辻川慎一つくば便り

静かな土曜日に。

別れた妻が出て行ってから、明日でちょうど1ヶ月になりました。今日は昼間が一番長い夏至でございます。

猛暑はまだまだこれからですが、すでに夏の終わりが潜んでいるのですね。

頑張ってはいるのですが、5日間の乗務が終わると疲れ切ってしまう私がおります。

昨晩は、本を読んだり、音楽を聞きながらゆっくりと飲んでおりましたらどうやらリクライニングの椅子で寝てしまったみたいでした。

布団に入って寝直したのもうろ覚えです。やはりもう、外飲みは無理な状態なのかな?なんて思います。私の人生の熱い夏は終わったのだと思います。


(今朝はパンにいたしました。見た目はご容赦ですが牛久「麦童」の玄米食パン、手作り沖縄産美ら肉ハンバーグに美味しい地元野菜、自家製パセリのトッピング。そしてサザコーヒーのガテマラ。愛媛産の琵琶とかなり贅沢な組み合わせでございます。)


会社では、2人連続でアルコールチェックでアウトが出ててんやわんや状態でした。そのうちの一人は、2度目と言う事だったのか即座に退職されてしまいました。

「うるさいから子どもは嫌いだ。」と言い、話しかけても「楽しい事なんか何も無いよ。」とお酒を飲むのだけが好きみたいでした。でも、そう言う人でもいなくなると寂しく感じる私がおります。

何だか嫌な人だなと感じても、いなくなると寂しく感じるのはどう言う訳なのか自分では分かりません。

もちろん「お世話になりました。」とかの挨拶も無しに突然なんですね。

なのでどんな事情があるにしても、お礼とお別れはちゃんとしようと思う私もおります。

まあ、それよりも私自身のアルコール過剰摂取で迷惑をかけたり、信頼を損ねたりしない事が第一です。まだ、お別れしたくありませんし、別れ方と言うのがある様に思います。


何だか注文してから届くまでに、かなりの時間がかかりました。


学生時代ですから40年近く前に読んだヘルマン・ヘッセと言うドイツ出身の詩人であり作家の人の本を再び読み出しました。

「車輪の下」と言う本を読んだ様に記憶しています。「庭仕事の愉しみ」と言う本は、政治党派の幹部をしていた頃にも手にしたのですが、静かに向き合える状態では無かったと思います。

改めて静かにゆっくりと向き合い出しましたら、今の私の心や思いに合う内容に引き寄せられます。

ドイツの仲間を訪ねた記憶もよみがえります。

ドイツの人たちは、とても自然を大切にしていて、街も庭も整然と綺麗にされておりました。人々の文化として、それがある。原発を止め、例え太陽光発電であろうとも自然の景観を損ねるならば許されない。そう言う事が国民の総意的前提にある国なんですね。食べ物も、当たり前の様にオーガニックで、感動的に美味しかった。日本で食べるドイツ料理とは、素材が違うのだと思います。



拡大すると読めると思います。ゆっくりと噛みしめながら。


「どんな夏も、前の夏の死によって養われないものは無い。」「私は自分のこの小さな庭に…この整然とした循環を、当然の、しみじみと心にかなう事として受入れる。」まるで詩の様ですが、実際に詩集でもある本でございました。

自然の死は、次の実りの養分である。人もまたその循環の中にある。人だけが特別ではない事を庭仕事をしながら受入れて行く。

まあ、小さな庭と言ってもレベルが違うのも見て参りましたが、愉しむと言うのは自分自身の生と死の意味を見つめると言う事なのかも知れません。

「楽しい事なんか何にもねーよ。」「生きている意味はあるの。」ってやっぱり人のおごりかも知れませんね。

そう。農業をやる人が打算の世界から解放されるならば、豊かな人だけが残る様にも思います。

暑い事ばかりに気を取られず、夏の中で次の春や夏のための生と死がある事を見て愛でる事が大切かも知れません。

私の人生の夏の盛りに、力を貸せた外国人の娘さんが、家族を持ち懸命に子育て中なのですが、幸せであるほど私の恩を忘れた事が無いと言ってくれます。


「会いたい。家族で待っている。」と言ってくれます。こんな嬉しい事はありませんね。自分の家族は、親以外に無くなったと思ったりもしますが、人の物語も心でつながっているのですね。万物の不滅の循環の中で。

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