辻川慎一つくば便り

光陰矢の如し、されど手に弓は残る。

昨日は、町村合併でつくばみらい市に変わった旧伊奈町をスクールバスで走りました。

元気な子供たちを乗せて、新緑に輝く山林、あちこち垂れ下がる山藤が美くしく何とも言えない様な幸せを感じました。

対向車が来ればすれ違えないくらい狭い田舎道を注意しながら抜けて、坂を降りると一面田植え中の田んぼが広がります。そして休耕田には、一面に菜の花の黄色が広がっています。ピークは終わった感じですが、まだ見事でございました。

そんな素晴らしい景色の中を、仕事で走れるのですから幸せです。

そんな茨城の田舎の景色をつまらないという人もおります。同僚の運転士さんたちにも「飽きた」という人もいます。

でも、筑波山から加波山方面を1年ほど走った時にも、四季の変化に驚きながら、子供たちの歌を聞いて運転できる事に飽きるなんて言う事はありませんでした。

私と離れたくないとまで手紙をくれた子供たちのバスを、ずっと運転していたいと思いました。それがかなわない事を知りながら、その時間が永遠に続かないものかと願ったりしておりました。それからまたいくつもの波乱で、バス運転士を降ろされてからの復帰です。


(発車前、一服しながら新緑の木の葉と空を眺めます。空に吸われし67の心って感じです。)

今日は、スクールバスも土曜日でありません。私の方は、工場の出勤日なので乗務です。

車庫にはほとんど人がいないので寂しくもありますが、それはそれで自分のペースでバスの清掃や給油ができますので落ち着きます。

9月には68才になり、70才を前にして元気で仕事ができるだけで十分幸せだと思います。それを噛み締めながらバスの清掃も致します。

プライベートな夫婦関係は、見事に崩壊してしまったのですが、今までに無く心が落ち着いて自分に向き合える私がおります。

無理な事は無理だったと言う事ですから、それも受け入れるしかありません。

そんな私に、何気に良くしてくれる職場のみなさんの不思議。思えば、国鉄に入った頃から周りの人から何故か大事にして頂いた人生でした。


(今朝は、頑張っているママさん運転士から「辻川さん、甘いの大丈夫ですか?」ってあめ玉を頂きました。とても嬉しかった。)


私より4つほど上のベテランのバス運転士さんが、病気から復活されて一昨日から点呼の仕事の見習いを始めておりました。

昔かたぎの運転士さんなので、大丈夫かなと心配して、私なりに気を配って話しかけておりました。

それが今朝になって「転倒して救急車で運ばれた。」と聞いて驚きました。

気丈に振舞っておりましたが、やはり大変だったのかなと思います。

「辻川さんも気をつけて下さいね。もう若くは無いのですから」とその話しをしながら点呼の人が言ってくれました。

私は大丈夫!とかは言いません。

昨日も開いてない素通しガラスの戸に気づかず、そのまま出ようとしてぶつかってしまったばかりです。

「ガラスは大丈夫?」と言うちょっと年下の同僚に「違うでしょう。心配するのはガラスじゃなく俺の方でしょう!」なんて笑い合ったばかりでした。

今がずっと続く訳が無い事を、少しは分かって参りました。あと何年できるのでしょうか?老いは容赦なくやって来ます。

だからこそ、今を大切に。

最悪に思える時だって、命は輝いていたりするのです。最悪も生きているから味わえるのですから。

 

(小さい小さい花。「コメツブクサ」だそうでございます。)

詩人の長田弘さんが「光陰矢の如し、されど手には弓が残る。弓は言葉である。」と書いておりました。

全てはあっという間に過ぎ去る。でもその跡に言葉が残ると言うのですね。

昔の労働組合が、何十年史なんてのを編纂すると間もなくその歴史が終わってしまいました。

記録を残そうなんてすると終わる。そう言う歴史を見て来た訳です。

言葉が残るのと記録を言葉で残すと言う事は違うのですね。

時代や人が生きて来た奇跡に残る言葉を編んで行く。それが詩人なのかも知れません。

さて、共に時代を生きて私の中に生き続け増え続ける人たちの魂の息吹を、どの様に言葉に編んで行けば良いのか?

思案中なのであります。

コメント

プロフィール

HN:
No Name Ninja
性別:
非公開

カテゴリー

P R