辻川慎一つくば便り

月に叢雲(むらくも)花に風

いや~昨晩も雪。光の乱反射で見えにくいのに、窓の曇りと格闘しながら満席の乗客を乗せてラッシュアワーを走り続けました。

ここまで来ると逆に観念して、落ち着いて対処できる私がいて、バス運転の腕はともかく人として一皮向けたのかな〜なんて思ったりします。

父の時代の労働者だと「67才で働けるところなんて無かったよ。」との事ですので、案外特別の境地かも知れませんね。

今朝も寒いながら、雪が雨に変わり安堵しましたが、満席どころか乗れない数の乗客がバス停に待っていて別の難儀がございました。


こんな日に元気なのは、こちらの「山くらげ」でごさいます。さらに増えております。



そして、分球して植え直したヒヤシンスの花も咲いております。


「月に叢雲花に風」と言いますが、花に雪でした。

さて、この一節と「サヨナラだけが人生だ」って言葉が同じ漢詩の一節だとは知りませんでした。

しかも題名が「勧酒」でお酒を勧める。 于武陵(ウ・ブリョウ)と言う昔の詩人の作品だそうでごさいます。


(一昨昨日の三日月です。月に叢雲って言う感じもします。)


どんな詩かと言うと…

勧金屈巵
 
さあ、さしあげよう、この金色にかがやく大杯を
 
滿酌不須辭
 
なみなみとつがれたこの酒、遠慮せずに飲み干したまえ
 
花發多風雨
 
花が咲くころ、雨風は吹きつのる
 
人生足別離
 
人が生きてゆく間にも、別れがついてまわる

…この最後の句を井伏鱒二と言う作家が「さよならだけが人生だ」って訳して、日本で有名になったとの事です。春の詩なんですね。


(私が植えた梅も満開です。)


私は、仲間たちと飲む酒が無上に楽しい。酒で仲間になったんじゃないかってくらい、何かある度に飲んで、笑って、時には泣いて来ました。

しかし、いずれは誰しもに別れる時が来る。そんな事を思いながら、その時々の人とお酒をさらにしっかり味わえたらと思ったりします。

真珠湾攻撃から国家総力戦になっり、笑う事も泣く事も我慢して総力で戦うと言う縛りになったそうです。

敗戦後、それが今度は経済成長総力戦に変わった。やはり泣いたり笑ったりする事、ましてや元気でなく弱ったり落ち込むなんてのは落ちこぼれの敗者でしかない!みたいな事になった。

1931年に井伏鱒二さんが「放浪記」を書いた林芙美子さんと一緒に、広島県の因島にお墓参りに行った時、漁民の方々が「さようなら、さようなら」と手を振ってくれた。それを見て林さんが泣いた事から、この訳になったそうです。

戦前は、そう言う細やかな心の機微にも涙していたのが日本人なんですね。

そう考えますと、国鉄分割民営化の嵐の時代から、酒を酌み交わし、よく笑い、よく泣いて、お互いを大切に思い、生き抜いて来た事自体が戦争と戦後に奪われて来た人としての心を取り戻す闘いでもあったのかな〜なんて思ったりします。

私は、今も「どうしてそんな事で笑えるの?」「泣けるの?」と言われたりします。ちょっとした事で笑ったり、泣いたり致します。それはきっとまだ、年を重ねても心が枯れていないって事なんじゃないかって思うのです。

コメント

プロフィール

HN:
No Name Ninja
性別:
非公開

カテゴリー

P R