辻川慎一つくば便り
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ワン・セカンド
有り難い事に、今日も小学校の送迎バスの運転でございます。
バスが小型の上に夕方には終わりますので、まとめて眠れる事がとても有り難いのです。
小雨が降る中を走りましたので、バスを洗う前に一服しておりましたら、5才年下の同僚から「60を超えたらなかなか疲れが取れなくなりますね。」と話しかけられました。「全くですね。週末が近づくとヘトヘトになってしまいます。」と私。「孫に会うのが楽しみなくらいになってしまったよ。」と私の事も聞くので、ちょっと事情をお話しして「子どもにも孫にも会えないのですよ。」とお話ししました。
(今日は、詩人で作家のヘッセが描いた絵です。百日草の絵ですが、彼の花への愛情を感じます。)
精一杯頑張って来たつもりでも、何だか失くした事ばかりだった様に思います。
でも世の中には、もっと理不尽な目に合いながらも生き抜いた人がたくさんおります。
昨日は、ちょっと早く帰れましたので映画を見てから休みました。
中国映画で「ワン・セカンド」1秒と言う題名の映画でした。
中国であった「文化大革命」と言う社会「改革」運動で、理不尽に「労働改造所」と言う強制隔離施設に送られために妻と離婚して、娘に会えなくなった父親。「反社会分子」と言う汚名が着せられると、家族まで酷い目に遭うので離縁したのです。彼が脱走してどうしても見たい映画があった。
8年も会えていない娘が、1秒だけ映っていると知らせてくれた人がいた。
その映画を見たいための果てしなく歩く。
その映画のフィルムを盗んだ少女を見てしまい、その少女を追いかけて走る、また歩く。砂漠の中でございます。
その少女は、弟のために盗んだのですが母が死に、父親に捨てられた孤児の姉弟でした。
娘を思う父親と弟を思う少女。激しく対立しながら、相手の事が分かり始めるとお互いを思い合う様になる。
少女のために闘い、再び収容所に送られてしまう。
ごく簡単に言うとそんなお話しでした。
その映画を見ながら、人って誰かを思うから生きていける存在なのかな?なんて思いました。
私も、幼い頃から誰かの悲しみや辛そうな姿を見ると「何とかしてあげたい」と思って来たなと思い出しました。
戦争に疑問を持ち、国鉄に入ったのも、分割民営化に抵抗したのも根っ子は同じだった様に思います。
何やら正しいのがどちらか?なんてやっているうちに、自分の中の一番大切なところを忘れてしまっていたなと、反省した次第です。
何ができなくても、人を思い、心配したり、それを言葉にする事はできます。
トラブルがあって、激ヤセした同僚に「大丈夫ですか?」と声を掛け事がありました。理不尽な状況の中で奥様と一緒に頑張っておられる人です。「来年の今頃は、いないだろうな。この世には。」なんて言うので「やめて下さい。奥さんが悲しみますよ。」と言いましたら、黙っておりました。
昨日、若者と話していたら後ろから来たその同僚が「辻川さん。何か付いてるよ。」とワイシャツの背中のゴミを取ってくれました。
とても優しい同僚である事は感じておりましたが、何とも言えないくらいにジーンとした私がおりました。
何か別の目的があって人に接する時間と言うのは心には残らない。消費されるだけの時間なんだと思います。
私にも、ワン・セカンドがある。そんな思いがいたしました。
人への思いが、私を生かす。
だから、やっぱり人でなく自分の心がいつも問われているのですね。
それでは、本日午後の部に出発致します。
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2025/06/26 12:38
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