辻川慎一つくば便り

一日一日が新生と死。

異例の暑さとは言え、まだ涼やかな朝を私が育った両親の実家で過ごしております。

血色は悪くないものの、調子が良くないと反応が鈍って来た父が、この家の思い出を子の思い出と重ねて話す時には生き生きとして来ます。

私の家で一緒に住む事を願う母が「慌てずにもう少し様子を見ようか?」と言います。「母さんが元気ならば、それが良いかも知れないね。少し前には、積極的だったのに弱っているんだね。」
そんな話を致しました。


「キキョウが綺麗に咲いてるね。誰が植えたの?」と母に尋ねると「父さんだよ。」と言う。「花好きだなんて思わなかったけれど、花咲かじいさんになったんだね。」と私。


花を眺めながら父は何を思ってるのだろう?なんて思います。母親を早く亡くし、下の妹弟三人を高校に行かせるために自分は中学を出て働いた父。同じく母親を早く亡くして、中学を出て間もなく父と結婚して17才で私を産んだ母。「お前がいなければ父さんとは一緒にはいなかったよ。」と言います。
大変な苦労をしながらも、仕事を求めて富山から九州、岩手、北海道、そして茨城へ。母は秋田生まれです。全国を旅しながら、子どものためにの思いは一つだったから続いた夫婦だったのだなと思います。

実家は、そんな父の思い出が詰まった労働の結晶でもありました。

なので、父の体調と気持ちを優先しようか。と言うのが、母と私の思いです。


いつもの習慣で3時に目覚めて、ヘッセの本を読み出しました。


昨日は、「子どもたちの行事が忙しい。」との事で「じゃあまた今度。」とメールをやり取りしていたフィリピン人の娘さんから「今ひたちなか市にいますか?今なら会えるのですが。」と連絡がありました。「ちょうど実家に着いたところだから、顔だけ見に行くよ。」と急遽美味しいケーキ屋さんでお土産のケーキを買って向かいました。

旦那さんは、日系ブラジル人。二人の子どもが生まれた頃まで親しくしておりました。その子たちが中学生になると言うのですから、もう10年以上会っていませんでした。

でも、訪ねると二人ともとても喜んでくれました。子どものバレーボールの大会があって、負け続けて来た相手に勝つと言うミラクルがあったと、二人とも声が枯れておりました。

ご近所同士の組長をやったりもしていて、学校でもご近所でも人気者の様で「子どもに力をもらいながら生きています。」と嬉しそうに話しておりました。

フィリピン人のお母さんと初めて会ったのは彼女が小学生の頃でした。その頃から私にとても優しく接してくれました。彼女は、私のお陰で今があると昔助けた事を忘れないのです。

それを彼も知っていますので、二人で頑張って子どもたちと幸せな日々を送りながら、私の事も忘れずにいてくれます。



「シンちゃん変わらないね。僕はもう40だよ。」と言う旦那さん。内心「あ~死んだ息子と同じ年だったんだ。」と思いました。血のつながりも何も無いのですが、息子と娘がここにも居たのだなと思いました。


娘さんは、久しく会っていなかったのですが優しくハグしてくれました。

心なんだと思います。
どうも日本人の方が忘れてしまった心がある。そんな思いが致しました。

木は何も言わないけれど、その年輪に歴史を刻み込みながら、黙々と自分の生命の目的を表現している。

一日一日が新生であり、死である事を私たちに教えてくれています。

花もまた同じ様に、人が生きる事が生命の循環の中にある事を教えてくれます。

うろたえる事も無く、自分の命の目的を全うして、次の生命の土壌に帰って行くのです。

彼らも、その子たちも眩しいくらいの花でございました。

老いたとは言え、自分たちも花であり、木である事を忘れてはならないと思います。

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