辻川慎一つくば便り
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侍タイムスリッパー
5月でも、今日は寒い日になりました。
私の方は、工場労働者の送迎バス担当です。
約50年前の5月23日も、同じ様に雨が降り寒い日でございました。
まだ10代の学生だった私は、東京でデモの隊列の中におりました。狭山事件で、無実でありながら無期懲役刑にされていた石川一雄さんを取り戻せというデモでございました。5月23日というのは、1963年に石川さんが不当逮捕された日だったのです。
労働組合や政治党派に惹かれたのは、社会の矛盾や問題に目を開かせてもらい視野が広がった点にありました。
そして、共通の目的に向かって集団が一つになって行動するという魅力にハマったのだと思います。
デモをしたのは東京のどこだったのでしょうか?寒い中ずぶ濡れになりながら、足並みをそろえてジグザグデモをして機動隊にぶつかって行く。デモの隊列から湯気が立ち上る。そんな光景を記憶しております。
寒いけれど、みんなで一つになれた気持ちがして熱かったのですね。そんな時代だったのかも知れません。
私は、その思いや勢いで国鉄分割民営化との闘いを仲間たちと一緒にやったのだと思います。個別の事情を超えて一つになって行動できるというのは、人間に取っては本質的喜びなのだと思います。
コンサートやスポーツの応援なども、その空間や時間を共有していると言う喜びにあるのは一緒ではないかと思います。
ちょっと違うのは、世のため人のためという大義名分があるという事でしょうか?
昨日は、実家から帰ってちょっと映画を見ておりました。
幕末に、倒幕派と佐幕派に分かれて死闘があったのですが、その殺し合いの最中に雷に打たれて双方二人が現代にタイムスリップしてしまうと言う設定でした。
そして、お互いに命を取り合ってどうなったのかと言う歴史と現実を知ってしまう訳です。
「あれは一体なんだったのか?」「何の意味があったのか?」そんな悲しみと虚しさ。
今度は、時代劇の主役と切られ役になって撮影を真剣で行う。しかし、結局切れない。
そして「俺たちは、あの時代を命をかけて懸命に生きたんだ。それで良いじゃないか。」と言うオチでございました。
「あれは一体なんだったのだろう」と言う言葉は、国鉄改革を進める側にいた元幹部の人が言われた言葉でもありました。
私も同じ様に思っています。
お互いに、お互いの立場から精一杯やって来て今がある訳ですが、「何のために争ったの?」そして「この現状は何?」と言う感覚なんですね。
私について「過去の栄光の中に生きている」なんて言う人もおりますが、破局した結婚生活も含めて「一体何だったのだろう?」と言う問いは、私が生きて来た人生そのものへの問いなんですね。それを問わないままで、別の新しい人生へとはならない私が厳然といるのでございます。
タイムスリッパーと言うのは、ちょっと長生きした全ての人がそうである様にも思います。時代の激変が凄い上に長寿社会な訳ですから。
私は、それを嘆くのでは無くじっくりと見据えたいと思っています。過去に゙生きているのではなく、今を見据えるための振り返り、見直しをしているのだと思っています。
「本」と言う字は、木の根元を表現しているのすね。
根本と言うとさらに深いところを意味しているのだと思います。
根本を探る事。
果たせない事なのでしょうけれど、人として生まれた根本的な欲求である様に思います。
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2025/05/19 13:12
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