辻川慎一つくば便り
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ポンコツ車とポンコツな人
今日の私は週1回の小学校の送迎バスです。訳あって、一番古い三菱のマニアル車のマイクロバスの担当でございます。
寒くなると、かなり走らないと暖房が効かないのでこの時期は辛いのですが、運転の方は新しいオートマ車よりも扱い安いと感じます。
向こうに合わせられると、こちらが言う事もちゃんと聞いてくれる。そんな感じなんですね。何となく人に近いアナログなバスです。
いつも運転する三菱製の中型バスも、ちょっとレトロで同じ感覚がいたします。
(「あの車は何?」って妻に聞かれたのですが、わかりませんでした。調べて見ると奥が高圧洗浄車で、手前が高性能バキューム車。下水管などの洗浄をする車なんですね。いろんな車があります。)
朝の乗務を無事に終えて、車内清掃をして、窓も拭き上げ、さらにボディも上から下まで濡れタオルで拭き、タイヤワックスをかけました。
やっていますと、会社に入って間もない青年が「そんなポンコツを磨いてもしょうがないでしょう?」なんて聞いて来ました。色々と注意を受けて凹んだりもしているのですが、私には憎めない若者です。
「うん。でもポンコツだかこそ磨いてやらないと。」
そんなやり取りを致しました。
そういえばポンコツって何だろう?
「ポンコツとは、機能が不完全であること、または性能が低いことを意味する言葉です。故障や老朽化により正常に作動しない状態を表します。」
との事です。
それが人を指す場合には
「ドジな性格である
能力やスキルが不足している
故障や老朽化により正常に作動しない状態である」
だそうでございます。
いや、どうも。
私自身ではございませんか。
ポンコツの心は、ポンコツが知るって感じでしょうか?
(出勤の時の交差点待ち。前の熊谷ナンバーのホッパートレーラーに「TREX」とありました。Tレックスと言えばブリティッシュロックバンド「チラノザウルス・レックス」ではないか!と思ったらトレーラーの車体シェアナンバーワンの「トレックス」と言う会社のマークでございました。古過ぎるネタばかりですね。)
ところで、ポンコツなバスを綺麗にできるのは、かなりポンコツなれど私が生きている人間だからなんですね。
そう考えると生きているってステキな事だよなって思います。
科学万能みたいに考える時代の中で、しかし誰も避けられないのが「死」なんですね。死んだらどうなるのか?に科学の答えは無い。だから「死」を考えない様になって来ました。
でも、生きとし生けるものはいつか死ぬ訳です。死をちゃんと考えない在り方と言うのは、自分が今生きている事、そして奇跡の様に他の人が今生きている事をおざなりにしてしまう様です。
天変地異や交通事故、病気や犯罪、そして戦争、他人事に考えがちですが、私たちは常に死と隣り合わせにいるのです。
明日死ぬとしたら?あと1年の命だったら?
そんなにぞんざいに、今を過ごせませんよね。あるいはとても大切な人を失うとしたらどうでしょう?
大事な人に対してポンコツもへったくれもありませんよね?
つまらない比較なんかどうでも良くなると思います。
そんな事に囚われている時間さえもったいないはずです。
今が永遠に続くかの様な感覚が、ただの幻想でしかない事を私たちはたくさん見て来たはずです。
しっかりと死を見つめながら、今を生きる。
不吉でも何でもなく大切な事なのだと思う様になって来ました。
何気に、綺麗に拭き上げたポンコツ車が輝いている様に見えます。
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2025/01/15 12:38
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アメリカン・パイ
昨日は、妻がアップルパイを食べたいと言うので、スマホで調べてもらいました。
そうしましたら、土浦市天川と言う古い住宅街に「アメリカン・パイ」のお店があると言うので行って見ました。
「アメリカン・パイ」って言う歌があったね。と言うと妻は知らないと言います。
ちょっと歌って見てと言いので「バイ〜バイ ミスアメリカン・パイ♪」とワンフレーズを歌ったのですが、やっぱり知らないと言います。
調べましたら1971年の洋楽ヒット曲で、ドン・マクリーンと言う人が歌っておりました。
私が中学2年生の時に、よくラジオから流れていたのだと思います。「電話リクエスト」なんて言うラジオ番組があって、同級生たちも聞いておりました。
https://youtu.be/hFb_Lg9nV_c?si=3rzIs7gzFm0JLRrY
アメリカン・パイって、アップルパイが一般的みたいです。
これでございます。
優しい味のアップルパイでございました。
ミートパイも買って見ました。
はじめてのミートパイ。こちらはビールが合う感じです。
住宅街の一角で、良くやれてるな〜って思いますが「お土産にしたいと言うお客様がいるので、10時から開店しています。」との事でした。
お店の中には、楽しく可愛いアメリカ雑貨も売られており、店内で食べる事もできます。
お店の人も感じが良いです。
味が濃いのが好きな人には物足りないかも知れませんが、素材を大事にしているのか余計な甘さや塩分が控えられている様に感じます。
時々良いお店に当たります。また行ってみたいお店です。
もっとも、私一人なら訪ねる事は無かったと思います。私の方は、生きてきた世界が狭かったので、妻がいての事ではあります。
世界の人々がグローバルにつながり、お金さえあれば一人で生きる事に不自由しなくなった現在ですが、私たちの意識は、物不足で、相互に助け合わないと生きて行けなかった時代の村社会のままなのかも知れません。
なので、かなりの人が「みんな一緒」みたいな暗黙の同調圧力に苦しんでいますよね。
同じ人なんか一人もいないのに、仲間だ、友だちだ、同じ組織の一員だとか。
みんな違う他者なんだってところから、違う他者を尊重する中で時代に対応する人のつながり・連帯って事を考えて築いて行かないと、今の時代には通用しなくなっている。
それは、昔のまんまの発想から抜け出せず、知らず知らずに人を傷つけて来た私自身の課題である様に思います。
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2025/01/14 15:29
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渋い思い。
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年で一番寒いのは、1月後半から2月前半にかけてらしいですね。つまり、いよいよ寒さがピークになる訳です。
でも、夜明けと夕暮れに発車する毎日を送っていますと確実に日がのびている事も感じます。
辛い事ばかりではありませんね。
ともあれ、あまり体調がすぐれない身としては、有り難い3日間の連休でございます。
毎朝7時近くまで眠っておりますと、仕事が始まってまた3時起きができるのかなー?なんて心配にもなります。
でもずいぶんと楽になった感じがしますので、やっぱり心も身体も休養は大事だなって思います。
味と素材と値段のバランスがあまり良くないと感じるのでチェーン店はなるべく避けている私たちなんですが、ちょっとお気に入っているのが「山岡家」の「朝ラー」です。
定番細麺のとんこつラーメンなんですが、ねり梅がトッピングされていて硬さ、油の量、味の濃さが選択できます。
そして安い割に満足度が高いのです。
山岡家が人気のある理由が分かります。
各店で微妙に違うので、やはり同じ山岡家でも合う合わないもあります。
先日は、山岡家の記念すべき1号店が6号国道沿いの「牛久店」である事が分かり行って見ました。
まだ午前10時頃でしたが、こちらもお客さんは絶えませんでした。
24時間365日開店していながら、働く人にも優しいとのキャッチフレーズですが、働く人たちも感じが良いのであながち誇張では無い様に思います。
働いている人を見ると、どんな会社やお店なのかって大体分かりますよね。
不味ければお話しになりませんが、店の人の感じが悪ければやはり客足は遠のく様に思います。
商品に大した差がなければ、人を選ぶのは当たり前の事だと思います。
ですから人を育てたり、大事にする事を忘れた企業やお店は廃れて行くのだと思います。
結局最後は人を選んでいる様に思います。
さて、そうなるといつも思うのは「自分はどうだろう?」って事です。
良い年になって、大した技量も能力も無い。なので「給料を上げろ!」と言うほどの仕事をしているのか?なんて思ってしまいます。
もはや査定の対象ですらありません。
でも、自分の限界や出来ない事があると知る事も大事だと思います。限界を知るから挑戦し続ける努力もできる訳です。
苦味を知る人が、味の深みを感じられるそうです。
人生の苦味を知る事で、人生の深みを感じられると言う訳です。
今朝は、まだ青いバナナを食べて見ました。青いバナナは、硬くて渋いのですね。妻には「青いのには毒があるのだから、食べたらダメでしょう!」と叱られました。
渋いってのは味覚ではないそうです。渋いって「華美でなく格好良い」と言う意味と「ケチ」って言う意味があります。渋みも深い。
やっぱり人生は、紙一重なんですね。
どうも格好良く行きません。
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2025/01/13 11:57
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生まれ故郷
昨日は、柄にもなく、大日如来だの菩薩だのとの話題になってしまいました。
私が生まれたのは富山県の立山町と言うとこです。私の父親の故郷なんですが、小学生の頃は毎年の様に夜行列車を使い家族で帰省して父の兄弟の家に泊めて頂きました。
おじさんたちにとても可愛かって頂きながら「慎一、あれが立山。左の山が剣岳、右の方が大日岳、さらに右の方が薬師岳だよ。」と教えて頂いたのを覚えています。
立山と言うのは、金沢の白山、富士山と共に日本の「三大霊峰」との事で1300年前から神の山として信仰を集めて来た山なんですね。
そして大日岳とは大日如来が祀られ、薬師岳とは薬師如来が祀られている山と言う事でその名が付いているのです。
生まれたところではあっても、父が家族のために仕事を求めて、九州から北海道まで渡り、日立市にたどり着き小学生からは茨城県民と言う事になりましたので、富山は父の故郷で私の故郷では無い様に思って来たのですが、どうもそう言うものでも無いのかも知れない。と思い始めております。
昨年末に、毎年干し芋の買付けを頼まれているバスの運転士さんに父から頂いた富山の蒲鉾をおすそ分けしました。
年が明けて、一昨日。乗務を終えて車内清掃しているとこにその運転士さんが来ました。「辻川さんは、富山のどこ生まれなんですか?仕事で富山に行った時に割烹旅館に泊まって食べた蒲鉾がとても美味しかった。翌日は金沢だったので市場で探したんだけど無かったんだよ。」とそんな話しをしてくれました。
つまり、ずっと食べたいと思っていた蒲鉾を想定外に頂いたと言う事でした。
「私の生まれは、立山町と言うところなんですよ。喜んでもらえて嬉しいです!」そんなやり取りがありました。
父も高齢になり、一緒に富山に行く事はできなくなってしまったのですが、今さらながらに「俺は富山で生を受けたんだ。」と思ったのでございます。
祖父やおじさんが住んでいた富山地方鉄道の「五百石」と言う駅です。
駅と古い家の記憶はあります。
昨日訪ねて来てくれた友人は、都会生まれの都会育ちで「田舎も良いと思っていたのだけど、年を重ねて来たら殺伐としている様な街の方が落ち着くんだよ。」とそんな話しをしてくれました。
都会であれ、故郷は故郷なんだと思います。
私もこの年になって生まれ故郷と言うのもあるんだと感じる様になって来ました。
しかも、神が宿り、仏が祀られている山々がある歴史も自然も豊かな地で生まれたと言う事を自分が粗末にしてはならないなと思い始めた訳です。
大日如来の話題を上げてから、おじさんたちに大日岳と言う山を教えて頂いたのを思い出したのです。不思議な事ではありますが、偶然では無い様にも思います。
そのおじさんたちもだんだんとこの世を去って行きました。
自分の心の中に仏がある事を見出す。それが、悟りと言う事なんですね。小難しい事では無い。
目先の利益や執着にとらわれて、時代と共に退化してしまった心の問題を生まれ故郷のおじさんにたちや山々の事を思い浮かべながら考えます。
何より私自身が、大切にすべきことを間違えていた事を見直しながらです。
https://youtu.be/ysQ_2IfYolM?si=ztink7pIL1vnC97N
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2025/01/12 17:24
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ちょっと休養チュー。
昨晩の夜便。いつも最終便に乗るベトナム人の実習生の女性に「今日は早かったですね。」と話していましたら「食べませんか?」とサンドイッチを頂きました。ベトナム語のあいさつを教えてくれた人です。私の名前を覚えてくれますので、私も彼女の名前を覚えております。
想定外の事でしたが「ありがとうございます。頂きます!」と一つ頂きました。
そこに、別の同僚が来て「辻川さん明日の土曜日は休みですか?」と聞いて来ました。「以前と違い、もう責任者ではないので私には何の情報も入って来ないのですよ。出勤日が分からないのは困りますね。」と話しを致しました。
その同僚が自分のバスに戻りましたら、「実習生」の人が「私が、出勤日のカレンダーを持っています!」と探して見せてくれました。
「わぁー、ありがとうございます。助かります!」と重ねてお礼を伝えました。
毎日送迎している「だけ」の私を気にかけて、できる事なら助けたいと思ってくれている事にとても嬉しく感じた次第です。
人として、できる事なら助けになりたいと思っているのですよね。「大変で、かわいそうな人たち」なんかではなく、人としてはお互い様で対等なんだよな〜って学び直した瞬間でございました。
人種も、国籍も関係ない。人としての関係なのだと思います。
(大日如来。宇宙の仏様なんですね。如来も自分の中にいる。)
そんな事がありながら無事に乗務を終えた訳ですが、どうにもフラフラが止まりません。
帰宅して妻が作ってくれた美味しく温まるお汁を頂きながら、軽く一杯やりお代わりをしようと立ち上がりましたら目まいがして床にこぼしてしまいました。
ストレスで自律神経がおかしくなっているのだと思います。これ以上無いくらいの悲しみの時から不定期に続いて来ました。
自分では大丈夫と思っても突然フラッと来るのです。先日もそれで運転席のドアを隣のバスにぶつけてしまいました。突然来るので構え様が無いのが辛いですね。
そう言っても、経験してなければ分からない人には分からないのですから。不注意としか思われませんので、謝るしかないのです。
自律神経の失調の症状の一つにフラフラ感や目まいがある訳ですが、直接的には脳の血流が悪くなり酸欠状態になるのでフラッとするのですね。
身体全体もですが、脳の血流を良くする対策を自分で取らなければなりません。
と言う訳で、朝からストレッチをしたり足踏みをしたりと軽い運動をやり、朝日を浴びながら深呼吸をしたりしました。
遠方から友人が訪ねて来てくれましたので、一緒に常陸秋そばを頂き、お風呂に入り温めの「重炭酸泉」にゆっくりと浸かって来ました。
温めながらストレス発散ですね。
簡単に良くなる訳ではありませんので、じっくりと。目まいが来る事にも構えながら。
色々とこれまで通りには行かないのですが、同年代の理解し合える友人がいると言うのにはやはり救われます。
ますます救われてばかりの人生でになって来ました。
(仏になるための修行を積むのが菩薩なんですね。菩薩も自分の中にいる。)
さて、最近知った事ですが、キリスト教などの考え方と仏教の大きな違いです。
西洋の神様は、自分(人間界)と別なところにいると考えるのですが、仏教の神様(仏)と言うのは自分の中に、自分の心の中にあると考えるところが大きな違いなんですね。
自分自身の中の仏(神様)を生きる。自分自身が如来や菩薩になって行く。そのための修行をする。修行とは特別の事ばかりでなく、私たち人間界の日常の中にある。
そう言う考え方なのだと思います。
人の心の中に仏もあれば、卑しさもある。自分自身を見ると分かります。だからこそ、仏の心を見いだして、そこに生きよう。
仏の心や道と言うのは、大日如来にも現れておりますが、宇宙の道・天の道に通じている様に思います。
自分の都合の良い様に、ご利益ばかり願うと言う事とは全く違う考え方なんですね。
自分の中の仏を生きる、そうして人は仏になって儚く限りある自分の生を全うする。
なるほど、キリスト教的西洋的考え方と根本が違いますね。
神様のために生きるのではなく、自分の中の神・仏を生きよ!って事ですから。
目まいがして、フラフラしながらも、見えて来た事もございます。
心の中でもっとも尊いのが、慈悲の心。母の子に対する無償の愛なんですね。
立派な建前ばかりで、実は「現世御利益」の人たちばかりなので、自分の夕食であろうサンドイッチを一つ分けてくれる労働者の気持ちが嬉しく感じるのかも知れません。
私も自分の仏を探して、生きないとと思います。
今日は、ちょっと休養しております。
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2025/01/11 16:08
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