辻川慎一つくば便り

もう背負わなくても良いんだよ

今日の朝乗務は、雨混じりの突風が吹きました。乗務が無事に終わるとやがて雪になりました。休憩時間に一時帰宅したら雪が積もっておりました。


春のお彼岸の雪に、いよいよ春なんだなと思ったりします。


私のJRの後輩に福島県の須賀川市に近い土地出身者がいます。その人が円谷には「ツムラヤ」と「ツブラヤ」があるんだよ。「ツムラヤ」は、ウルトラマンの円谷英二。「ツブラヤ」は、東京オリンピックのマラソンランナーの円谷幸吉なんだと言っておりました。ご自身も円谷幸吉さんと同じ高校で陸上部に入り、マラソンをやっておりました。郷土の誇りなんですね。


東京オリンピックは、1964年。私が7才の時です。木造小学校の階段に座らされて、1台のテレビをみんなで見せられた記憶があります。


円谷幸吉さんは、2位で走っていたのですが既にフラフラでゴール直前で抜かれてしまいます。3位に入っただけでも凄いのですが、疲れ切ってしまったのですね。数年後に自殺してしまいます。

その遺書には「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」と書かれてありました。当時としては、とても衝撃的な事件で彼の歌も作られました。

「何のために走るのか 痛い足を我慢して♪」(一人の道・ピンクピクルス)その曲と共に、私の記憶があります。

https://youtu.be/3G_ZL6f97Co?si=PxqfYIjHVWqzQk80

それから60年。67才になってしまった私も、疲れて痛い目を擦りながら「何のために走り続けているのだろう?」「何のために働き続けているのだろう?」って思う時があります。

円谷幸吉さんは、国の名誉を背負っていたのでしょうか?彼ほどでないにしても、労働組合や政治党派や家族と子供の死まで色んな事を背負いながらの人生でした。そして、今も再婚した年下の妻と彼女のやって来た活動と信念を背負いながら働き、走り続けて疲れてしまった私がおります。あと何年走れば良いのでしょう。


(お腹が空いた動物に見えてしまうのか、何人かの乗客から「エサ」が届きます。ちょっと元気になる瞬間です。)


やはりJR時代から、いくつもの山場を一緒に乗り越えて来た仲間が言ってくれた言葉の意味を考えます。「辻川さんは精一杯やったんだ。出来ない事もあったけど仕方の無い事なんです。」それは「もう肩の荷を下ろして良いんですよ。」って言う意味だったのかって今になって思います。

もう、何かを背負って頑張れる年では無いんだ。そう言う事なんですね。

私が息子を亡くした事を知っていて、私を気遣ってくれる同い年の同僚にも「辻川さん。もう余計な事を考えるな。動ける時間は残り少ないんだよ。自分の好きな事をやるんだ。」と強く言われたのを思い起こします。


(これをプレゼントしてくれた人です。「今のタイプは、後ろが角張っていてダメだね。丸い曲線が良いんだ。」と車のフォルムにまで、好きがちゃんとある人です。)


重荷を背負っても走れた若い時代は終わったのだ。

若かった円谷幸吉さんでさえ耐えられない重荷があった時代。それから60年もたち、少子高齢化どころか、高齢者が次々と死んで行く時代になりました。昔から言われてきた「労働者階級」でなく「高齢者階級」が厳然としてあると言う人もおります。高齢者階級が、当たり前にされて来た重荷から解放されて、生き抜く事の中に、この社会の未来が見えるのかも知れません。

コメント

プロフィール

HN:
No Name Ninja
性別:
非公開

カテゴリー

P R