辻川慎一つくば便り

心が強いという事の誤解

今夜はエアコン要らないなと、網戸にして休みましたら何やら寒くて目が覚めました。

今日は、28℃あるのにずいぶんと涼しく感じます。

今週も色々ありましたが、週末金曜日の乗務はもうすぐ夏休みに入る小学校の送迎でございます。

子どもたちの姿を見ながら、田舎道を走れるのは仕事とはいえやっぱり癒されます。

この仕事を第二の人生に選んで良かった〜と感じる瞬間です。


今日は、涼しいのでお弁当を作って久しぶりに公園ランチです。



昨晩帰宅後に、揚げれば良いところまで作っておいた「ひとくちカツ弁当」でございます。温野菜と無添加南高梅の梅干しのトッピング。


元鉄道員は、ワイルドなりに料理は致します。しかし、腕というよりも素材の良し悪しの方がが大事だと思います。


今日の休憩場所の近くにまだ咲き始めの感じがするヒマワリの花がございました。まだ

若々しい印象です。

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私のブログを長く見続けてくれた人が、アーカイブしてくれました。


あ~、こんな事も出していたのだなって思い返させて頂きました。

息子を亡くしてから、深く傷つき弱った心を少しずつ回復していく過程で出して来たブログでした。

心を病んで自死してしまう人の数は、毎年東日本大震災と原発事故の時に亡くなられた人とほぼ同じ数なんですね。

いかに多く、異常な事かと思います。

心の病になり、死にたいと思っている人になると大変な数になる様に思います。

それだけ大変な時代に、私たちは生きているのですね。

ところで心が強くあれる人というのは、困難に打ち勝つ精神力だ!みたいに、負けた戦争時代のノリのままじゃないのかな?なんて思う訳です。

困難や辛い事にも耐えられる心って、実は人に頼れるところにある。頼れる人がいないと心がもたなくなり、壊れてしまう。

そう言う関係なのだと思います。人という字の成り立ちそのものなんですね。

何度もギリギリになった貴重な経験の中で、心が折れずに来れたのは頼れる人がいたからだと私自身の経験から思います。



それから、同時に大切な事は営利と使い捨て、詐欺まがいの事が横行する中で自分の頭で考える知識や教養を軽視してはならないという事の様に思います。


自分で考え、判断する事無しに人に頼るというのは依存でしか無くなってしまう。

騙されても、蹴られても、依存をさらに深めて行く中毒になってボロボロの人生にされてしまう。

なので、人に頼れるというのは自分自身で知識や教養を付けていくと一体の関係の様に思います。

つまり、頼れるという事は頼られると言う相互関係としてあるのだと思うのです。

簡単に言うと「お互い様」なんですね。それが人としての本来の関係であり、一方的と言うのはおかしいのだと思います。対等で無いのですから。

そもそも対等性を持てない社会関係の中で「日本人ファースト」とか言う選挙ポスターを見かけます。

一体誰に向けて言ってるのでしょう?

国が「日本人ファースト」と決めたらそうなるの?外国人が日本で働き出す前から、日本人同士で人として対等なんだと言う知識や考え方が無くなっていたんじゃないの?
人のせいにするなよ。お門違いってやつじゃないの?

なんて思います。
そう言う単純な、人気取りの言動に乗ってしまわないためにも自分自身の知識や教養、そして感覚って大事な様に思います。

奇跡の様に生まれ、奇跡の様に出会った同士が頼り頼れる。助け合う。

私は、それが人間関係の根本だと思います。

そして、みんなで働き、飢える事なく、人のために役立てる。そう言う幸福を目指すのが政治経済であると思うのです。

見かけマッチョよりも、しなやかな心の人たちが生き残るのです。子どもたちや若者たちに伝えるべき大切な事の様に思います。

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