辻川慎一つくば便り

許す強さ

今月3月で90才を迎えた父。その世話をしながら、車を運転して買い物や病院に連れて行く85才の母。免許証の更新を続けられている事だけでも凄い事だと思います。

若い頃は、散々父に殴られて入院した事もありました。今なら立派なDV夫ですね。鉱夫をしていた荒くれ男でもありましたが、今では便やよだれが垂れても分からない状態だと母がこぼします。

でも、私が訪ねていくと毅然としようとする父でもあります。


(霞ヶ浦のヨットハーバーです。カモメが飛んでいたりすると、それなりに風情を感じます。)


父は買い物好きで、面白いものが好きです。時々変なものを買って来ます。

テレビショップで、これだ!と思ったものを買ってしまうので「炊飯器が3台もあるんだよ。」と母が嘆きます。

新聞も良く読んで情報通ぶりに驚きますが、安売りチラシも良く見ているそうです。

先日訪ねた時には「慎一、これどう思う?安いだろう?」と見せてくれたのは、何と葬儀のチラシでございました。

「直葬だと10万円なんだ。それから参列者8人で25万円、花も立派だしこれで十分だよな。」と言う話しでございました。

う〜、少し前には死にまつわる話しになると沈黙していましたので、私からそう言う話をするのはタブーにして来ましたので、ちょっと驚きました。

でも、息子に自分の希望を伝えてくれるのですから、一緒に写真を見ながら「そうだね。直葬ってのは安いけど抵抗あるね。祭壇の花は良いね。」なんて相づちを打ちました。

内心、自分の葬儀まで安売りチラシで決めるのって何だか父らしくて面白いなとおかしく思った次第です。

母を殴っていた時や私に対する時と別な顔があります。ユーモアがあって、面白い人なんですね。

私は、そんな父の息子でもあります。


(霞ヶ浦には船便もあり、屋形船もあります。)


シリアスさと冗談ぽさが同居するのは、父譲りかも知れません。

シリアスな事を言いながら自分のバカっぽさを知っているから、他の人がバカをやっても気にせずに受け入れてこれたのだと思います。

シリアスばかりだと、人を受け入れるのが難しくなってしまいますよね。

「朝からアイスクリームなんて身体に悪い!」とか「あの店員の態度はなんだ!」とか。許せない人になってしまう様に思います。

あまり過ぎてはならないと思いますが、ちょっとおバカなくらいで丁度良い様に思います。

人には色んな側面があるのですし、きっちりばかり求めても相手は逃げてしまうだけの様に思います。


(全くきっちりしていないわが家の花壇に、芝桜が咲いております。何気にヒヤシンスの花まで一緒に咲いています。)


「許すことは最大の強さ」と言うのは、マハトマ・ガンディーの名言で「弱い者ほど相手を許すことができない、許すということは強さの証だ」に続く言葉です。
人は傷つけられると、つい相手を恨んだり、許せなくなったりする。しかし、許すことで、怒りや恨みといった感情を手放し、心が解放される。
許すことで、目の前のことにより集中し、より我慢強く、より協力的になれる。許すことで、過去の出来事に対する自分の捉え方を変えることができるとの事です。

つまり、許すと言うのは自分の心を縛りから解放する、自分のための心の働きだと言う事なんですね。

母は父にだまされた!と恨んできたのですが、実は疾うの昔に許していた様に思います。諦めたのかも知れませんが。

母に「父さんが、私に葬儀のチラシを見せに来たよ。」と話しましたら、驚くやら笑うやら。そして「そんなの母さんがちゃんと準備しているのに。」と言う。

「分かってるよ。でもね息子に自分の希望を伝えてもらえるのは大事な事だと感じたよ。そんな事は、今まで無かった事だから。」とそんな話を致しました。

父と母、私。きっと誰にでもある様な特別な思い出がよみがえります。

コメント

プロフィール

HN:
No Name Ninja
性別:
非公開

カテゴリー

P R