分子」と言う汚名が着せられると、家族まで酷い目に遭うので離縁したのです。彼が脱走してどうしても見たい映画があった。
8年も会えていない娘が、1秒だけ映っていると知らせてくれた人がいた。
その映画を見たいための果てしなく歩く。
その映画のフィルムを盗んだ少女を見てしまい、その少女を追いかけて走る、また歩く。砂漠の中でございます。
その少女は、弟のために盗んだのですが母が死に、父親に捨てられた孤児の姉弟でした。
娘を思う父親と弟を思う少女。激しく対立しながら、相手の事が分かり始めるとお互いを思い合う様になる。
少女のために闘い、再び収容所に送られてしまう。
ごく簡単に言うとそんなお話しでした。
その映画を見ながら、人って誰かを思うから生きていける存在なのかな?なんて思いました。
私も、幼い頃から誰かの悲しみや辛そうな姿を見ると「何とかしてあげたい」と思って来たなと思い出しました。
戦争に疑問を持ち、国鉄に入ったのも、分割民営化に抵抗したのも根っ子は同じだった様に思います。
何やら正しいのがどちらか?なんてやっているうちに、自分の中の一番大切なところを忘れてしまっていたなと、反省した次第です。
何ができなくても、人を思い、心配したり、それを言葉にする事はできます。
トラブルがあって、激ヤセした同僚に「大丈夫ですか?」と声を掛け事がありました。理不尽な状況の中で奥様と一緒に頑張っておられる人です。「来年の今頃は、いないだろうな。この世には。」なんて言うので「やめて下さい。奥さんが悲しみますよ。」と言いましたら、黙っておりました。
昨日、若者と話していたら後ろから来たその同僚が「辻川さん。何か付いてるよ。」とワイシャツの背中のゴミを取ってくれました。
とても優しい同僚である事は感じておりましたが、何とも言えないくらいにジーンとした私がおりました。
何か別の目的があって人に接する時間と言うのは心には残らない。消費されるだけの時間なんだと思います。
私にも、ワン・セカンドがある。そんな思いがいたしました。
人への思いが、私を生かす。
だから、やっぱり人でなく自分の心がいつも問われているのですね。
それでは、本日午後の部に出発致します。
未選択
2025/06/26 12:38
0
前のページ
Home
次のページ
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
カテゴリー
未選択(1422)
最新記事
古きを訪ね新しきを知る。
(07/05)
時代は変わる。
(07/04)
幸福な日々(ベゴニア)
(07/03)
アナベル(ひたむきな愛)
(07/02)
Run Away
(07/01)
RSS
RSS 0.91
RSS 1.0
RSS 2.0
リンク
管理画面
新しい記事を書く
P R
ページトップ