辻川慎一つくば便り
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慌てず、焦らず、流れる様に。
昨日小学校のスクールバス物語の続きです。
朝シートベルトのつけ方が分からなかった新1年生の女の子。運転席から心配ながらお迎えしたのですが、運転席後ろのやんちゃでにぎやかな男の子2人が「こうするんだよ!」ってやってあげたんですね。
いやぁ、朝の様子をちゃんと見ていたのです。しかも「1年生を迎えに行かなくちゃ」ってお出迎えに行った後の出来事でございました。
慣れない1年生を助ける事を当たり前の様にやったのです。その気持ちを嬉しく感じると共に、一緒に学校に通う「友だち」に守られているんだって感じる1年生の子の不安が軽くなった様子も見えました。
男の子たちが「カーテンを閉めても大丈夫だよ!」って言いましたら、添乗員さんが「そこまでしなくても良いよ。」と言いながら、私に「カーテン閉めても大丈夫ですか?」と聞きましたので「もちろんですよ。ご自由にして下さい。」と笑顔で返しました。
添乗員さんが「うるさいでしょう?すみません。」と言うので「にぎやかな方が楽しいですよ。」と返しました。
(古い日本映画の「有りがたうさん」。加山雄三さんの父、上原謙さんがバス運転士の役でした。何に対しても「ありがとさん」と言う運転士さんでした。)
添乗員さんが「うるさいでしょう?」とか「カーテン開けても良いですか?」とか、まあ礼儀として言っているのかな〜と思いつつ「子どもはうるさいから嫌いだ」って言う同僚がいた事を思い出しました。
その人なら嫌な顔をしそうだなと思い浮かびました。
私も気を使って話しかけるのですが、ほとんど笑顔が無くて「楽しい事なんて何もね〜よ。」なんて言います。
たぶんそう言う運転士さんのバスに乗るお客さんも楽しくは無いだろうなと思ったりします。子どもたちだって良く見ているのです。経験が少ない私なんかよりは、運転テクニックに自信のある人であります。
しかし、今のバス運転士の上手い運転と言うのは、自分で思う事ではなく乗っている人が安全安心を感じるかどうかなのでは?と思う私です。
だから、これで良いなんて自己満足せずに向上し続ける楽しみがある様に思うのです。実は満足しているから面白く無いのと違うかな?
(こちらも古い日本映画「警察日記」から。スタートは、安達太良山を背景にして走るバスシーンからだったと思います。結婚式の花嫁さんを乗せると言うので「運転士さんもまあ一杯!」と言われ「それじゃあ」と言って頂く。私の若い頃までそんなでしたね。)
今日は、60代の後輩運転士の指導運転士であります。
運転には性格がでるよな〜って、他の人の運転を見ているとしみじみとそう感じます。
いろんな先輩にいろんな事を指摘されて、気にし過ぎてあれやこれやと慌てて抜ける。ミスに焦って運転もぎこちなくなっている。そんな姿を見て、あ~私も大差無かったなと思い返します。
なので私のアドバイスは、「慌てない事、焦らない事。それが一番危険です。安全と安心が一番で、その他は抜けても取り返しがつくので大丈夫。その順番で自分がスムーズにできる流れを作って下さい。ぎこちなければ、乗っている人が不安を感じます。」でした。
その上で、ハンドリングや交差点のスムーズな進行について余裕を持って、全体を見ながらゆっくりと行けば良いのです。速度が出せるところは出す。他の人が運転する訳ではなく、運転するのは自分です。自分なりの流れを作る事が大切だと思います。
なんて、偉そうにでなく同じ苦労をして来た先輩として話させて頂きました。お互いに60代の挑戦者ですから。
(そして「歩いても歩いても」に出ていた東急バスです。)
鉄道もですが、バスも人の物語には欠かせない風景であり続けて来たのですね。
そして今も、子どもたちや、外国人や働く全ての人や、老人や…たくさんの人たちの日々を支える風景なんだと思います。そう、出会いや別れもあるでしょう。
そんなステキな仕事にするか、つまらないただの職業にしてしまうのか?
それは、自分次第ではないのかなって思ったりします。自分自身への人生への向き合い方と他の人の人生への向き合い方とは一緒なのだと思います。
自分を受け入れて大切にできないと、人を受け入れて大切にもできないと思うこの頃です。
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2025/04/15 12:59
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しんがり(殿)を走る
朝まで雨が降り、青空の中をバスで走りました。今日は小学校の送迎バスで、初めてのコースです。
桜のピンクが残り、新緑の葉とのコラボで絵の様な山林を見ながら、新1年生を迎えてほぼ満員のスクールバスです。
不安げにランドセルを背負ったまま、シートベルトのかけ方が分からない子。「ママがいない。」と言う子。
だから、笑顔を向けながら添乗員さん任せにせずにできるだけ助ける様にします。もちろん運転席は離れられませんし、停車中は辺りの車にも注意しなければなりません。
「あ〜かけ方が違うね。やり直そうか。そうそうカチャって言うまでね。良くできたね。」そんな具合でした。
それでも不安気で、前の席の手すりにしっかりとつかまっているのが何とも可愛いと感じます。
送って来たお母さんたちにも手を上げ、笑顔でお辞儀をしながら安全確認し出発する。
運転は下手なのですが、一つ一つをしっかりやりながら楽しめる様になって来たのは「新人教育」を担当させて頂いたお陰なのかも知れません。
腕の方はすぐに追い越されてしまうのですが、一応先輩になりました。
(「心の友」さんが送ってくれた小貝川堤防の菜の花です。菜の花は花期が長いので楽しめます。)
ラッシュアワーを走り続けて悟った事があります。最後部を走りながら、後ろから全体を見てスムーズに進むにはと判断しながら走ると言う事です。
別にレースでは無いので、前に入りたい車は気にせずかなり車間距離は取りゆったりと走ります。
むやみに急いでも危険が増すばかりで、そんなに早く着ける訳でも無い。
混んでないところなら、法定速度まで上げてテキパキ走ります。緩急をつけながら運転するのですね。
だからあまり遅れません。
しんがり(殿)走りとでも言いましょうか。どん尻走りと言いましょうか。そんな感じです。
何でしんがり(殿)と言うのか調べてみたら、戦で退却しなければならないと言う難しい局面で最後部で追っ手と戦いながら、殿様や本隊を守る武将や部隊の事なんですね。なのでヘタレではダメでかなり強い人が決死で受ける役割との事でした。
後ろは気にしなくて済むから、しんがりって良いなーなんて思っていましたら、それはただのドンジリと言う事なのでございます。
まあ、私にはドンジリの方が似合っております。先頭を走っても全体は見えません。急ぐより、良く見て楽しむ年になったのだと思います。
(こんな若葉の中を散歩されたそうです。ステキですね。)
昨晩は軽く一杯やりながら長田弘さんの対談本を読んでおりました。国際政治学者でジュネーブ軍縮会議特命全権大使をされた猪口邦子さんと言う人との対談でした。
面白いのは、軍縮について国家間の同意を作っていくためには、その国それぞれの「不安とこだわり」を良く聞く事が肝心であって、何か正しいと思う事を声高に主張する事ではないんだって言う事でした。
国家にも「不安とこだわり」があるのですね。私が「不安とこだわり」で思い出すのは「自閉症」と言われる人たちです。こだわりと言うのが不安とセットなら、そんな人は身近にもたくさんおります。
あ~国家まで「自閉症」だったんだと私は思いました。
そして、その対応は「よく聞いて相手の不安とこだわりに応える。」と言うのです。
何の事はない、国家にも人にも対応は同じだと言う事です。聞く事から始めないと何も変わらないとまでおっしゃっております。
聞けない人のおしゃべりでは、何も変わらないと言う訳です。
まあ、そんなら私たちの日常でも変わらないと思うのです。それは、万国共通だよって事なんですね。
(こちらはわが家に住むアマガエル。冬眠から覚めて恋の季節。大きな鳴き声でにぎやかになって来ました。)
国際政治なんて難しい事の様に思いますが、人の基本は同じなんですね。
不安は生きるためには痛みと同じ大切な働き。心の働きなんですね。
昔はあった心のつながりがめんどくさいものとされて来ましたが、不安とこだわりがどこにあるのか聞くって、心でつながるしかないんだって事ですよね。
私が「歩いても歩いても」と言う映画が凄いと思うのは、映像と言葉から心の動きが見えて来るところなんです。
是枝裕和監督の映画が、国際的に通用するのが全然不思議では無いと言う理由が分る様に思います。
心で人とつながれない人に、世界も現状も変える力は無いんだって事ですね。あ~、またしても反省です。
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2025/04/14 12:59
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歩いても、歩いても
昨日は、色々あってブログをあげられませんでした。
まだまだ人生を登れると思っている人と、下りながら始末を考えなければならない人とはなかなか合わない様です。
昨晩は、思い切って見たかった日本映画を見る事にしました。
是枝裕和監督の「歩いても歩いても」と言う映画です。
映像と言葉が大事なんですが、日本語と言うのはなかなか聞き取りづらいといつも思います。まあ、私が難聴気味で高音部が聞こえないと言う事情はありますが、映画好きの人が同じ事を言います。
日常を淡々と描いて、世界に感銘と影響を与えた小津安二郎監督を受け継ぎながら独自性を感じて惹き込まれました。
冒頭から樹木希林さんとYOUさんによる料理のシーンから。料理を軸に日常を描く、食卓を囲むところを軸に家族がいると言うのはサザエさんならずとも大切なんですね。
私たちが忘れて来た家族の光景がそこにはあります。
親子、息子、その嫁、孫、兄弟姉妹、それぞれの心があり確執がありながら一緒に食事をする。それぞれの心を描いて行く映画なんですね。
阿部寛さんはまだ若くて、いまいちさえない息子役で、父親役の原田芳雄さんも頑固で今一の役。樹木希林さんの存在感が凄いですし、嫁役の夏川結衣さんも魅力的です。
やはりさえない婿役の高橋和也さんなんですが、彼の一人芝居を見た事があり凄い役者である事を知っておりますのでさり気なく凄い演技をしていると感じます。
そして、逗子市が舞台の様ですが事故で亡くなった長男の命日に集まった家族で墓参りをするシーンがあります。
毒舌気味の樹木希林さんが「息子の墓をお参りする親の気持ちが分かるか。10年かそこらで忘れられてはたまらない。」(正確ではありませんが)と言う言葉がグサッと来て泣きそうになりました。
家族って一体何?って考えさせられます。彼女が軸にあって、揺るぎながらも家族なんですね。
その彼女の旦那さん(原田芳雄)との思い出の歌が「ブルーライトヨコハマ」。亡くなられたいしだあゆみさんの歌でした。そうです「歩いても〜、歩いても〜♫」なんですね。
https://youtu.be/sped3Xtb4Lc?si=FofcurHcV_Qgc0P9
映画の舞台の地も家も、魅力的に美しく撮られております。
家族には風景があると感じます。食卓を囲み、立ち戻る風景がある。そんな家族は確執があっても、戻るところがあるのです。
私が子どもの頃の風景だったよな〜って思いました。映画の設定よりも、ずっと貧しかったですが。
見かけ上豊かになって、お金があれば何でも簡単に手に入る様になり、さり気ないものに相手への思いを込めたり、心を砕いて対話したりをしなくなってしまいましたよね。
つまり、心の方は貧しくなってしまった。そんな時代の変化に対して「違ってないかい?」「忘れられてたまるか!」そんな心のメッセージのある2008年に作られた映画の様に感じました。
高齢の両親を別にして、そんな家族を作れなかった私にはとても沁みる映画でございました。
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2025/04/13 14:41
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元闘志の今
何だか久しぶりーと言う感じで今日は「指導」から解放されて、一人バス運転士です。
やっぱり自分で運転する方が、気楽な感じが致します。でも「辻川さんに教えて頂いたのが一番長いので『師弟関係』ですね!」って言ってくれる隊長だった元自衛官さんの天真爛漫さを可愛い人だななんて思って来ましたので、いないと寂しい感じも致します。
人の気持ちってわがままなんですね。
ブログ読者の「心の友」さんが送ってくれました。つくば市高崎自然の森公園の桜との事です。良い色をして美しいですね。
今朝出勤すると添乗員の女性から「辻川さん、八重桜が咲き出しましたよ!二輪三輪ですが。」と話しかけてくれました。「うわ~、早いですね〜。」と一緒に喜んだのですが…良く考えて見ると「どうして私に?」って思いました。
私にそんな話しをしたら一緒に喜んでくれるって思うからですよね。つまり、そんな風に私を見ていてくれる。
その方がもっと嬉しい私がおりました。
その人は、早く離婚されてやんちゃな息子を働きながら育て上げ、ずっとお母さんのお世話をされております。いつも「病院に連れていかないと」とか「食事を作らないと」とか言われて休憩時間になると駆け足で一時帰宅されます。「夜もろくに眠れない。昨日は2時間でした。」と言いながら、疲れた顔でも笑顔を絶やさず、仕事もきっちりされている人です。「親は良いけれど私の老後は誰が見るの?って感じ。」と笑います。
私は、ずっと尊敬しながら見て来ました。
その人が「桜満開ですね!」とか「八重桜が咲き出しました!」とか言ってくれるのです。じっと見ている時間も無いと思いますが、そんなわずかな事に喜びを見つけて、私なら一緒に喜んでくれるはずだって語りかけてくれるのです。
不思議ですよね。
(高崎自然の森公園には、こんな青ち鳥もいる事を教えて頂きました。ルリビタキです。「どんなに整美された東京の公園だろうとルリビタキはいません。」との事。そう茨城には茨城の良さがあるのですね。)
かつては労働運動や革命運動の闘志だと自分では思っていたのですが、どうも素の私に人が感じるのは違う様でございます。
自分で自分を誤解するって言う事があるのですね。
私をその様な闘志であり、幹部だと思って来た人はみんないなくなりました。
素の私を信頼してくれる人だけが残り、新たなステキな出会いがあるのです。
高齢で、下手くそで、地を這う様にしてなったバス運転士ですが、自分の仕事を見つけて続けて来て良かったと思います。
職業ではなく自分の仕事を見つけた。
そして「弟子」と言ってくれる人までできたのですから。
たぶん、以前とは全然違う私がいて、だんだんと近づいてくれている人がいるのです。
さて「高齢者と言う階級がいる。」と言う五木寛之さん。孤独死か連帯か。私の新たな階級闘争の現実を生きているのかな〜なんて思います。
さて、つくば市内に新たにオープンした「ベルク」ショッピングモールで、さらにゲロ込みの中の金曜渋滞に挑んで参ります。
では、行って来ます。
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2025/04/11 16:03
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見えないものでもある。
桜並木の中を走るスクールバスの中で、シルバー人材で添乗員をされている70代の女性が「四季があるって素晴らしいですよね。」と話しました。「そうですね。ベトナムから来て日本で働く事になった人が、ベトナムには桜が無いと桜を見るのを楽しみにしていました。」「それから、日本に来て道を譲りあって手を上げたり、お辞儀をする事に驚くのです。ベトナムだったらケンカになるって言うのですよ。と言います。」と返しましたら「みんなではありませんが、四季折々の移ろいに感謝しながら生きて来た日本人の良いところですね。」と言います。そして「先の事に不安を感じてくよくよ悩んでも良くはならないので、今を精一杯楽しむ様にしています。」とお話しされました。故郷の福島のお墓参りに、自分で運転されて行くとの事で「凄いですね」と言うと「景色の良いところや楽しい道の駅もあるので、休み休み行くのです。」と言います。私も知っているところでしたので、短い間ではありましたが楽しくお話しをしました。
何気ないやり取りではありますが、色んなご苦労や悲しみもあって、先がどこまであるか分からない。だからこそ、働きながら四季の移ろいに感謝しながら一つ一つを大切にされて生きておられるのだなって、しみじみ思いました。
(JR北海道の宗谷本線)
JRの後輩から、北海道の宗谷本線で脱線事故があったとの知らせがありました。
ネットでは、宗谷本線で貴重な駅が次々と廃止されていて、年間50億円の赤字線で一駅廃止しても100万円の節約にしかならないとありました。
数字で見れば、どうにもならない感じがします。そこでの脱線事故ですから、さらに経費がかかる訳で終わってるよなって感じがします。
そんな赤字線を維持する必要は無いと、数字だけなら思います。そして、国民の多くには無関係な事です。
そんな記事やニュースを見る度に感じる事ですが、そこで働いている人や生活している人の姿が見えないのです。
生きている人の姿が見えない数字や写真だと話題にもならないし、まして共感なんてしょうが無い様に思うのです。
人の姿や思いが見えるから、共感が生まれるのですから。共感の無いところに物事の解決の道も出て来ないと私は思います。
美しい桜並木も、自然にそうなっている訳ではありませんね。美しくしようと働いている人がいるから美しいのです。
そうやって次の世代に残して行こうと働いている人がいる町や村は綺麗なんですね。それが公共と言う事の根本にあるのだと思います。
私のJR時代からの仲間からは、こんな新聞記事が送られて来ました。
福島第一原発の側を通る常磐線の乗務員が、自ら調べた放射線被曝線量を発表して「見えなくても放射線はある」と問題にしていると言う記事です。
旅客の安全を守り、日々働いている人たちからの告発は、私の胸を打ちます。
できれは、彼らの日常も追ってもらえれば、さらに共感を生む様に思います。
ただの記事や報道は、過ぎ去るだけですが、働く人々の姿とその声は、自分と同じだと言う共感と記憶になると思うからです。
数字だけからは見えない働く人間の姿が見えて来る時、自分とは無関係な事にはならなくなる。
そこにしか、本当の出口は無いと思うのです。
(色々あって気が向かなかった庭の手入れを始めました。小湊鉄道の沿線から記念に移植した「ツルニチニチソウ」の花が咲き出しました。)
人の社会は、人が働く事で成り立っています。働くと言うのは会社勤めだけではありません。少子高齢化で空前の人手不足と言いながら、相変わらず人が見えない数値頼みからは見えないのが、働くと言う事の意味であり大切さの様に思います。
そして人々は、日々心を働かせて花を咲かせ様としているのだと思います。
その心の働きも、見ようとしなければ見えないものなんですね。
見えないものでもあるのです。
私のブログに共感してくれる人と言うのは、それを探し、見つけてくれた人なのかなって思ったりします。
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2025/04/10 12:26
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