辻川慎一つくば便り
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大河の一滴
昨日は、JRの労働組合「動労水戸」の新年会(旗開き)に参加させて頂きました。
(2月になりましたら「梅まつり」が始まります。)
国鉄からJRに変わり、嵐の様な時代を一緒に生きて来た仲間たち一人一人の凄さを改めて感じながら、格別の楽しいひと時を過ごさせて頂きました。
JRを満期退職して、農業や地域の活動に忙しい仲間が「魔王」と言うかなりレアでお高い焼酎を持って来てくれました。
とても良いお酒ですので、みなさんストレートで楽しんでおりました。
遠方から来てくれたお客様もいて、ワイン酵母仕込みの珍しい日本酒も楽しませて頂きました。
私の方は、妻が用意してくれた水餃子の鍋料理を作りました。
15時から19時まで、一人一人のお話しを深く、楽しく聞いているとあっという間の4時間でございました。
改めて、それぞれの人生が凄いと感じるのですが、年を重ねて迫力や確信を深めていますので、全然終わった感じがございません。
久しぶりに会った仲間は「金のつながりでなく、人のつながりだと思っているから。」ときっぱり言います。
人のつながりを生きている人たちに、終わりなんて無いのですね。その楽しさがあるから、集まる。
私もたくさんの心を頂きながら、この仲間たちに終わりなんか無いと深く感じた次第でした。
ひたちなか市の実家に泊めてもらう約束をしておりましたので先に帰路につきました。会場の組合事務所を出ますと、501系電車が留置されておりました。
国鉄時代から現在まで、水戸駅構内の姿も様変わりしてしまいました。でも脈々と流れている人のつながりは、終わる事なく続いているのです。
それが見えない人は、目先の事に支配されて、実はそこで終わっている。
「大河の一滴」と言う言葉が、浮かんで来ました。
ただの一滴に過ぎない様に思ってしまうけれど、大河の中の一滴は小さくない。「魔王」の一滴の様にステキなんです。
そして、その一滴が集まり大河が生まれる。
勝田駅で降りましたら、イルミネーションが光っておりました。
JR時代は、仲間たちと良く飲んだ街です。
JRを離れてはや7年になりますが、郷愁と言うよりも、その月日があって今があると改めて思います。
最終バスは、何と19時代です。
酔っていても、職業柄でしょうか運転士さんの運転が気になります。
とてもスムーズで、カーブの負荷もほとんどかからない。上手いし、案内も丁寧でした。
最後は、私一人でしたので降車の際に「運転士さん、上手いですね〜。ありがとうございました。」と声をかけさせて頂きました。
もし、自分が言われたら嬉しい言葉ですから。
本当は、みんなが大河の一滴なんだと思います。
仲間たちみんなに、改めてありがとう!
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2025/01/19 10:28
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楽しんで来てください。
「辻川さん。明日は休みですか?何をやるんですか?」と一服しながら、私にバスの運転を指導してくれたベテランの運転士が聞きました。
「明日は、昔からの仲間たちと水戸で飲むんですよ。」と話しました。「◯◯さんも、飲み友だと飲んだりしますか?」とたずねましたら「この仕事は土日休みとは限らないので、年に一二回くらいになってしまうね。」と言います。
「そうですよね。その分大事な時間ですね?」と言いますと「そうなんだよ。良いな〜。楽しんで来てくださいね。」と言ってくださいました。私は「ありがとうございます!」とお辞儀を致しました。
(昨晩運転中に、突如バスのこんな警告ランプが点滅して困りました。折り返し時間に調べましたら、DPFと言う装置で排気ガスのフィルターが詰まっていると言う警告でした。通常は自動で排出するのですが、間に合わないと手動スイッチを扱わなければならないとの事。手動でやると40分くらい走らずにアイドリングしなければならず、放っておくと整備工場でないとなおせなくなるとの事でした。点呼に報告をしましたら、工場送りになると100万円くらいかかるそうでございます。時間を心配しながら、何とか手動で再生してセーフでございました。色んな事が起きて、その度に新たな勉強をさせて頂きます。)
その運転士さんもお酒が好きで、青春18キップでのんびり「飲み鉄」をするのを楽しみにして来られた人です。
食べものも美味しいものが好きなんですね。それだけでなくバスも、自分自身もいつも綺麗にしている人です。
汚くするのが嫌なのだと思います。
自分の好きと世界をちゃんと持っている人なのだと思います。
だから、私の事も見ているし「楽しんで来てください。」って言う言葉も、心から言ってくれているのだと思います。だから素直に嬉しく感じます。
と言う訳で今日は、午前中つくば市小田と言う場所で行われる「どんど焼き」に、お正月のしめ飾りや13回忌を迎える息子の遺品をお願いし、午後は国鉄・JR時代からの仲間たちの「新年旗開き」に参加させて頂きます。
人はそれぞれ違い、それぞれに自分の世界や都合があるのですが、自分の世界も他者の世界も大事にしながら、それを結ぶのは「思いやり」、心なのだと改めて思います。
それでは、行って来ます。
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2025/01/18 13:01
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泣くも笑うも蒔いた種。
いよいよ寒さもピークを迎えて行くのでしょうか?
指先と言うのは神経が集中しているからでしょうか?冷えにも敏感で、朝のバス内で書類を記入するのがなかなか大変です。痺れて来ると思う様に字が書けなくなります。
それは他の同僚運転士さん達も同じなんですね。辛い事も共有し合えると楽しいのが不思議ですね。
でも、病気でも、境遇でも、辛い立場に立っている人同士って共鳴し合えます。
とすれば、人は誰しもが死んで行く身のあっという間の命ですので、それを思えばみんな大切な存在だと共鳴できると思うのですが、そこは考えない様にしているのかも知れません。
妻に「マイナス思考だと人も不幸にしてしまうよ。」と注意される私です。
確かにドーッと落ち込む時がございます。それでマイナス思考だとどこまでも落ち込んでしまいます。
なので、ちょっとの事かも知れないけれど、楽しく感じる事を見つけようとします。
昨夕の出庫前、運転席から近くの建物に夕日が当たり赤く染まっているのを見ました。
普段はどうという事も無い建物なのですが、赤く染まって綺麗に見えました。
この時期は、空気が乾燥して光が真っ直ぐに届きます。
その分運転していると直射日光がひときわ眩しくて辛いのですが、良い事もあります。月も星も凛として綺麗に感じます。
辛いとか大変とかばかり思うと余計に辛く感じますが、楽しい事や良い事を見つけて行くと違う景色や人が見えて来る様に思います。
あと3年足らずで70才か、何て早いんだろうと考えるとちょっと暗くなってしまいますが、1年後だってどうなるか分からないのですよね。
過去も未来も無く、あるのは今。
今を大切に生きられずに、過去も未来も無い。だから、過去を後悔したり、未来に不安を抱いて今が支配されてしまったらもったいない訳です。
土台、自分に取って大切な人たちを差し置いて後悔や不安と言うのは、自分の都合や思いだけ。つまり、自分勝手でしか無くなります。
そして、今の結果と言うのは自分が蒔いた種。
良い種を蒔いていかずに、良い結果になる訳が無いのですから。因果応報ってやつですね。
深い後悔があるからこそ、日々良い種を蒔いて行く。
(妻が作ってくれた親子丼です。らっきょ漬も手作りです。)
極楽と地獄の違い。
かなり有名なお話しの様ですが、どちらもご馳走が並んでいるのですが、箸が1メートルもある。地獄の住人は自分だけ食べ様とするので、食べられない。極楽の住人は「お先にどうぞ」と他の人の口に入れるので食べられて、お互いに信頼して幸せを感じている。
違いは、それだけなんですね。
「お先にどうぞ。」と「我が先に。」
道路でも地獄と極楽が分かれております。
地獄と極楽は来世の問題でなく、私の今なのだと思います。
「狂いなく 泣くも笑うも蒔いた種」
自分に由る訳です。
今週ラストの乗務に行って参ります。
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2025/01/17 16:06
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ウルフムーン
一昨日は、満月でした。
1月の満月は「ウルフムーン」って言うんですね。アメリカの先住民が呼んだ名前だそうです。
満月の夜と言えば「狼男」を連想するのは古いのでしょうか?
「あなたも狼に変わりますか〜♪」と言う石野真子さんの歌を思い出すのもきっと古いですよね。
優しい振りして、内心は邪悪な男を狼男とも言うみたいです。
うわ〜。気を付けなければ。
でも西洋とはかなり違って、日本では狼は「大神」から来ているとの事で、秩父の三峯神社では狛犬ではなく狼が迎えてくれるとの事。
そういえばジブリの「もののけ姫」でも神の使いみたいに描かれていました。
人の感じ方、見方によってずいぶんと違います。
(ネットにある三峯神社の写真です。)
昨日は小学校の送迎バスでした。週一なれど顔なじみになったシルバー人材の添乗員さんと回送の車内で、いつもちょっとした世間話をします。
楽しみは晩酌しかないと言います。
後は何の楽しみも無い。でも飲んでいると妻が嫌そうな顔をする。今さら話す事も無いし、面白くも何ともないよ。飲み仲間も死んじゃったので、相手もいないんだ。寂しいよ。
そんな話しをしてくれます。
そして「運転士さんの奥さんは飲むんですか?」と聞くので「はい、飲みます。私は、仕事柄普段はほどほどにしか飲めませんが、一緒に飲んでいます。」と返しますと「良いな〜。運転士さんは幸せですよ。」と言います。
家業を継いで頑張って自営業をされていたとの事ですが、息子さんが継がないのでたたんだとの事でした。息子さんは家を出て一人で住んでいるとの事。男も女も結婚しないで一人でいる人がかなりいると、そんな話しもしてくれます。一体これからどうなっちゃうんだろう?と言いながら。
子どもさんたちには、優しい添乗員さんでございます。
病気もあって医者に通っているとの事ですが「ゆっくり晩酌ができる楽しみがあって良いですね。」と言うのですが「何にも楽しみなんか無いよ。」と何度も言います。
運転士さんは幸せだ。俺には楽しみなんか何も無いって聞きながら、ドストエフスキーが残した「人間が不幸なのは、自分が幸福であることを知らないからである。」と言う言葉を思い出しました。
その人から見たら、妻と一杯やれるなんて事がとても幸せだと思えるのだけど、自分がゆっくりお酒を楽しめる時間がある事は幸せではないのです。
では、私は妻が心尽くしの料理を用意して待っていてくれる事の幸せが分かっているのか?って、そんな風に思いました。
無いものを追い求めるのも人間に取って大事な時があるのかも知れません。
でも、それで今自分が生きている事の楽しさや幸せを見つけられないとしたら、とてももったいない事の様に思いました。
何かがある事や人がいてくれる事が当たり前になると、楽しくならないよな〜。無い事ばかりを嘆くばかりになる。
それって、私も変わらないんじゃないか?
そんな風に反省させられました。
楽しい事ややりたい事って、自分で感じで見つける以外に無いのですから。
誰しも自由になりたい!と思いますよね。
でも自由って「自らに由ること」ですから、自らに由って立たない人には永遠に来ないのですよね。
自分がどうであるのか?
自分は何を欲しているのか?
それは、自分自身に問わないと分からない。
「何が食べたい?」と良く聞かれますが「何でも良いよ。君は何が食べたい?」と言うとよく妻に怒られます。
何が食べたい?何をしたい?
どんな事が好き?って自分が幸せを感じるためにとっても大事な事なんだと思う様になりました。
相手に合わせている様で、自分が無いだけになるのです。
「好き」と言うのも何となくだったり、流行りだったり、CMだったりだとやっぱり自分に由っているとは言えないのだと思います。
よ〜く、自分の心に聞いて見て言動する事。
本当は、簡単な事では無いのだと思います。
狼男にならないために。
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2025/01/16 16:08
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ポンコツ車とポンコツな人
今日の私は週1回の小学校の送迎バスです。訳あって、一番古い三菱のマニアル車のマイクロバスの担当でございます。
寒くなると、かなり走らないと暖房が効かないのでこの時期は辛いのですが、運転の方は新しいオートマ車よりも扱い安いと感じます。
向こうに合わせられると、こちらが言う事もちゃんと聞いてくれる。そんな感じなんですね。何となく人に近いアナログなバスです。
いつも運転する三菱製の中型バスも、ちょっとレトロで同じ感覚がいたします。
(「あの車は何?」って妻に聞かれたのですが、わかりませんでした。調べて見ると奥が高圧洗浄車で、手前が高性能バキューム車。下水管などの洗浄をする車なんですね。いろんな車があります。)
朝の乗務を無事に終えて、車内清掃をして、窓も拭き上げ、さらにボディも上から下まで濡れタオルで拭き、タイヤワックスをかけました。
やっていますと、会社に入って間もない青年が「そんなポンコツを磨いてもしょうがないでしょう?」なんて聞いて来ました。色々と注意を受けて凹んだりもしているのですが、私には憎めない若者です。
「うん。でもポンコツだかこそ磨いてやらないと。」
そんなやり取りを致しました。
そういえばポンコツって何だろう?
「ポンコツとは、機能が不完全であること、または性能が低いことを意味する言葉です。故障や老朽化により正常に作動しない状態を表します。」
との事です。
それが人を指す場合には
「ドジな性格である
能力やスキルが不足している
故障や老朽化により正常に作動しない状態である」
だそうでございます。
いや、どうも。
私自身ではございませんか。
ポンコツの心は、ポンコツが知るって感じでしょうか?
(出勤の時の交差点待ち。前の熊谷ナンバーのホッパートレーラーに「TREX」とありました。Tレックスと言えばブリティッシュロックバンド「チラノザウルス・レックス」ではないか!と思ったらトレーラーの車体シェアナンバーワンの「トレックス」と言う会社のマークでございました。古過ぎるネタばかりですね。)
ところで、ポンコツなバスを綺麗にできるのは、かなりポンコツなれど私が生きている人間だからなんですね。
そう考えると生きているってステキな事だよなって思います。
科学万能みたいに考える時代の中で、しかし誰も避けられないのが「死」なんですね。死んだらどうなるのか?に科学の答えは無い。だから「死」を考えない様になって来ました。
でも、生きとし生けるものはいつか死ぬ訳です。死をちゃんと考えない在り方と言うのは、自分が今生きている事、そして奇跡の様に他の人が今生きている事をおざなりにしてしまう様です。
天変地異や交通事故、病気や犯罪、そして戦争、他人事に考えがちですが、私たちは常に死と隣り合わせにいるのです。
明日死ぬとしたら?あと1年の命だったら?
そんなにぞんざいに、今を過ごせませんよね。あるいはとても大切な人を失うとしたらどうでしょう?
大事な人に対してポンコツもへったくれもありませんよね?
つまらない比較なんかどうでも良くなると思います。
そんな事に囚われている時間さえもったいないはずです。
今が永遠に続くかの様な感覚が、ただの幻想でしかない事を私たちはたくさん見て来たはずです。
しっかりと死を見つめながら、今を生きる。
不吉でも何でもなく大切な事なのだと思う様になって来ました。
何気に、綺麗に拭き上げたポンコツ車が輝いている様に見えます。
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2025/01/15 12:38
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