辻川慎一つくば便り
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おまんじゅうには緑茶が合う。
自分に不安があるからこそ人の不安に敏感になり、寄り添う事で自分の不安も乗り越えられる。そんな事を昨日のブログに載せて頂きました。
昨年新しく同僚になったベテランのバス運転士の研修指導を担当したのですが、今年になって体調を崩されていて心配しておりました。風邪がなかなか治らず、調子が悪そうなので私が作った「金柑の甘露煮」を差し上げました。喉と咳に効くだけでなく免疫力を高めることを、自分自身で実感しておりましたので。
そうしましたら、昨日は彼が住む街の老舗のおまんじゅう屋さんでおまんじゅうを買って来て下さいました。
何と15個入り。スマホで調べましたら、毎日売り切れる人気店で無添加・無着色のおまんじゅうでございました。
仕事を終えてから、頂いて見ました。ちゃんと食べてからお礼を伝えないと失礼だと思っております。
いやぁ〜、餡も衣も素晴らしい!甘過ぎず素材の小豆がしっかりと活きている。小麦の衣は、しっとりしてもちもち。自然な味で、いくらでも食べられちゃう感じでした。
甘党でもまんじゅう好きでも無い私ですが、美味〜い!と唸ってしまいました。売り切れるのが分かります。
そして、そんな貴重なおまんじゅうをわざわざ買って来てくれた同僚の心に感謝致しました。こう言うのを有難いと言うのだと思います。
バスの運転ははるかにベテランの人ですが、会社では年配の新人扱い。勝手が分からない中で、何とか楽しくストレス無く定着して末永く一緒に働ければと心から思って来ました。
思うだけでなく、理不尽に嫌な思いをしていると感じた時には年上の「先輩」として出来るだけ守る様にして来ました。
バスを運転するだけで大変なのですから、無用な不安やストレスが掛からない様にするのは安全・安心のためだと思っております。
自分は分かっているとダメ出しするのは簡単なんですね。ダメ出しではなくどうすれば、お互いに良い状態になって行くのか?一緒にやって行けるのか?そこをじっくり良く考えてやって行けるのが「長老」になりつつある私の役割であると思っています。誰に対してもダメ出しはしない。勝手に断定せずに、思いやりを持ちながら良く耳を傾ける。そしてどうするのが良いかを考える。
この世に意味の無い命など無いと思いますし、奇跡の様に出会っている。その思いに自分こそがちゃんと立つ。
それだけなのだと思います。
今日が節分で、間もなく旧暦のお正月なんですね。気の流れ「風水」を良く知る同僚から有難いアドバイスを頂きましたので、玄関の鏡は移し赤と金の福を飾りました。
どうも、ますます流れが良くなっている様です。
世間の「常識」で、老後のために2000万円必要だなんて言われておりましたが、その100分の1くらいの状態でございます。
しかし、流れが良ければ心も身体も健康でいられる。いくらお金があっても病気になり元気が無ければ幸せではありませんね。
流れを良くするのがバス運転士の役割でもあります。そして、いつの間にやら良い流れを作っているのも。
やはり天命だった様に思ったりします。
流れを良くするために、引き続き頑張ります。
「花屋」私好みのお店でした。
ちなみにおまんじゅうには、やっぱり緑茶が合いますね!
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2026/02/03 13:11
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不安があるからこそ深く楽しめる。
2月最初の週が静かに始まりました。まだまだ寒いですが、明日は節分ですね。
去年の節分には、私が鬼になって外に出て豆を撒かれたのですが、豆を撒いた人が家を出て行った。何やらそれから別の人が次々と現れて福を持って来てくれる不思議でございます。
シクラメンの花も次々と咲いております。
2月11日は息子の命日で、昨年が13回忌でございました。去年までは、年末から年始にかけてフラッシュバックして落ち込んだり、一人涙する事が続いて自律神経がおかしい状態が続いておりました。
さて今年はと言うと、とても心静かで落ち着いた私がいるのでございます。ようやく心の整理がついて、彼の死を受け入れる事が出来た。そんな実感があります。
ずいぶんと掛かりました。仲間たちや周りの人たちの問題や不安を我が事の様に思い、解決を図る人生であったのに、息子の死ぬほどの不安を分かってやれなかった。絶望的悲しみと共に、その事への後悔に苛まれて来ました。
「親父、いい気になるなよ。まだまだだぞ。でもその生き方を貫いて欲しい。」そんなメッセージをもらえた様に思います。
思えばそれは、13回忌を期に起きた離婚から、新たな友人が次々と現れて息子の代わりに私に伝えてくれたメッセージであったと思います。
最近知り合った友人は「これは私が言っているのではなく、辻川さんについている人が言っている言葉です。」と不思議な事を言ってくれました。その方は私に「私の人生では、会った事の無い凄い人です。」と言ってくれます。
凄いかどうかは自分では分かりませんが、私にはたくさん忘れ得ぬ人はたくさんおりますが、最も強力についているとすれば、息子に違いありません。その事に気付かせて頂きました。そして、それを受け入れた時に、これまでに無く落ち着いた私がいたのです。
(JA直売所で「ふきのとう」を売っておりましたので「ふき味噌」を作りました。初春の香りが致します。)
そんな訳で、2月最初の乗務をこれまでに無いくらいに静かに落ち着いてやっている私がおります。
「辻川さん。俺たちどうなっちゃうの?」と行き先が見えない仲間たちに言われた事がありました。勝負の時でした。「大丈夫だ。必ず俺が守るから行ってくれ。」と話した事を思い出しました。
もちろん根拠無く言った訳ではありませんが、折れずに立ち向かえば必ず勝てると思っておりました。
そして、大の男たちが眦を決して一つになって闘いをやり抜いた。その結束ぶりに驚き、称賛していたのは相手側であった。既にその時に勝負はついていた。
私たちは見事に勝ち抜いたのです。
不安や心配があったからこそ、それを超えてやり抜き勝ち抜いた経験こそが尊いのです。
「辻川さんが言うならやるよ。」それが彼らの言葉でした。そして「辻川さんと一緒で本当に楽しかったな〜。」と今も言ってくれます。
人を心から信頼できた時に、人は一緒に不安を超えられる。私は、それを見て来た。
そしてその事をバスを運転しながら、やはりそうだと確信を新たにしているのです。
不安があるから面白くなる。
最後の不安は、死ぬ事ですね。
ところで、それを超えられたら最高に楽しい事になります。
私は、いくつもの勝負の時に、仲間たちに呼びかけて来ました。「みんな、行くぞ〜!」と、眦を決してみんなついて来てくれた。
指して導く人が指導者であり、不安を超えさせて喜びの世界に誘う人なんだ。
その様な人がたくさん出て来たら、世の中は楽しくなります。
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2026/02/02 13:40
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小さな事に宇宙が宿る。
土曜日ながら工場の出勤日で、昨日も乗務でした。そして空き時間に、バス運転士としてスタートした時の最初の先生をしてくれた先輩の告別式にも参列したためブログを上げる余裕がありませんでした。
そればかりでなく、困っている後輩のために自分やれる事を考えてやったりとなかなか忙しいのでございます。
(まだまだ寒いのですが、今日から2月。庭の南高梅が開花しました。)
告別式に行き先輩のお顔を見てお礼とお別れの言葉を伝えました。6日間のバスの運転でかなり疲れが溜まっているのですが、心が清められた感じが致しました。
様々な人生を生きながら、人は誰しもが死ぬ。
人は、自分がいずれ死ぬ存在である事を自覚している。子どもの頃は、母がいなくなる、あるいは死んでしまうと言う事が世界の終わりくらいに怖かった。不安だった訳です。
そして思春期になり、自分も死ぬ存在である事を自覚してから別の不安と共に生きる事になりました。
それと同時に、他の人の不安にも敏感になり戦争や貧困の事を我が事の様に感じる様になりました。
研究者の道を選ばすに、政治党派に入り、国鉄に入り、労働組合運動をする道を選んだのは不安からの解放を求めて来たのだと、今になって分かりました。
一緒に闘ってくれた仲間たちの心からの笑顔と、闘っている時に私に投げかけたキリッとした視線は、国鉄分割民営化と言う荒波の中での不安から解放されたところにあった。
その笑顔や視線こそ私の喜びだったのたと、分かりました。
(かすみがうら市中志筑。バス会社に入って、亡くなった先輩が「武家屋敷があるんだよ。」と教えて頂きました。その先輩の告別式の帰り道で偶然通り、思い出しました。)
そして今、バス会社の運転士としての苦節6年を経て、研修指導を担当させてもらえる様になり不安を抱えながらバス運転に向き合っている人たちと関わる中で見えて来た事があります。
不安を抱えながらの運転は、乗客も不安にするし、負を引き込む。心の余裕が無ければならないのです。
不安がどうすれば無くなるのか?
問題は、その様に立てられている。
それは、生きる事の不安に直結しているのだ。
優しいと言う言葉があります、憂い(不安や悲しみ)に寄り添える人(亻にんべん)を優しい人と言うのですね。
つまり人は、他の人の憂いに寄り添う事で自分自身の不安から解放されて行く。そう言う存在なんだと改めて分かったのでございます。
あ~、私が求め続けて、折々に救ける事を自分の利害を超えて選択して来た意味は、それだったのだと気付かせてもらいました。
先週バスをぶつけて凹んでいた人の研修指導を私がして、翌日の朝にはキリッとした視線を私に投げて手を上げて出庫して行った。そう、それは闘いの渦中でJRの仲間たちが私に送った視線そのものだった。それを思い出しました。
昨日は、やはり鉄道会社からバス運転士を目指して頑張っている人と、笑いながら抱き合いました。お互いにちょっとした不幸があっただけなのですが、とても自然に抱き合ってしまいました。
そして、パワハラに近い研修指導を受けている仲間の問題を穏便に解決を致しました。
そう言う事を通じて、自分の天命が分かって来たと感じました。そう、人が生きる事の不安からの解放をして行く事で自分の不安からも解放される構造にある。それを伝え続ける事。今まで以上に明確にです。
ちょっとした悟りかも知れませんが、小さな事に宇宙が宿るのでございます。
さて明日からまた、先輩の後を追ってだんだんと先輩が去って行く私のライフワークが続きます。
みな様、良い日曜日をお過ごし下さい。
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2026/02/01 10:47
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ギターは打楽器である。
今日は晴れなれど冷たい風が強く吹いております。
寒い、寒いと言いながら、早くも明日は1月最後の日の土曜日になりましたね。
明日も出勤日になっておりました。休みでも有り難いし、仕事でも有難い私でございます。
とにかく毎日色んな事があるバス運転士の日々、昨日はさすがに疲れてしまいましたが帰宅が早い小学校の送迎バス。有り難く早めに寝る事が出来ました。
なので、相当回復出来ました。
今朝は一昨日研修指導を担当させて頂いた方に声をかけてから出庫致しました。
車庫入れでバスをへこませて、自分でもへこんでおりましたので「誰にもある事ですから、周りの人は何とも思っていませんよ。人ではなく自分で総括して、これからに生かせば良い事です。大丈夫、あなたならできます。」と、そんな事を伝えました。
丁度、私の担当バスの脇から5分前の出庫でした。彼に手を上げて見送ると、彼もまた手を上げて発車して行きました。
その時に送ってくれた目の力強さが印象的でした。今までに、そんなに力強い目線を送ってくれた事がありませんでしたので。私も、言葉を送った自分を引き締め直して出庫致しました。彼も進化し、私も人として深化した。そんな事を感じた瞬間でございました。
人の関係と言うのは、決して一方的なものでは無い。一方的にしか考えられない人は、何も得られないのですね。心が貧しくなるばかり。そうすると、ますます自分に自信が無くなり小さな事にこだわり人を責める様になる。
そう言う構造なんだな~なんて分かった次第です。
免疫力の力と言うのは、違うものを受け入れる力です。とすれば心の免疫力と言うのも、やはり違うものを受け入れる力にある。
受け入れられないと身も心も硬直化して行く。いわゆる器の狭い人間になり、人の生命力まで奪って行く。そう言う人の顔色には決まって精彩が無いのです。負のオーラを出している。そうしますと、福も逃げて行くのでございます。
何気無く眺めておりましたら、ギターを奏でる私のピックに「History」とありました。直訳すると歴史ですね。あ~、俺は歴史を奏でていたのか〜なんて感慨深くなってしまいました。
ところで、ピックと言うのは弦を弾く道具とされていますが、ピックを使っておりますとギターと言うのは弦楽器と言うより打楽器ではないか?と感じる時があります。
リズミカルでないと気持ち良くない楽器なのでございます。なので当たり前に弦楽器じゃんと言う発想の転換をしないと気持ち良くならないと言う事が分かって参りました。
それも当たり前の事なのかも知れませんが、自分で発見するから自分の中で深まって行くのだと思います。
リズムと言うのは生命の本質にも関わりますね。人間社会とその歴史に音楽が無い世界は無いのですから。
リズムの無い音だけだと音楽にはならない。
「バスの運転にも流れる様なリズムがあると乗っている人も気持ち良いのですよ。」と教えてくれた同僚がおります。
私にはとても合点が行きます。目指すものが、また見えて来ました。
力強いあの目をまた見てみたい。一緒に生きる喜びを感じたい。私の「武器」は、笑顔であり、声であり、目であり、バスの運転であり、音楽なんですね。磨き上げ続けるのみでございます。
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2026/01/30 12:39
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語りかけているのを感じる。
私が担当の時ではありませんが、長く別の仕事をされて定年を期にバス運転士を目指している後輩の方が研修中に車庫内の塀にバスを接触させてしまいました。
とても几帳面で緩む事が無いので、逆に心配していた方でした。その様にギリギリと生きて来た方なんですね。
入社したばかりの頃から4度、研修指導を担当させて頂き彼がやって来た事を尊重しながら、どう働きかけるのが良いのかとずっと考えて来ました。
もちろん私自身の技術的な面でもちゃんと説得力が無ければ通用しないと思いつつ、何より心の持ち方が大切だと私自身が経験でつかんできた事をどうしたら受け取ってもらえるだろうと思案して来たのでございます。
相手に責任を持って教えると言う事は、先ずは自分が問われると言う貴重な経験を積ませていただいております。
(植物も音楽も、私に語りかけて来ます。心を閉ざしていれば聞こえないのです。)
一人の人に対しても自分の見方と他の人の見方は違う。それぞれの物差しが違うからですね。
自分の見方が絶対正しいなんて事は無い。かと言って他者の見方もまた正しいと言う事も無い。自分が勝手に作った印象で決める事無く、色んな人の印象を伺いながら、自分の印象を豊かにして行く訳です。
もちろん当人をしっかり見て、そのお話しをしっかり受け止めながら。
自分で明確なミスをした事で、その対応へのアドバイスをしたところから私への信頼感がガラリと変わった感じが致しました。
私がこれまで危険を感じると伝えて来た事を全て直してやってくれました。何より、一番必要なのはインターバルですと言って来たのですが「私は良いです。」と言って来たのを「一緒に休憩します。」と変えてくれた事がとても嬉しく感じました。
昨晩の最終便で「さあ、気持ち良く最終便に望みますか!」と言いましたら「休憩して、一服して来たら本当にリフレッシュしますね。」と言ってくれました。「そうなんですよ。それが大事なんです。技術的な事は次回からそうしなければ良いだけですから。」とお互いに笑顔を交わす事が出来ました。時間をかけて、本当に相手のためなのか?を自分に問い、どうしたら伝えられるのだろうか?自分は間違って無いのか?と思案しながら語りかけて来た事が、通じた瞬間でございました。
失敗した事を誤魔化してしまう人に進歩はありませんが、ちゃんと反省できる人が進歩できる。
それを私は知っております。
何しろ事故報告書を書いた数ナンバーワンなのでございますから。
(昨晩、何と友人からおかずの差し入れがありました。今日は小学校の送迎バスなので、有り難く公園ランチでございます。)
そう。人は心から信頼できる人の話ししか本当は受け取らない。単に話しを合わせて代わされるだけなのだと思います。
私が労働組合をやった経験の中で、最も重要な経験だったかも知れません。信頼無しに「正しい事」が受け取られるなんて事が無いのが人の世界なのだと思います。「正しい事を言っているのに通じ無いのは、相手が悪い。」なんて思っている人が多いですが、正しいなんて事は時代と共に変わるのですから直ぐに時代遅れになってしまうのです。
その事を改めて感じた次第です。
「辻川さんも色々あって、今安定して運転が出来ていますね。自分は上手いなんて思わない事です。進歩しないし、人の話が聞けなくなります。聞ける人は慕われます。」とずっと私を見て来て、現在の私を信頼して下さる取締役の方が語りかけてくれました。
「そうですね。人一倍失敗をやらかしました。」と見守り続けてくれた事に感謝しました。
まあ、こんなに失敗して、既に68歳になっても進歩し続けていると言う事が、同僚や後輩たちを励ましているのかも知れません。
長老は、ゆっくりながらもさらなる運転の上達と改善を図り続けております。人もバスも道も景色も私に語りかけて来る事を感じながらです。無駄に速く走ったらもったいないと思います。
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2026/01/29 11:31
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