辻川慎一つくば便り
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新年の仕事を前に。
明日から新年の乗務が始まるのですが、お正月休みで6時、7時まで寝る日が続き、大丈夫だろうか?と心配になります。
何やら目まいも続いており、気持ちが沈みがちです。
40代、50代、60代に入る時には、力で行き渡って来た様に思いますが、これまでとは全く違う感じがします。
これまでの生き方の全てが、問われている。そんな試練の様に思います。
法隆寺は1000年以上経っても維持されている最古の木造建築物なんですね。
飛鳥時代の建造物は、その後の時代に造られたものより圧倒的に頑強であるとの事です。
寸法でなく木のクセで組まれ、クギで組まれている訳では無いのですね。(今やボルトですが。)
軒も長く、雨の多い日本の風土を考えて独自の工夫がされているとの事です。
その100年くらい後に建てられた全国「国分寺」は大半が「跡」になってしまっていて、その後の時代は装飾の方に力が入れられて建物そのものは、1000年も持たないそうでございます。
しかも法隆寺の柱は「エンタシス」になっているのですね。
ギリシアのパルテノン神殿と共通して、柱の中ほどが太くなっているのですね。
直接の影響は無かった様ですので、飛鳥時代の職人さんたちの技術の独自性や建築思想の凄さに驚きます。
即効性や効率性、目先の金や装飾なんて事とは全く違う生き方があった。
そして創造物が残されている。
日本文化が見直されている様ですが、即効の金儲けや生活のためでしたら、それ自体が文化を食い物にしているだけの様に思います。
厳しい中で育ちクセのある、個性ある木を組み合わせる事で本当に強い建物が出来る。
規格を揃えて、無理やりカットした木をクギやボルトで止めた建物は結局長くは持たない。長く持たなくても良い。
考え方や思想が違うのだと思います。
かつての労働組合には、クセのある、一筋縄では纏まらない強烈に個性的な人たちがたくさんおりました。
私が仲間たちと作った労働組合も、個性派揃いで「辻川は、よくこんな人たちをまとめている。」と感心された事がありました。
そう、人の組織と言うのも個性やクセを組むから強くなるのは、飛鳥時代から同じ事の様に思います。
それを単一の規格や考え方で無理やり削り、見かけだけ良くしようとするから自然の生命力が奪われる様に思います。
建物でも、組織でもつまらないものばかりになる。
少子高齢化ばかりが、活力を奪っている訳では無い様に思ったりします。
つまらないんですね。
なかなか自由は利きませんが、法隆寺の様な本物は見て見たいなって思います。基礎をおろそかにして来た自分の土台を見直すために。
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2025/01/05 10:59
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年を重ねて土台から
まるで人生そのものみたいに、正月三が日もあっという間に過ぎますね。
それにしても、風情が無い感じがするのは私だけなのでしょうか?あまりおめでたい感じが致しません。
まあ、早々と仕事をされている人もおりますし、休めているだけでも贅沢なかも知れません。
三が日に動いていると、一年中動きっぱなしになるとの事ですので、年末にできなかった窓と壁の高圧洗浄をやりました。ついでに車も洗いました。
車と同じで、窓も洗ったままだと水滴がそのまま乾くので綺麗にはなりませんのでスクレイパーで水を落とし、乾いた雑巾で拭き上げます。
それだけで疲れてしまい、納得できないながらほどほどで終わりに致しました。
4つ下で電車の清掃の仕事をしている後輩が「疲れ方が違う。年を感じる。」と言っていたのを思い出します。ずっと頑張って来て、弱音を吐かなかった人の言葉でしたので私が疲れるのも年相応なのかな?と思ったりします。
最近の我が家のお気に入り中華に行って見ました。
筑波大学の近くにある「えん弥」と言うお店です。腕の良い中国人がやっているお店です。
とにかく学生さんがメインの様で、安いながら量も多いのですが、土台がしっかりしていて美味しいのです。
私は、麻婆豆腐刀削麺に唐揚げが付いたランチを頼みました。これで880円です。
安いだけのお店や、値段の割には大した事の無いお店がたくさんある中で、商売の仕方が違うと感じます。
基礎がしっかりしているので、外れがありません。
基礎や土台って何事でも大事なんですね。
見掛け倒しだとがっかり致します。
ネットで評判が良いと言うので、行って見て失敗する事がかなりあります。
人の評判と言うのも、それぞれの好みが違いますね。なので、あまり宛にはなりません。
ネットで流される人に対する評判も宛にならない様に。評判を流す人の思惑と言うのが必ずあるのですから、鵜呑みにすると損をする様に思います。
せっかく一度きりの人生であり、出会いですので自分の五感を働かせないともったいないのですよね。
その五感も研ぎ澄ませないまま、70が近づいて来ました。衰えて来たからこそ、感じないともったいないのだと思います。
それに、筋力・体力・気力が弱って来たからこそ土台である体幹を使う動きが必要なのかなとも思います。
土台や基礎がしっかりしている構造物が長く持つ様に、見かけだけの装飾や形のものは今だけしか持たない様に、自分自身はどうなのか?が、改めて問われる年になったのかも知れません。
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2025/01/04 14:56
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人々のなさけを謝して寝正月(山口青邨)
正月2日。家族で近場の温泉に行って来ました。
岩盤浴でも温まり、休憩室でひたすら眠っておりました。
何やら異様に疲れて気力が湧かず、眠ってばかりおります。
こんなお正月は初めてかも知れません。
でもまあ、年末ギリギリまで忙しかったし、これが年を重ねるって事なのかなとも思ったりもします。
それでも今日は、昨年たくさんの野菜を頂いた元同僚にお礼の品を届けたり、しばらくご無沙汰してしまった筑波山の窯元を訪ねたりして来ました。
窯元の奥さまが「気になる家族が来てくれた。」と喜んでくれました。
少なくなった作品を改めて、見せて頂きました。お弟子さんの作品はあるのですが、窯元が作られて来た作品の独創性と魅力を改めて感じます。
かなりのご高齢になり、窯仕舞いされるとのお話し。
とても残念ではあるのですが、人には引き際があるのかも知れません。
それでも、他生の縁の私たちの事も気に留めておいて下さるステキな人だなと改めて感じます。
あと一月すれば、筑波山梅林の梅まつりです。
日本では、長い風雪に耐えて生きる木々に神が宿ると考えられて来ました。
自然の木々と言うのは、森や林の中にたくさんの実を落とすのですが光が届かないと発芽しないので何年も経って、僅かな陽がさした時に発芽する。でも他の木々との陽当たり競争に勝たなければ大きくはなれない。しかし、自分からは動けないのですから、我慢強く頑張り続けなければならないのですね。
何百年も、何千年も我慢して耐え抜いた姿だから神が宿ると考える訳です。
我慢できないと大した事にはならず朽ちてしまう。
そう言う事を教えているのですね。
簡単に手に入るものに、本当に人に取っての価値があるのだろうか?生きる意味を見出せるのだろうか?
そんな事を考えさせられます。
それは、本当の幸せって何?と同じ問いの様に思えます。
(青の深みが凄い焼き物だと感じます。)
何とも気持ちが落ち込みながら、だからこそ感じられる事もあるのかも知れません。
「寝正月」と言うのは、俳句の季語でもあるのですね。
人々のなさけを謝して寝正月/山口青邨
そんな俳句もございました。
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2025/01/03 15:39
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100年1000年に生きる文化
元旦に、元朝参りに初詣して今年1年の無事と健康をお祈りして来ました。
帰宅すると、私の方はまだ出せていない年賀状が届いておりました。年賀状も高くなり、年賀状終いにする人も増えている様ですが、国鉄からJR時代の先輩方が大半でございました。
何か目的があっての事ではなく、年に一度のつながりながら何十年も続いておりますと、それはそれで得難いつながりなのかなと思います。
なので、時間はかかるのですが、一人一人、なるべく手書きで年明けの年賀状を書く事にしました。
妻が作ってくれた美味しい「お雑煮」を頂きました。
お餅は、JRの後輩が突いてくれた「福来みかん」「ヨモギ」のお餅でございます。
こちらも有り難く、美味しく頂きました。
昨年末29日、私がJRの後輩の御尊父様の葬儀に参列した日ですが、韓国では旅客機事故で179人もの人が亡くなられていたのですね。
家族や友人を突然亡くされた悲しみは、どの国のどの人に取っても同じだと思います。
まして事故の問題は、他人事ではありません。
心が痛みます。
元日の晩餐には、妻の心と手間のかかった「おせち料理」が並びました。
その料理を美味しく頂きながら、池袋で年越しのお弁当が配られ350人の人たちが並んだと言う報道を思い浮かべました。
生活苦のなか物価高騰が続き、日本でも困窮している人がたくさんいるのですね。
私とて、病気にでもなればたちまち困窮する身である事には変わりは無いと思っております。
やはり、他人事ではないと思います。
一寸先も、本当には見えないのだと思います。
けれども100万も1000年も先を見て、今を生きれるのも人間なんですね。
寝床でチラチラと読み返しはじめました。
1000年先まで持つ建物は、1000年以上の樹齢のある木でしかできない。木を組むのは人を組む事。
そんな言葉が沁みて来ます。
明日が見えないからこそ、1000年先を見て今を生きる大切さを伝えている様に思いました。
それが、日本の文化であるはずなんですね。
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2025/01/02 08:46
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明けましておめでとうございます。
みなさま、新年明けましておめでとうございます。
何だかお正月感が薄いのでございますが、昨年は地震から始まってしまいましたので平穏な幕開けに感謝したいと思います。
毎年、初日の出と初詣は別なところでチャレンジして来ましたが、今年は茨城県の神栖(かみす)と言うところに行って見ました。
神様の栖(すみか)と言う凄い地名の街でございます。
古くからの地名だと思いますが、コンビナートの建物が並ぶ工業地帯でございます。
海風が強いので、風力発電の街ともなっているのですね。
そのまま初詣は、神栖の「息栖神社」に行って見ました。
近くの鹿島神宮、香取神宮と合わせて「東国三社」との事で一度行っみたい社でございました。
しかし、荘厳な感じの鹿島神宮。派手な感じの香取神宮に比べると質素でシンプルな感じが致します。
本殿も可愛いくらいです。
一の鳥居には、2つの湧き水の井戸があり、古くから地元の人たちが利用して来たとの事で、どちらかと言うと地域密着の神社であった様です。
初詣に来る人々も地元の人が多いみたいで、神社の人たちと親しくあいさつしている姿が見受けられました。
フレンドリーな感じが他の2社とはかなり違う印象です。
「ここはなかなかステキ!」と妻も気に入っておりました。
二の鳥居の近くのお店で「幸せの黄金鯛焼き」を売っておりましたので、食べて見ました。
鯛焼きと言うより、ホットサンドに近い感じでしたが、ユニークで美味しゅうございました。
鹿島開発で、一大工業地帯になった街でしたが「神の住み家」の由来が、こちらにあったのだなと理解できた感じでした。
日本の無数の社は、天皇制と結びつけられ格付けもされておりますが、元々は自然への敬意と怖れ。豊穣への感謝と祈りと一体のものであったと思います。
余計な解釈や権威付けを除けば、自然の道を尊びながら生きて来た日本人の姿が見えて来る様にも思います。
「八百万の神」と言うと、日本人のいい加減さの象徴の様に言われる事もありますが、本来は決してそうではないと思ったりします。
自然に対しても、そこから生まれ生きている人間に対しても感謝と尊敬を忘れない。
そう言う事なのかなと思うのです。
息栖神社は、交通安全の神様でもあるとの事で、今年1年も無事に頑張る事を誓って参りました。
もちろん、みなさんの分もです。
今年も良い年であります様に!
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2025/01/01 15:44
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