辻川慎一つくば便り
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オイル交換物語
昨日、今日と晴れて暖かいですね。
天気が良いので、今朝の乗務後は清掃を簡単に済ませてバスのオイル交換をしました。オイルフィルターは次回なので、オイルを抜いて入れるだけ。要領が分かり丁寧さがあれば、簡単な作業です。なので30分までは掛かりません。その間に、同僚たちと歓談しながらの作業なので、なかなか楽しいのでごさいます。でも、私がちゃんとやれているのかは、しっかり見ているのも分かっております。抜かりなく、しっかりやれば「やっぱちゃんとしてるわ。」になりますし、もたもたして失敗すれば「やっぱダメだわ。」になる訳です。
いずれにしても評価が「やっぱりな〜」になるのは、おんなじなんですね。結局ちゃんとやれないと、後で困るのは私自身と言う事になります。
若手の先輩同僚が会社をお辞めになると聞いていたので「いつが最後ですか?」と尋ねましたら「今日になりました。」と言うので、内心「え〜っ!」でした。
餞別ではなく、贈りものが良いかな?なんて考えておりました。
オイル交換を終えて、イオンへと急ぎました。それで、今日がホワイトデーだと分かりました。何故ならコーナーはあるのですが「売り切れ」が多いんですね。
なのでお目当てのものがありません。残ったものは食べた事が無いので、不安なんですね。やっぱり自分が美味しいと感じたものを贈りたい訳です。
ベルギー、フランス、鎌倉、京都…産地色々のチョコレート。
余り時間が無いので、見た目が控えめで美味しそうなチョコレートを選びました。
三国のチョコレートと言います。フレンチのシェフ三国清三と言う人の監修との事です。
本も出されておりました。一流でも「三流シェフ」と言う題名に、親近感が持てます。
どんな人なのかな?とちょっと調べたら、北海道の増毛町出身で極貧の少年時代を過ごし苦労して有名なシェフになった人なんですね。
バブル崩壊、震災、そしてコロナ禍と言う試練を経て、70才を越えてからは全て自分が調理したものを食べて頂きたいと大きな有名店をたたみ、小さなレストランを始めたとの事です。
廃線跡に残る増毛駅。増毛町は、3600人程しかいない水産の町との事です。歴史的な建物も残っているみたいです。
あ〜、どんな物語があるんだろう。行ってみたいなって思います。
私が、人の話を聞くのが好きなのは、それぞれの人の人生に物語があるからなんですね。
じゃあ3才の子はって言うと「私が小さかった頃ね。」って言います。
既にお母さんのお腹の中にいた時から、とても長い旅をして来たのです。
何しろ生命40億年の進化をお母さんのお腹の中でしてから誕生している訳です。
そして、誰しも泣きながら生まれる。(泣かないと危険ですね。)
壮大な物語を経て、現在の物語をつくり上げて今いる訳です。
だから人は、物語好きであったり、ドラマ好きであったりするのだと思います。
物語の描き方がそれぞれ違う。だから面白い。逆に言うと物語が無いものは、つまらないって事だと思います。
人の物語の跡が見えるものの方に、私は価値を感じます。
オイル交換をした私に、お世話になって来た先輩がツナギをくれました。
このツナギは、筑西市で刈払機の使い方を教えて頂いたり、バスのオイル交換の仕方を教えてもらったりしていた時から先輩が着ていたものです。
その記憶と共にあるので、私にも忘れ得ぬ思いでのツナギなんですね。
なので「家宝ですね!」と有り難く頂きました。
で、良く見ましたら
かぎ裂きの補修跡がありました。その時間も込められていて可愛い感じがします。
ますます、嬉しくなる私がおります。
私と先輩の物語でもあるのですから。
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2025/03/14 15:46
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毛が生えた様なもの
みなさまお疲れ様です。
バス運転士不足の中なれど、私の会社には第二の人生にバス運転士を目指して来られた「新人」さんが次々と入られております。
私もJRを離れて62才でバス運転士に挑戦しましたので、不安と希望の入り混じった気持ちが多少なりと分かります。
なので、「新人」の人たちになるべくちゃんとあいさつして、お話しを聞く様にしております。そんな風に歓迎されて「応援してますよ」って励まされたら、この会社を選んで良かったってきっと思いますよね。せっかく出会えたのですから、辛い事があっても仲間がいると思えば頑張れる。
私がJRの労働組合運動をやり抜いて、仲間たちと一緒につかんできた経験と学びです。
(小さな心遣い。また頂きました。返礼品を返したので、その気遣いが無い様に一つだけにしてくれたのだと思います。気持ちなんですね。)
私鉄からバス運転士に転身して来られた人がいます。私がJRにいた事を話しましたら、同じ様に鉄道関係者がいたと喜んでくれました。
その人が「30年くらい前に、駅そばが好きで良く食べに行ったのですが、元運転士だと言う人がやっていてJRって何で酷い事をするんだろうって思ったんです。」と言いました。
「あ~それは組合ですね。私は、一番長くて24年置かれました。」と言うと「え〜っ。そうなんですか!」と何故か平身低頭する。
「この会社もその頃組合ができて、サポートして来たのが縁で入ったのです。」と話しましたら、やっぱり恐縮されました。
う〜ん、そんなに凄い話しなのかなって思うのですが、もしかすると凄いのかも知れない。なんて思いました。その頃だと相手の方は30才くらいでしょうか、強烈に記憶に残っていた事なんですね。その謎を解く人と言うか本人に出会ったって感じかも知れません。
やって来た事に無駄はありませんね。
「凄い。改めて宜しくお願いします。もう何年やってるのですか?」と聞かれましたので「まだ5年目です。素人に毛が生えた様なもんですよ。」って返しました。
言ってから「何で毛が生えた様なもん」何だろう?って疑問が浮かびました。調べて見たら思春期に、大事なところに毛が生え始めるので、まだまだ大人じゃないよって事なんですね。
は〜すると67才で思春期なんだ!って何だか楽しい気分になりました。気持ちが若いのは大事ですよね。頭頂部の毛はすっかり少なくなりましたが、運転士としては、思春期なのでごさいます。
青年は、荒野を目指す!
もう十分なんだけどな〜。
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2025/03/13 15:40
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お人好し過ぎる!
古くからの縁がある会社の代表取締役に、ちょっと悩み事を相談しましたら「どこまでお人好しなんだ!お人好し過ぎる!」と呆れられてしまいました。
そこで、ネットに「お人好し診断」なんてのがありまして、やって見た訳です。
そうしましたら
「いい人として周りに慕われていますが、面倒なことを押し付けられたり、ずるい人に利用されたりしてしまうことも。こき使われてもポジティブに考えて納得しようとしますが、なんとなく『利用されているのかな』と悲しくなることもあるようです。」
う〜。政治党派に使われていた時と全く変わらない事を、ようやく自覚した次第でございます。
仲間たちにも「辻川さんはお人好し過ぎる。」と言われ「そんな辻川さんだからみんなついて来れたのだけど。」と言われて来た事を思い出しました。
どんな人も悪く思えないし、憎めず、話を聞いて何とか力になりたいなんて思ってしまう。で、酷い目にあってるんだけどやっぱり憎めない。
その点での学習能力が無いと言う意味ではかなりの「バカ」と言われても仕方の無い人間なのかも知れません。
(ご近所にある「駄菓子屋」さん。店舗の脇にテーブルと椅子が置いてある部屋があり、子供たちが買ったものを食べたり、遊んだりしている時があります。それから高齢者が休んでいたり。「たまり場」なんですね。たまり場って昔は良くありました。)
国際的には、かなりお人好しの日本人だと思います。その中で、お人好し過ぎる!と言われるのですから、相当酷いみたいです。
どうして何だろうって考えました。
夫婦間ではトラブルの絶えなかった私の両親なんですが、私には優しく大切に育てられた事を思い出しました。つまり、社会の窓である両親に対する信頼度が高いんですね。
その意味では、両親を疑った事が無い訳です。ものすごいケンカをしても、私には愛情を注ぐ訳ですから、それを信じて育ってきた。
結局そのまんま大人になり、色んな痛い目にもあったはずなのに、高齢者になっても変わらないんですね。
いやはや困ったものです。「利用され安く、こき使われても分からない。」いや、どーもって感じです。それでも信じ様とする私。
なので心を鬼にするぞ!って思っても、なかなかできないんですね。処置なしの文無しと言う訳でございます。
(「駄菓子屋」さんには、昔の子供たちが、遊ぶ姿と、それを見守る様にお年寄りの絵が貼られておりました。)
国際社会でお人好しでは、生きて行けない様です。ヨーロッパでは、日本みたいな薄っぺらなドアだと簡単に泥棒に入られてしまうので頑丈なんですね。
日本の地方の農家では、鍵など無く開けっ放しと言う家がたくさんありました。西洋人からするとアンビリバボーな日本人と言う訳です。
なんて言うか、そう言う島国の民族であると同時に、「お上」つまり政府に対する信頼度が高いのでは無いかと思ったりもします。
だから自民党で裏金を作って仲間うちで配っていたなんて言う事に対して「信頼を裏切られた!」と怒る。
例えばロシアでは、政府なんていつ崩壊するか分からない事を知っていますので、ワイロは普通の人がやり、それを関係者で分配するとの事です。
ソ連が崩壊して、全ての生活必需品が欠乏し配給制になった時に、犬のエサに肉を食べさせていた人たちがいたそうです。「愛犬協会」みたいな組織に入っていた人たちには、肉がまわっていたと言うのです。
つまり、どんな事態になっても自分たちが生き抜ける様に、行政とは違うネットワークを日常的に作っていると言う訳です。
だから政治家が私服を肥やす事より、支配の安定を求めながら、体制が崩壊しても生き抜ける構えを取っているのですね。
お人好しから死んで行くのですから、したたかに「腹黒く」と言う訳です。
北朝鮮なんてもっと凄いかも知れませんね。どうやって庶民が生き抜いているのか、とても興味がありますし学ぶ事がある様に思ったりします。
どうも、生き抜くために自前の組織を必要としていたのは私自身だったのかも知れません。
お人好し過ぎて、本当の仲間がいないとまともに生きられない存在だから。
自分では訳の分からない困難にぶつかると、揺るぎなく私を支えてくれる仲間たちの存在の不思議。
お人好し過ぎて放っておけなかったのかも知れない。
そう言う仲間たちも、結構お人好しなんですね。お互いに見捨てられなかったと言う訳かも知れません。
それが40年。
だから、勝利もちゃんと分かち合えたのだと思います。
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2025/03/12 13:10
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明日が普通でいられるという前提が崩れる
戦争があり、戦後復興があり、その中軸を担って来た国鉄が分割民営化されました。そこで働いて来た人たちは、厳しい労働の中で誇り高く働いておりました。
しかし、困難な時代を超えると別の困難が来たのです。当たり前にして来た前提が崩れ、国鉄は民間会社にされ3人に1人は解雇される事になりました。
そうしますと、それまで立派な事を言って来た労働組合の幹部から逃げ始め、自分は生き残りたいと言う人が上手く立ち回り、人の良い人たちが取り残されて行きました。
今思えば、いざとなった時の人間の嫌な面をたくさん見せられて来た様に思います。
私はと言えば、時代や社会に翻弄される事自体が嫌なのでそれに立ち向かいました。
(畑の雑草。ナズナとホトケノザが咲いております。何故か雑草の花にも惹かれます。私の雑草魂でしょうか。)
五木寛之さんが、敗戦で平壌から引き揚げる時にも、実は同じものを見て来た事を知りました。国が言う日本の勝利を前提にして、ラジオ放送を信じていた人は逃げおくれた。突然攻めて来たソ連兵に追われ、我先にと逃げた人が助かり「お先にどうぞ」と譲った人たちは帰れ無かった。つまり、心優しい人から死んで行った事実を書いておりました。
では、未曾有の災害であった東日本大震災と原発事故の時はどうだったのでしょうか?美談に惑わされずに考えれば、やはり人のためにと言う人から先に死んで行ったのではないのか?と思うのです。
いずれも、これまでの様に続くと言う前提など無いのだと言う事を示してはいないでしょうか?
国際社会では、そんな前提は無いと言う前提に立っている様に思います。それが歴史の教訓なんですね。プーチンは何故生き残っているのか?トランプは何故大統領に返り咲いたのか?世界のそれまでの前提が崩れているからの様に思います。
(JRの後輩が送ってくれた労働団体の新聞です。安全神話の前提が崩れた原発推進を政府が決めたと書かれてあります。)
今思えば私の闘いのテーマは、心優しくお人好しの人たちが生き抜くためにはどうすべきか?だった様に思います。
当たり前の様に思われている前提は、いつ崩れ、崩されるとも知れない。その嵐にのみ込まれずに、一緒に生き抜いて行くためには、前提を疑い、嵐に翻弄されない事。言わば不意打ちを食わない事。いざとなった時にみんなで決然と立ち向かえるために。
そうやって、国鉄分割民営化に仲間たちと闘い抜いたのだと思っています。
そして、私たちは負けなかった。
しかし、それで終わった訳では無い事を、労働団体の新聞記事が示していると思います。
原発だけではなく、大地震の危険はどこにでもあります。首都直下地震が襲う可能性も高いのです。戦争の危機もいつ何時あるか分からない。年金も、雇用もいつ崩壊するか分からない。そして、通貨も崩壊するかも知れません。
全ての前提が崩壊した時に、逃げる術が無く、人を出し抜けない優しき人々はどうやって生き抜くのか?
そのために必要な本当の事は何か?
それを考え、準備する必要があると思います。
過去のしがらみを全て絶って、一緒に闘って来た仲間たち以外に何もないところから始める。何もないからこそ考えられる事の様に思うのです。
つながりのあるたった一人になる事で、きっと見えて来るものがある。
14年目の3・11の日に私が思う事です。
今日は、会社の代表取締役からつくば市上郷にある「松辰」のラーメンをごちそうになりました。なかなか美味しゅうございました。私を「慎ちゃん」とファーストネームで呼んでくれます。3・11、親会社倒産、コロナ禍、どんな非常時にも賃金の遅配欠配を出さなかった中小企業の経営者です。
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2025/03/11 15:16
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一人になりたい時
今朝の夜明け前は、−3℃。バスの窓が凍っていて発車前には難儀しましたが、陽がさすと共に一気に暖かくなって来ました。三寒四温で春が近づいて来ている様に感じます。走りながら、梅ではなく、早咲きの桜が満開なのも見えました。
わが家の庭に植えた梅も、精いっぱいの満開です。
明日は3月11日、東日本大震災と福島第一原発事故から14年目になります。
私の母が「子を亡くして辛く悲しいのはお前だけではない。東日本大震災の時にどれだけの人が悲しんだことか、同じ思いをしているんだよ。」と言いました。
そう言えば、支援物資で何が必要かと聞かれて、食事や毛布よりも「お線香が欲しい。」と言う人がたくさんいたそうです。
何もできない、泣く事すらはばかられたかも知れない避難所で「お線香が欲しい」って、大変な辛さだったろうなって思います。
私は、酒を浴びるほど飲んで号泣する事はできたのですから。
「悲しく辛いのはあなただけじゃない。辻川さんが特別ではない。」と言う仲間からの言葉を改めて噛み締めています。
私がやって来た事からすれば、その深い打撃や悲しみから癒える事の大変さの中に、他の人への悲しみや辛さに寄り添えるはずでした。
深い悲しみや痛みがあるからこそ、同じ思いをしている人の気持ちが分かるはずです。
5年前、天気が良ければ、筑西市の野山を休憩時間に一人歩しておりました。
野草の花をたくさん撮っていた写真が残っていて、改めて驚きました。
一人になるのは、心の癒しの時間だったのだと思います。
ところで一人になりたいと思う人と言うのは、人とのつながりがある人だからなんですね。
心のつながりが無い人は、誰かが絶えずいないと不安になってしまう様です。
何となく合点が行きました。
一人になりたいと言う心理は、心が疲れているから。だから一人になる時間が大切なんですが、そうでない人もいる。
大勢がいる避難所の大変さは、深い悲しみと絶望の中で人とのつながりを求めながら、しかし一人になれないと心が癒されないと言う辛さもあったと思います。
だから、歌手の慰問が来てみんなが知っている歌を一緒に歌えたりする事がとても大切だったのだと思います。その時間は、みんなで心を合わせられたから、人とのつながりを感じ、痛みを和らげられたのではないでしょうか。
どんな歌が喜ばれたのかな?
辛い時に、世代を超えてみんなで心から歌える歌って何でしょう。そんな歌が良い歌なんでしょうね。
中村雅俊さんは、被災地の一つ宮城県女川出身だったのですね。
「何気ない心のふれあいが幸せを連れてくる♪」
https://youtu.be/oWOaVLn-vB4?si=DazTthWNXuC-cvpi
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2025/03/10 14:35
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