辻川慎一つくば便り

鉛筆を削りながら。

私の拙く、特別でもない労働者の日々のブログを楽しみにしていると言ってくれる「読者」のみなさまに改めて御礼を申し上げます。

昨日は「相談がある」と言う母の求めがあり、ひたちなか市の実家に行って来ました。

相談と言うのは、85才になっても父の病院やら買い物やらと車を運転して来た母が「車を運転するのが怖くなって来た。」と言い「お前がおいでと言ってくれるので、一緒に住みたいと思う。」との事でございました。

私の方も、そろそろ限界だよなと思っておりましたので「それが良いと思うよ。離婚して部屋も空くから。」と即答した次第でございます。

危ない事ばかりして、散々迷惑と心配のかけ通しだった両親を最後に私が見ると言うのは、当たり前の事でもあり天の導きの様にも思った次第です。

「孝行をしたい時には親は無し」と昔から言われておりますし、実際に残念な気持ちでおられる人も多い中で、親孝行が出来ると言うのは幸運な事の様です。


いつもながら、母が心尽くしの手料理を用意してくれました。


並でない親不孝人生を送って来た私に、親孝行ができるのか?そう簡単では無い事だとは思っております。

しかし、私は働きながら私を育ててくれた両親の姿を見て育ちました。労働運動や政治運動にまい進したのも原点は、両親の姿にありました。

実家に行くと、いつも母は「お帰り」と言います。ようやく慎一が戻って来た。このままここに居て欲しい。それが母の一番の願いだったからなんですね。

私がそばにいるだけで安心する母なので、そばにいるだけで親孝行になる様です。

母親と言うのは、そう言うものなのかも知れません。

と言う訳で、1年くらいは静かに一人暮らしをしたいと言う、私の野望がまたしても打ち砕かれる事になりました。

どうもそんな贅沢を、天はお許しにならない様でございます。


私が静かに勉強できる様にと作ってくれた部屋でございます。


寝転がって、文学全集などを読みふけっていた懐かしい部屋でもございます。

両親が私のところに来ますので、実家も解体する事になります。

目が覚めて本を読み出して、傍線を引こうとしましたら、赤いボールペンが見当たりません。色鉛筆がありましたので、カッターナイフで鉛筆を削る事にしました。


小学生低学年の頃、鉛筆を綺麗に削る女の子がいて感心していたのを思い出しました。


今時は、刃物で鉛筆を削るなんて言う面倒な事はしませんね。しかもカッターナイフで切りつけるなんて言う事件が起きたりで、禁止になっているのでしょうか?

刃物で鉛筆を削ったりすると、失敗して自分の指を切ったりしました。すると当然血が出るし、痛いのです。自分が痛いのを知るので、それで人を傷つけるなんて事は考えませんでしたね。

そうして、削るのが上手くなって行くだけでなく、同時に大切な事を学んでいた様に思います。

何より心を落ち着けて、集中すると言う事の大切さも身に付けて行った様に思います。

危ないからと、子どもたちから何でも取り上げてしまうのは小さな失敗から学び、大きな失敗にも挫けず学ぶと言う力を奪ってしまう様にも思います。


昭和の鉛筆削り。私も使っておりましたが、いつの間にか電動になりました。今はどうなんでしょうね。


ちなみに、鉛筆メーカーではトンボ鉛筆と三菱鉛筆がおなじみでした。中学生の頃でしたかトンボのMONOと三菱のUniと言うちょっとお高い鉛筆が発売された時の、書き味の凄さは革命的な衝撃だったのを覚えております。

ところで三菱鉛筆と言うのは、三菱グループとは全く違う会社なんですね。三菱グループよりも古くからあった会社なので同じマークになっているだけとの事です。

そんな訳で、朝から鉛筆を削りながら心を落ち着かせた次第です。


読み始めた本です。ブックオフで220円で買っておいたのですが、ようやく読み出しました。


なかなか面白い内容です。1000年も続いた空前絶後の巨大帝国ローマはいかにして作られ、維持されていたのか?

人間を横のつながりだけではなく垂直な歴史の時間軸から見る。

「ローマ人は人間性に対する幻想は抱かなかった、と言う事は自分自身に対する幻想も抱く事なく行動した。」「人間は誰でも失敗を認めたくない。だが彼らは、失敗から脱出する努力を放棄しなかった。」と言う言葉に、削った赤鉛筆で傍線を引いたのでした。

あ~、確かに他の人にも自分にも勝手な幻想を抱いて失敗して来たな。失敗から脱出する人間的努力こそが大切なんだ。それは、そんなに簡単に分かる事じゃない。だから意味と価値がある。

視点が広がる内容でございます。

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