辻川慎一つくば便り
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目覚めた朝
朝、また目覚めてしまったと思う事は無いでしょうか?
そんな事を言うと周りの人の事を考えない身勝手だと言われそうですが、私はふとそう思う事があります。
子供の頃は、何だかいつもワクワクして眠るのがもったいない感じだったと思うのですが、眠るのが一番楽な時間になって来ました。なのでそのまま目覚めない方が楽だな〜なんて言う誘惑に駆られる時があるのです。
まあ、仕事のために毎朝3時起きしているからかも知れません。高齢の人たちに「夜眠れないんだ」と聞く事がありますので「眠り続けたい」と言うのは、贅沢な欲求なのかも知れません。
どんなに眠っても目覚めると獄中の中で、移り変わる自然の風景も見れず、自由も奪われて死ぬのを待っだけだったらどうでしょうか?
耐えられない人生だけど、死ぬ自由も無いのです。許されているのは、ただただ刑務所労働をしながら死を待つだけ。それが無期懲役刑です。
しかも、時代の息吹を受けて立ち上がり、誰かの罪をかぶせられたとしたらどうでしょう?
その人は、私の息子が自死した事を知り、獄中から面会した人を通じてメッセージをくれました。「傷ついた人が再び立ち上がるのは大変な事なんです。長い時間がかかります。自分の力で立ち上がれるまで見守る事が大切なのです。」と言う内容でした。自由の無い獄中にありながら、自分自身の苦しみから人の心を思う人でありました。
人を殺害して平然と無罪を訴える様な人ではありませんでした。
その人は、ついに自由になる事なく6年前の5月に不治の病で他界されました。
私の息子のお地蔵さんの脇に、石を飾っております。
その方の冤罪を訴え、自由にせよと、収監されていた徳島刑務所に何度か行った事がありました。
鮎喰川と言う清流の先に、その刑務所がありました。
その河川敷で集会が行われ、綺麗な河原石の一つを彼の代わりに持ち帰ったものです。
「鮎喰川」名前の通り綺麗な川でした。こんな風景も彼は見る事ができませんでした。ふるさと北海道の美しい風景を想いながらたくさんの綺麗な絵を残しています。
彼の存在と人生を政治的に考える人たちと、私の思いの違いがあったのだと思います。
私が党派を離れるのと機を一にして、彼は亡くなってしまわれました。
私は指弾される事を覚悟しながら、彼の亡骸にお別れに行って参りました。
私が、美しい桜の季節、そして新緑の季節の中をバスで走る時には、「こんな景色を彼に見せたかった。彼は夢にまで見ていたんだよな。」って、実は思いながら走っています。だから「俺は何て幸せなんだ。例え一人になっても。」とそう思うのです。
彼が冤罪で逮捕されたのが1975年。私が左翼運動を始めた一つの動機でもありました。彼の再審闘争が1986年くらいに始まりました。彼の存在を意識しながら、国鉄分割民営化からJRへと折れずに立ち続けました。
お互いに立ち続けたのですが、取り戻す事ができませんでした。頑張っても成し遂げられない事はあります。しかし、今でもとても残念な思いがあります。
アメリカの詩人ホイットマンに
「言葉は、過去の全てが作り上げた肉体である」と言う言葉があります。
そして「言葉の使用技術は、事物の活力源にならなければ、汚点となりシミとなる。」
過去の全てが作りあげた言葉は、肉体である。って凄い表現だと思います。
死んでも残り続ける肉体の様な言葉とその使用技術は、死を超えて人を支えるものになる。
だから、その様な言葉が求められている。心から発せられる言葉を、誰でもなく自分で静かに聴いて確かな言葉にして行かなければならないと言う訳です。
あまりにもたくさんの事をやって来たので、めちゃくちゃ大変です。
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2025/04/28 14:15
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悠然と
昨日は土曜出勤で今日は休み、明日一日仕事をしましたら何と8日間のお休みでございます。
私の会社の場合、高速バスを除いて道路が混雑する期間には基本的に貸し切りバスの仕事は受けない様にしている様です。それだけロスが大きい事を長年の経験で蓄積して来たのですね。儲ける時はしっかり儲けるけれど、無闇にがっついたりせずに働く人を休ませる。メリハリをしっかりつけている会社運営だと思います。
もちろん不満や愚痴は聞こえるのですが、辞める人より入る人の方が多いのには理由がある様に思います。
(バスの窓拭きをしておりましたら、オニグモの若いのがいました。エサの虫も多い自然豊かな環境なのでございます。)
国鉄時代、駅の汚い便所掃除やゴミだらけで酒瓶が転がる臭い電車の掃除とサボ(行き先を示すホーローの鉄板)入れから私の仕事人生が始まりました。
それからいろんな職種を経験して、ようやく電車運転士になって3年も経たずに、国鉄分割民営化に反対し、節を曲げないと言う事で運転士を外されてから25年、売れない蕎麦屋や売店に隔離されておりました。はっきり言えばこれが自分の仕事だと言える様な確たる仕事をしていなかったのでございます。
裁判で勝って52才で電車の検修の仕事に戻れたのですが、ついて行く事に懸命になっているうちに終わってしまいました。頑張ったのですが、最後には太刀打ち出来ない経験の差を思い知りました。
と言う訳で、元国鉄の電車運転士とか元JRとか言っても「鉄道員」としての仕事は何だったのですか?と聞かれると困る私がおります。
分かりやすいかと「電車運転士でした」と言うのですが、40年のうちたったの3年くらいでした。
でも、それだけでも人とつながる事があります。それがJRや電車の公共性なんですね。そこに色んな人生がある事を出会いの中で知ったりします。
バス会社に大型二種免許を取って62才で入ってからもうすぐ5年になります。しかし、ミスを重ねて運転士を外されましたので、そのうち2年間は総務課預かりとなりあらゆる雑用を最低賃金でやった2年間でした。
なので運転士歴は厳密には3年と言う訳です。なので、バス運転士としても怪しいのです。しかし、このドン底の様な2年間があってこそバス運転士の仕事と言うのが見えて来たのだと思います。
たぶん、して来た苦労の中身が他の運転士さんたちと違うのだと思います。
見えているものが違うのですね。
自分の仕事としてのバス運転について確たる実感があるのです。
運転士としての腕の問題でなく、この仕事が私の仕事だと言う揺るぎ無い確信みたいなものが自分の中に出来て来たのです。
これは、私の人生上では画期的な事なのです。
年相応に動じなくなった人としての私がいる。そんな実感なのでございます。
上手いバスの運転士さんのハンドリングやクラッチ、アクセルワークと言うのは実に悠然としております。ムダな動きがありません。
逆にちょこまかバスを操作しようとすると上手く行かないんですね。結果も見苦しくなります。
人の運転を見せて頂きながら考えて来ました。考えると言う事はそこから学ぶと言う事ですね。
完全復帰してから半年にしかならないのですが、運転士としての成長と人としての成長が同時に、一気に来た実感があります。
簡単に言えば、心に確たるものの実感ができて、動じなくなった私がいるのを感じている訳です。
誰かのための仕事でなく、自分の仕事になったと言う事かも知れません。
だから、不満と言う感情も湧かず、楽しい事は楽しい、気持ち良い事は気持ち良いと自然に感じられるのです。
あこがれの夫婦も破綻し、家族も両親だけになり、お金もほとんど無くなり、無い無い尽くしになっている現状なんですが、以外にも心が軽いのは、自分の中に確たる仕事があるからなのだと思うのです。
そして、もう一つ。
私はずっと書き続けて来ました。組合の方針書や総括文から、政治党派の論文まで、信じられないくらいの文章を書いて来ました。しかし、本当に自分の中の確たるものが表現できていたのか?と言うと違っていたと思います。
本当に自分の中の確たるもの、それを言葉にできたら、書く事で表現できた時に過ぎ去るだけのものでは無くなる。それももう一つの仕事かも知れないと思いはじめました。
さて、明日一日もしっかりと悠然と臨みたいと思います。
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2025/04/27 17:03
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光陰矢の如し、されど手に弓は残る。
昨日は、町村合併でつくばみらい市に変わった旧伊奈町をスクールバスで走りました。
元気な子供たちを乗せて、新緑に輝く山林、あちこち垂れ下がる山藤が美くしく何とも言えない様な幸せを感じました。
対向車が来ればすれ違えないくらい狭い田舎道を注意しながら抜けて、坂を降りると一面田植え中の田んぼが広がります。そして休耕田には、一面に菜の花の黄色が広がっています。ピークは終わった感じですが、まだ見事でございました。
そんな素晴らしい景色の中を、仕事で走れるのですから幸せです。
そんな茨城の田舎の景色をつまらないという人もおります。同僚の運転士さんたちにも「飽きた」という人もいます。
でも、筑波山から加波山方面を1年ほど走った時にも、四季の変化に驚きながら、子供たちの歌を聞いて運転できる事に飽きるなんて言う事はありませんでした。
私と離れたくないとまで手紙をくれた子供たちのバスを、ずっと運転していたいと思いました。それがかなわない事を知りながら、その時間が永遠に続かないものかと願ったりしておりました。それからまたいくつもの波乱で、バス運転士を降ろされてからの復帰です。
(発車前、一服しながら新緑の木の葉と空を眺めます。空に吸われし67の心って感じです。)
今日は、スクールバスも土曜日でありません。私の方は、工場の出勤日なので乗務です。
車庫にはほとんど人がいないので寂しくもありますが、それはそれで自分のペースでバスの清掃や給油ができますので落ち着きます。
9月には68才になり、70才を前にして元気で仕事ができるだけで十分幸せだと思います。それを噛み締めながらバスの清掃も致します。
プライベートな夫婦関係は、見事に崩壊してしまったのですが、今までに無く心が落ち着いて自分に向き合える私がおります。
無理な事は無理だったと言う事ですから、それも受け入れるしかありません。
そんな私に、何気に良くしてくれる職場のみなさんの不思議。思えば、国鉄に入った頃から周りの人から何故か大事にして頂いた人生でした。
(今朝は、頑張っているママさん運転士から「辻川さん、甘いの大丈夫ですか?」ってあめ玉を頂きました。とても嬉しかった。)
私より4つほど上のベテランのバス運転士さんが、病気から復活されて一昨日から点呼の仕事の見習いを始めておりました。
昔かたぎの運転士さんなので、大丈夫かなと心配して、私なりに気を配って話しかけておりました。
それが今朝になって「転倒して救急車で運ばれた。」と聞いて驚きました。
気丈に振舞っておりましたが、やはり大変だったのかなと思います。
「辻川さんも気をつけて下さいね。もう若くは無いのですから」とその話しをしながら点呼の人が言ってくれました。
私は大丈夫!とかは言いません。
昨日も開いてない素通しガラスの戸に気づかず、そのまま出ようとしてぶつかってしまったばかりです。
「ガラスは大丈夫?」と言うちょっと年下の同僚に「違うでしょう。心配するのはガラスじゃなく俺の方でしょう!」なんて笑い合ったばかりでした。
今がずっと続く訳が無い事を、少しは分かって参りました。あと何年できるのでしょうか?老いは容赦なくやって来ます。
だからこそ、今を大切に。
最悪に思える時だって、命は輝いていたりするのです。最悪も生きているから味わえるのですから。
(小さい小さい花。「コメツブクサ」だそうでございます。)
詩人の長田弘さんが「光陰矢の如し、されど手には弓が残る。弓は言葉である。」と書いておりました。
全てはあっという間に過ぎ去る。でもその跡に言葉が残ると言うのですね。
昔の労働組合が、何十年史なんてのを編纂すると間もなくその歴史が終わってしまいました。
記録を残そうなんてすると終わる。そう言う歴史を見て来た訳です。
言葉が残るのと記録を言葉で残すと言う事は違うのですね。
時代や人が生きて来た奇跡に残る言葉を編んで行く。それが詩人なのかも知れません。
さて、共に時代を生きて私の中に生き続け増え続ける人たちの魂の息吹を、どの様に言葉に編んで行けば良いのか?
思案中なのであります。
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2025/04/26 11:50
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男のロマン
明日土曜日も仕事の私です。
勤務時間の調整のために週一入る小学校の送迎バスが、金曜日の今日になりました。
終わる時間が夕方で、マイクロバスの運転なのでとても楽な感じが致します。
しかも、子どもたちが好きなので見ているだけで楽しいのです。おじいちゃん状態なんでしょうか?
「おはよう。」「行ってらっしゃい。」となるべく見ながら声をかけて「おはようございます。」とか「行って来ます。」なんて言われると、やっぱり可愛いな〜幸せだな〜って思います。
本当は、子どもたちと関わる仕事をずっとやれたら良いななんて思います。
今は、老後の蓄えどころか2度目の離婚でマイナス状態。贅沢を言っていられないのでございます。
朝の送迎を終えて回送発車までに10分ありましたので運動場のトイレに行きました。
駐車場の八重桜が散って、下に積もっておりました。
桜の花は、落ちてなお楽しませてくれますね。
私も落ちて終わりでなく、そんなであると良いな〜と思ったりしました。
人にはそれぞれ大変な事や辛い事がありますね。だからこそ、人に楽しんでもらえる事で自分の心に余裕ができる。そんな素晴らしい面がある様に思います。
雑然としたわが家の花壇に「ヒルザキツキミソウ」が咲き始めました。なかなか強い草で、放っておくと凄い状態になります。
これでも、手は入れているのですがもう少し咲いた場面まで想定しないとダメですね。
自分が自由になる時間が少なく、心にも余裕が無かったので来年は、見た人が楽しいくなれる様に手入れして行けたらなって思います。
ちゃんと心から愛情をかけられたら、綺麗に咲いてくれる事を母から学びましたので。
私に「師弟関係」とまで言ってくれる自衛官さん。好きとラブがたくさんあって、それぞれが半端でありません。
カレー好きだと言う彼のオススメの一つ「すき家」のカレーを食べて見ました。
ウンウン。確かに安物のレトルトって感じではありませんでした。結構スパイシーですが、胡椒で辛みを尖らせたものでもありませんでした。別に付けられている辛みソースを加えると、辛みだけでなくスパイシーさも程よく増します。具もちゃんとしております。
これで600円なら高くないと思いました。
まあ、自衛官さんへの私の気持ちがあっての事なんですが、楽しみました。
今日のスクールバスは、自衛官さんも見習いで別のバスに乗っております。
私が嫌だなと思いながら覚えた難コースに挑んでいるのですが「ワクワクするでしょう?」と聞くと「はい。自分やって見たい〜とワクワクします。」と言います。難しければ難しいほど、挑戦したくてウズウズする人なんですね。
そう言う人は上達が早いので、腕の方は既に追い越されております。
幼児の頃から近くの川で決壊しない堤防作りに挑戦し続けて、小学二年生の時にホースを通す事で出来たんです!なんて目を輝かせてお話しする様な人です。
挑戦する事に生きる喜びを感じて来た、真っ直ぐで豊かな人なのだと思います。
人としてのタイプは全然違うと思うのですが、分かる感じがします。私も男の子でしたから。
「辻川さん。男のロマンってありますよね。妻は返事をしない時があるのですが。」というので「はい。ロマンは大事ですよね。」と同意します。聞けば、80万円の三輪オートが欲しくて、それで会社に通いたいと役員に言ったら「危ないからやめて下さい」って言われたと言います。
(三輪オート「トライク」ってこんなのかな?)
そう言う事を言えちゃう人なんですね。止める責任者の人の心配も分かります。
色んな人がいて、面白い人がいて、だんだんと職場の雰囲気も変わって行く。
私も変わって行く。
変わって行けるから、時代に対応して行けている様に思います。
何せ、運転士不足の中で新たにバス運転士を目指す人が次々と入って来る会社です。
そして自衛官さん自身が「この会社を選んで良かった。全然ストレスが無くて、楽しくてしょうがありません。」というのです。そう言う人がまた別の人を引き寄せるのだと思います。
年だからとか、俺の時代は終わったとかそんな人に「師匠」とまで言われたら言っていられませんね。
素直に受け入れて、一緒に生きさせて頂く。そうすると、何だか私も新たな難コースにワクワクして来るのです。
教えるのは、教えてもらう事。
学びの多かった「指導運転士」の経験でした。
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2025/04/25 13:21
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色即是空。
ゴールデンウィーク前の仕事の山場です。プライベートな問題もあり心身ともにかなり疲れます。
それでも職場に行けば同僚たちと笑顔で語り合い、運転は運転で集中する事ができる自分を見て、ようやくプロに成長出来てきたかなって思います。言い訳が効かない仕事ですから。
(一心不乱なハナムグリ。)
「◯◯さん。私も離婚して同じお一人様になりましたよ。」と同僚の一人に話しかけました。
「全く辻川さんは、俺に嘘ばっかり言うんだから。」と同僚が笑います。
「嘘じゃありませんよ。自衛官さんなら信じてくれますよ。」と側にいる自衛官さんを見ました。
すると「辻川さんとは師弟関係ですから」ときまじめに答えて下さいました。
「自衛官さんは、先生がたくさんいて『神ってる』人ばかりですからね。」と私。
「すると辻川さんは神様の先頭にいるんだ。」と◯◯さん。
「神様って言うより、そろそろお迎えが近づいてますね。お迎えに来てくれる仲間たちがたくさんいるってのも楽しい感じですよ。」
仕事前に暗い話しは致しませんので、何でも笑い合う様に致します。
「でもね。1年くらいは1人暮らしも良いと思うけど、仕事しながら自分で全部やっていると惨めな感じがして来るよ。」と◯◯さんがアドバイス気味に話してくれました。その気持ちは受けながら「じゃあ1年くらいは、1人暮らしを楽しもうかな〜。」と笑います。
まあ、炊事や掃除洗濯のために一緒になった訳ではありませんでしたし、お互いに心が合わないと分かった結果ですので、自分の身の回りの事は自分でやる習慣にすれば良い事だと思っております。
「色即是空」って有名な般若心経の冒頭ですね。
「色」と言うのは、ものや全てのあるものを指し、「空」と言うのは全て移ろい変わって行くと言う意味らしいです。つまり、万物は変化すると言う事。その中には心も含むのですね。しかし、全てが変わってしまうから虚しいと言う事ではありません。変化する自由の中で、今がある。今と言うのは一瞬も留まっていない。そこに生きていると言う輝きがあると言う事です。
それを固定して、こうでなければならない。なんて考えて人に強いたりする事を「反動」と言うのです。
反動と言うのは、変化し続ける自由と言う生命のダイナミズムに反するので崩れ去るしかないのです。
そう言う事なんですね。
(昭和40年から50年頃に流行ったステレオって、こんなでした。)
もう、先に逝ってしまった親しい仲間がたくさんいる私には、たくさんのお迎えが「辻川。待ってるぜ。」って待ち構えているし、後からも「辻川さん待ってろよ。」って来るのも分かっております。
なのでお一人様になってまず楽しみたい事って何だろう?って考えました。
昔学校やバイトから帰って父が買ったステレオで好きな音楽に浸りながらうたた寝をした事の快楽を、また味わいたいな〜。そんな事を思います。
好きな本に夢中になり、好きな音楽に浸り夢を見る。
ステキじゃないですか?
チャイコフスキーの「悲愴」なんて言う交響曲は、静かな導入にうとうとしていると突然雷鳴みたいな曲調に変わるのでびっくりして飛び起きたのも思い出ですね。
人のために、誰かのためにって自分が先頭で頑張れる年では無くなりました。一歩さがりながら、誰かの心の支えになれたら本望だと思います。
70才近くになり、あっという間に2度目の離婚。まさに色即是空。波乱万丈な人生が終わる保証もありませんので、つかの間の1人暮らしになるかもしれません。1年くらいは、静かな1人暮らしを味わえたら有難いな〜なんて願います。
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2025/04/24 14:11
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