辻川慎一つくば便り

見えないものでもある。

桜並木の中を走るスクールバスの中で、シルバー人材で添乗員をされている70代の女性が「四季があるって素晴らしいですよね。」と話しました。「そうですね。ベトナムから来て日本で働く事になった人が、ベトナムには桜が無いと桜を見るのを楽しみにしていました。」「それから、日本に来て道を譲りあって手を上げたり、お辞儀をする事に驚くのです。ベトナムだったらケンカになるって言うのですよ。と言います。」と返しましたら「みんなではありませんが、四季折々の移ろいに感謝しながら生きて来た日本人の良いところですね。」と言います。そして「先の事に不安を感じてくよくよ悩んでも良くはならないので、今を精一杯楽しむ様にしています。」とお話しされました。故郷の福島のお墓参りに、自分で運転されて行くとの事で「凄いですね」と言うと「景色の良いところや楽しい道の駅もあるので、休み休み行くのです。」と言います。私も知っているところでしたので、短い間ではありましたが楽しくお話しをしました。

何気ないやり取りではありますが、色んなご苦労や悲しみもあって、先がどこまであるか分からない。だからこそ、働きながら四季の移ろいに感謝しながら一つ一つを大切にされて生きておられるのだなって、しみじみ思いました。


(JR北海道の宗谷本線)


JRの後輩から、北海道の宗谷本線で脱線事故があったとの知らせがありました。

ネットでは、宗谷本線で貴重な駅が次々と廃止されていて、年間50億円の赤字線で一駅廃止しても100万円の節約にしかならないとありました。

数字で見れば、どうにもならない感じがします。そこでの脱線事故ですから、さらに経費がかかる訳で終わってるよなって感じがします。

そんな赤字線を維持する必要は無いと、数字だけなら思います。そして、国民の多くには無関係な事です。

そんな記事やニュースを見る度に感じる事ですが、そこで働いている人や生活している人の姿が見えないのです。

生きている人の姿が見えない数字や写真だと話題にもならないし、まして共感なんてしょうが無い様に思うのです。

人の姿や思いが見えるから、共感が生まれるのですから。共感の無いところに物事の解決の道も出て来ないと私は思います。

美しい桜並木も、自然にそうなっている訳ではありませんね。美しくしようと働いている人がいるから美しいのです。

そうやって次の世代に残して行こうと働いている人がいる町や村は綺麗なんですね。それが公共と言う事の根本にあるのだと思います。


私のJR時代からの仲間からは、こんな新聞記事が送られて来ました。


福島第一原発の側を通る常磐線の乗務員が、自ら調べた放射線被曝線量を発表して「見えなくても放射線はある」と問題にしていると言う記事です。

旅客の安全を守り、日々働いている人たちからの告発は、私の胸を打ちます。

できれは、彼らの日常も追ってもらえれば、さらに共感を生む様に思います。

ただの記事や報道は、過ぎ去るだけですが、働く人々の姿とその声は、自分と同じだと言う共感と記憶になると思うからです。

数字だけからは見えない働く人間の姿が見えて来る時、自分とは無関係な事にはならなくなる。

そこにしか、本当の出口は無いと思うのです。


(色々あって気が向かなかった庭の手入れを始めました。小湊鉄道の沿線から記念に移植した「ツルニチニチソウ」の花が咲き出しました。)


人の社会は、人が働く事で成り立っています。働くと言うのは会社勤めだけではありません。少子高齢化で空前の人手不足と言いながら、相変わらず人が見えない数値頼みからは見えないのが、働くと言う事の意味であり大切さの様に思います。

そして人々は、日々心を働かせて花を咲かせ様としているのだと思います。

その心の働きも、見ようとしなければ見えないものなんですね。

見えないものでもあるのです。
私のブログに共感してくれる人と言うのは、それを探し、見つけてくれた人なのかなって思ったりします。

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