辻川慎一つくば便り
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晩秋の柿
今週の山場でしたラッシュアワーの大型バス運転の2日間を、無事にやり遂げる事が出来ました。
高齢運転士の私にも、まだまだ伸びしろはある様です。何て言うか、奢らす直向きに集中しておりますと見えて来る世界があるのですね。
お陰で、疲れはしますがあっという間に過ぎて行く日々の中におります。
今日は中型バスで、3度目になる外国人の青年が研修見習いに付いております。
出庫前の点検や日報の準備を終えると満月のスーパームーンが見えました。「お〜っ満月だよ。願い事をするか。」と写真を撮りましたら、脇で一緒に撮っておりました。どんな希望や願いがあるのかな?なんて、見ておりました。
純心さがあり、機転が利いて、良く見ている。記憶力も目も良い。運転も私より上手く、動作もスムーズ。私の運転を見せるのが恥ずかしいくらいです。
外国人だから、技能実習生の認可が出るまではバス運転士として就労できないと言う事だけなのです。技術の収得が早い上に、気が利くので職場の同僚たちみんなからも可愛がられております。人気者でございます。
運転の方も、回を重ねる事に深化を感じて凄いと思います。私も含め先輩方の運転を良く見て来たのが分かりますので、私もちゃんと見ないと失礼だなと思いながら同乗研修もやっております。安心して乗っていられるので、眠くなるのです。何せ3時起きして、私の乗務を見せてから彼の同乗研修になりますので眠くなる訳です。
と言う訳で同乗研修分だけ、休憩時間が短くなります。なのでランチは手抜きなれど、頂いた美味しい手づくりポテトサラダの残りにハムやパセリを加えてちょっと変化させて頂きました。それから天然酵母ライ麦パンにヌテラ。スペアミントティーです。そして、やはり頂きものの柿です。シャキシャキして甘い晩秋の柿のデザートです。
何事もかも知れませんが、一工夫を考えてやって見ると失敗もありますが、だんだん成功する確率も増えて行く様に思います。
漫然とやっていると進化や深化は無いのかも知れません。投げ出さず諦めない事ですね。
どんな結果に対しても、しっかりと見る目が必要なのだと思います。そうやって熟練して、さらに上達できる。
それがきっと、人生そのものなのかも知れない。そんな事を思ったり致します。
老いても来ると心まで老いて、若い世代をうらやましく感じたりします。そうするとどうも邪な心が顔を出したりする。つまり、若い世代が失敗するのを見て満足したりする自分がいたりする。そんな時も、自分の邪な気持ちに向き合うのです。どうしてなの?と。自分が嫌になるから。
人の心とは不思議なもので、悲しいから泣くよりも、泣くと一層悲しくなるとの事。つまり行為が心を決めて行く面がある。
そうしますと、邪な心を感じた時には、逆の行為によって越えて行けると言う事なんですね。
失敗した相手のために、言葉で労うだけでなく何か出来る事を考えて、やる。
そうして、自分の心を変えて行く事ができると言う訳です。
言葉だけの嘘を、自分から越えて行く技なのだと思います。
言葉と行動の一致。自分の人格の確かな統一がそこにあり、自分自身を信頼できる道がそこにある様に思います。
自分を信頼できずに、他者を信頼できる訳がないのです。
今頃気付くなんて遅いのかも知れませんが、気付いたらやると言う事も、後輩たちに生き様として影響していると私は思います。
そう、生き様と死に様。本当に人の心に残るのはそれだけかも知れません。
柿の木と言うのは、独特の枝ぶりに一体どれほど実を成らすのでしょうか?動物や人にたくさん食べさせて種を広げる。凄い木だと改めて感心致します。
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2025/12/05 13:01
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枯れ葉舞う中で。
冷え込んで来ると字を書く事も、濡れ雑巾でバスの清掃をするのも辛くなって来ます。下手な字がますます汚く感じて、嫌になります。冷え切った指が痺れて痛くなります。色々と過酷な季節がやって来ました。
会社の車庫は森の脇。風が吹くと大量の落ち葉があちこちに吹きだまります。朝の大型バス乗務を無事に終えて、次は清掃だと思ったら管理職の一人が落ち葉掃除をしておりました。あまりに大量の落ち葉なので見かねて一緒にやる事にしました。
管理職の手伝いをするなんて言うと、点数稼ぎか?と昔なら思われたかも知れませんが、私の方はボーナス無しで勤務評価の対象外なので心配ないんですね。
同僚のみなさんの話題の一つは、ボーナス。一体いくら出るのか?出さないなんて言ったら辞めてやる!とか、少なかったら暴れてやる!とか。
「私は無しって決まってるから、そう言う心配が無いんだよね。無いものに期待はしないから。」と言うと「あると思うから期待するしらあてにするんだよな~。」と同僚たち。
そう、勤務評価や査定が気になって同僚たちにも疑心暗鬼になったりしてしまうと言う訳です。
そこから自由である愉しさは、JRの時代から変わらないかも知れません。査定どころか、はっきりと差別と排除の対象でしたから。私に疑心暗鬼を抱いても無意味だった訳です。
(会社の脇の森。私には毎日の癒しの眺めでございます。)
車庫の落ち葉掃除。枯れ葉をほうきで集めて袋に詰め込む。うんざりするほどあるのに、風が吹くとまた落ちて来る。腰は痛むし、服に付く。めんどくさいなと思う。嫌だな〜とも思う。まだバスの清掃もやって無いのにとも思う。
でも、そのままだとそう言う会社であり、そう言う会社の社員だと見られる。一人にやらせて、自分はやる事があると知らぬ顔をして平気な者になる。
そう、この会社のバスは他社のバスより綺麗だと言われた事がある。それが目には見えない信頼と言うものだと思う。ちゃんとしていると感じるのですね。
営利だけを考えて、だらしない会社も人も、一時的に成功しても結局人々から見放されて行く。
嫌な事をちゃんとやれる事。なるべくちゃんと生きたい私も、嫌だな〜と思う事でもなるべくやろうと思うのでございます。
(家事もめんどくさいのですが、なるべくちゃんとしないと身体も心も崩れるんですね。それが分かって来ました。なるべく愉しめる様に考えながら。)
大型バスの運転操作にもちょっと余裕が出て来ましたので、乗る人を見ながらのあいさつを致します。
毎日違うバスを運転しているので乗る人も違うのですが、だんだんとアイコンタクトをしてくれる様になるのが不思議です。
私の方は、あいさつが返って来る事を期待している訳ではなく、顔を記憶しておくとちょっと発車時間に遅れて来た人も乗せる事ができますし、人と人との関係の本質を学んでいると言う事でもあります。
ちゃんと相手を見てあいさつしていると、相手の方も私を見る様になる。ものも人もちゃんと見ずに、この世を去りたく無いと言う感じでしょうか。
何か見返りを期待している訳ではなく、生きていると言う事の本質を見つめ続け、学び続けている様に思います。
だから、日々小さな発見があるのですね。見えなかったものが、見えて来るのです。不思議ですよ。
ルームミラー越しに、私の目を見て会釈をして行く外国人実習生もおります。わざわざ発車を見送ってくれる人までいる。私もお辞儀をしたり、手を上げたり。そこに見返りを求める世界は無いんですね。
この世に生まれ、この世をいずれ去る仲間同士に国境も、人種も何も無いんだなって心から思います。
理屈は邪魔なだけ。礼儀もアイコンタクトも出来ずに理屈を語る人の心は通じるはずが無い。
そんな事を確信したり致します。
さて、今週のもうひと山。大型バスでのラッシュアワー運転ですが、それに心を奪われる事なく人と人のつながりの本質を見つめながら、安全運転で望みたいと思います。
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2025/12/04 14:11
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壁アートの謎
今日明日は、大型バスの運転でございます。
私に取っては今週の山と言う事になります。
ちょっと疲れておりますし、インフルエンザも流行っているとの事で、心も身体も休める事、冷やさない事を心掛ける様にしております。手洗いとうがいも、めんどうがらずにやっております。
昨日は早い出勤時間で、誰もいないタバコ場で一人一服をしておりました。
会社の社屋脇にあります。まだ暗いので、仕方ないので壁を眺めながらでした。
もう35年以上経ちますが、この会社で出来た労働組合のために何度も通った思い出深い建物でございます。
初代の社長は、昭和を生き抜いたとても面白い人でした。社屋のデザインは、やはり魅力的な作品を作っていた彫刻家でございます。その彫刻家の支援もされていた縁で、社屋のデザインも頼んだ様でございます。
建物も古くなり、改装工事が行われておりますが、このデザインを気にする方は少ない様です。
曲線は、女体だと思います。なので上の窓が胸、中窓がおヘソ、そして下窓は下腹部になる訳です。
何気にエロチックな場所で、一服しながはみなさんでワイワイやりながら、仕事の緊張を解いていると言う訳です。
男ばかりだと、時には軽いわい談をして笑い合うのでございます。なので、壁アートの謎を知る私は、なおさら可笑しく感じます。
この壁を見ていたはずの多くの人が、この世を去った事を思いながら。
この社屋が維持されて来たのは、もちろん経営者や幹部の人たちの努力があってではありますが、何より労働者が働き続けて来たからなんですね。
私は経営の事は良く分かりませんが、いくらお金があっても人を動かせないなら、お金と言うのたただの紙切れでしかないと言う事は知っております。
お金を使って誰かが動いてくれる。あるいは動いて出来たものを買う事ができるから有難い。誰も動かなければ、何の力も無いのかお金と言うものです。
ところで、にわかにお金儲けに成功すると何か自分が万能になったかの様に思ってしまう。偉くなった様な気になってしまう。
そうしますと、因果応報で結局自分に跳ね返って来るのでございます。ですから、人が働いてくれる事への感謝が無く、当たり前にしているとちゃんとバチが当たってしまう。
人が動いてくれて、働いてくれてなんぼと言うのは、社会体制が変わろうとも変わらない事なのだと思っております。
家族だって心を合わせて協力するから成り立っている訳で、お互いにやってもらう事を当たり前にしていると破綻するのでございます。
その点は、破綻し続けて来た私だからこそ反省の中から言える事かも知れません。
(「辻川さん。俺の車に辻川さんの好きなものがあるよ。」とシャコタンの高級車に乗る青年が言うので見て来ました。強面の車に、これかよ!って可笑しくなります。私に飴玉をくれる青年です。)
どんな仕事でも、どんなに不器用であろうとも、ひたむきに努力する人を蔑んではならないと思う。
例え報われずとも、ひたむきに努力する姿に人の心は打たれるのだから。一つ一つ、小さな事から整理し、やり続けて行く。
「地の塩」とは、そう言う人の事を言うのだと思います。
もう少し早く気付くべきでしたが、気がついたらやる。いつまで生きられるかなんて事よりも、大切な事の様に思います。
それでは、今週一つ目の山に向かって参ります。
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2025/12/03 14:34
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地の塩
子供たちを送るバスの発車時間待ちをしていましたら「虫がいる」とちょっと騒ぎになりました。
「何の虫?」
「アブみたい。」
「アブなんかもういないよ。」
「ハエかな?」
「窓を開けろよ。」
「潰しちゃえば。」
なんてにぎやかになる。発車間際ですし、ハエくらいなら害は無いと騒ぎを聞いておりました。そしたら「ハエだって役に立ってるんだ、殺しちゃダメだ。」と懸命に言う子がおりました。
以前スズメの死骸を見つけて、土の中に埋めてあげたいと言った子供でした。
「ハエだって、虫がいなかったら人間は生きていけないんだ。役に立ってるんだ。絶対に殺しちゃダメだ。窓を開けて逃がせよ。」と言う。
騒ぎは発車すると治まりましたが、ずいぶんと命の事を考えて可愛いそうと言う気持ちの強い子だと感心してしまいました。
新1年生がはじめてバスに乗った時にも「こうするんだよ。」と世話をした二人組の男の子の一人でした。
バスに乗って来て、私の顔を見ると「おはようございます。」「お願いします。」「ありがとうございました。」と言う可愛らしい子供たちです。
何だか、私の方が考えさせられて学んでしまいます。ほんのたまにしか運転しないスクールバスなのに。
(スクールバスは、帰宅が早いので「ふろふき大根」と「レンコンチップ」を作って見ました。ふろふき大根には柚子味噌にひき肉を加えて見ました。柚子をケチらずに、皮を擦ってたっぷり入れて見ました。いやぁ〜、感動的に美味しく出来ました。レンコンチップは、米粉の衣を付けて少なめのごま油で揚げ、青海苔をまぶす。カラッとして、こちらも美味い。一人で唸りながら頂きました。「唸っても一人」と言うのが残念でしたが。)
せっかく時間があるので映画も見て見ました。
何と、私が好きなビム・ベンダー監督の作品。
やはり引き込まれるのですが、テーマは「労働と命」。
何とも虚しくなる世界の人々の悲惨な現実の記録。
オープニングに「人間は地の塩である」と言う言葉が出て来ます。塩は腐敗を防ぐ役割を果たす。
腐敗するのも人間なら、それを防ぐのも人間である。
地の塩たれとは聖書の言葉だそうでございます。
映画を見ていて感じる事は、戦後の日本人も苦労があったとは言え幸せなんだと言う事でした。
西洋では、神様が見ていると言う事で勤勉に働く事を実現して来たとの事ですが、日本では神様でまとめる事は出来なかった。どうやって報われずとも努力する何ていう事が出来たかと言うと「みんなで清掃する事から」だったそうです。
清掃する。綺麗にする。そのために身体を動かす。すると心が整う。
とても現実的なんですね。身体と心の働きの一体性にちゃんと踏まえられております。
いつしか、清掃も外注化して子供に掃除をさせるなんて前近代的みたいにされている様です。
そうすると、努力だとか、綺麗にする事で整う心何ていう経験をしなくなってしまう訳です。
自らが、小さな事から整えて行く。
そうやって、世界に稀な社会を作り、細部に魂が宿る製品を作って来た。
どうも地の塩って言うのは、限りある命を大切に思いながら清掃する事からではないか?
そんな事を思いました。
なので、運転に入る前に運転席周りを整える事からにする様にしました。何気に心も整い、落ち着くのでございます。
その時点で既に報われていると思うのです
。
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2025/12/02 14:34
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溢れる晩秋の美しさ
今日から12月。晩秋から冬へと言う感じでしょうか?
私の方は、週一の小学校の送迎バス担当でございます。
そうそう、報告がありました。昨日の日曜日は人生初のパウンドケーキ作りに挑んで見ました。
きっとレモンが合うはずと、レモンを絞って入れで見ましたら絶品の仕上がりでございました。
友人にも食べて頂きましたら「凄く良い香りがする。こんなに美味しいパウンドケーキは食べた事ない!」と言って「マジ、バス運転士をやってる場合じゃないかも。」なんて絶賛してくれました。マカロニグラタンも、褒めて頂きました。
自分でも信じられないくらい美味しいので、何なのだろう?と思ってしまいました。
今日は、美しい朝焼けからスタート。
終わりに近づいて、ますます深みをます紅葉の山林の中を走り子供たちを迎えに行く。
乗って来た子供たちの方を見ると「おはようございます。」と可愛い笑顔で言ってくれる。何とも癒やされる一瞬一瞬でございます。
昼休憩が短いので麻婆豆腐ランチを作っておいて、近くの公民館の駐車場へ。
紅葉する木々を背景にヒマワリが咲いているので驚く。
ちょっと散歩すると、こんな光景も見えた。民家の敷地みたいでしたが、見事です。
あちこちで、色んな菊の花が満開になっている。漂う香りにもまた癒やされます。
見ようとしなければ、気付かない美しさに溢れている。そんな事を思います。
見ている様で見ていない。気付かずに通り過ぎて行く。自分で見ようとしないで、借り物の頭で見てしまう。それでいて分かっているつもりになる。そうすると、他の人の驚きや感動や心の動きも、つまらないものに感じてしまう。生きている事が退屈でしか無くなる。
そんな事ではないかな!と思ったりします。
私は今、ようやく誰からの束縛も無く、自分の目で自由に見て、自分でやって見ている。
孤高かも知れないが、孤独では無いと思っている。ものや人の見方が変わって来たと感じている。
人に対してもものに対しても、より深いところでのつながりを求めている様に思う。
時間が限られて来た事の自覚と共に。
特別な事ではなく、ちょっとした事を見て整理をする。「魂は細部に宿る」と思うから。ちょっとした事に気遣いて行く。整理して、綺麗にして行く。
すると、他の人の細部の魂も見えてくる。そこに魂の触れ合いが生まれる前提がある。自分が細部を疎かにしていると見えないものだから。
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2025/12/01 10:59
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