辻川慎一つくば便り

アナログな六十路(むそじ)

みなさまお疲れ様です。

学校が春休みになり、朝早く夜遅い私の労働時間の調整のための小学校送迎が入りません。その代わりに、明日はバスの清掃作業の日勤が指示されておりました。

そして、明日私の担当バスを運転する若い後輩が今日は私と一緒に乗っております。まだ、30代くらいで小学生のお子さんがおります。「子どもの遠足の運転をするのが夢なんです。」とおっしゃるステキなパパさんです。


(今朝の日の出は、霧が立ち込めていて幻想的で美しく感じました。)


入社して5ヶ月ほどでしょうか、大型バスで色んなコースを走るので覚える事がたくさんあって大変だと思うのですが、頑張っているので感心して見ておりましたし、その様にお伝えもして来ました。

実際に運転するのを見たのは初めての事です。私の担当バスは、かなり古いタイプでシフトレバーにエアが来ておりませんので慣れないと簡単にギアチェンジができないのです。新しいタイプは、フィンガータッチで指で操作できるくらい軽いのですが、腕を使わないと無理なんですね。

「このタイプは初めてで難しいですね」と難儀しておりました。難儀しながらかなり強引にギアチェンジをするので、やはり入らない。それを見かねて「このバスは、かなり正直なので速度が合っていれば、ギアが入ってくれます。合わないとなかなか入らないのですよ。」ってアドバイスさせて頂きました。「なるほど。」って言ってくれました。

交差点でギアチェンジに気を取られると危ないのです。それも経験して学んで来ましたので、言わせて頂きました。

若い運転士さんの運転を見ながら、あ〜私も力任せで強引だったなって思うのです。

今はバスでも、人でもその特徴を見極めて合わせながらになりましたので、昔の強引さがすっかり陰を潜めてしまいました。

特徴やクセが分かって来ると、それに対応した運転が出来て、スムーズで安全である事も学んで来たのですね。

ようやくバスを乗りこなせる様になって来たんだなって、自分の成長を感じる事ができた次第です。

出来るか出来ないか?出来ないのは格好悪い。とかでなくバスでさえもコミュニケーションをしながら、言う事を聞いてもらっている。そうして、思いが通じて動いてくれると楽しいのです。感謝の気持ちさえ湧きます。

アナログ同士の良いところかも知れません。難なくギアチェンジが出来るタイプだと、あまりそんな事を感じなくて済むのです。楽だけど「対話」しなくても済んでしまいます。


(大好きな菜の花。見に行きたいな〜。こちらは以前筑西市での散歩で撮りました。)


コミュニケーションツールもとても便利になりましたが、その分人との対話より自分が言いたい事を言うだけが増えている様にも思います。めんどくさい相手とは対話しなくても済む訳です。

みんなが、スマホに向っていて実際の人には向き合わない。そうすると、通じ合えた時の喜びも味わえない様に思います。顔や声、その時の場の情景と一緒に記憶されるのですから、大切な記憶や忘れ難い記憶として共有されないと生きているという実感も希薄になる様に思うのです。


(ドイツの薬草酒が実家に残っておりました。ドイツの仲間たちとの忘れ得ぬ記憶がよみがえります。)


私のブログを一緒に泣いたり、笑ったりしながら見てくれている人たちがおります。

どうしてなのかな?って自分でも考えてしまいます。そうしてちょっと気付いた事です。労働組合や政治党派で、信じられないくらい文章を書いて来ましたが、いつも「みなさんへ」って、読んでくれる人や読んで欲しい人と頭の中で対話しながら書いて来たのですね。

本も膨大に読んで来ましたが、本は書いた著者との対話なんですよね。

「読者のみなさん」に向けて書かれているのだけど、読む時には自分に向けて書かれている様に読む訳です。

そして、そうだな〜とか違うんじゃないかとか相手と対話している。だから、会った事の無い人でもとても近くに感じるのだと思います。

言葉を通して心が通い合う事に喜びを感じるのだと思います。

だから、文章を情報としてしか見ない人には分からない様に思います。間違っているか、正しいか。0か1かの2進法の世界で、人も世界も分かるはずがないのだと思います。

人を支えているのは心の世界であり、その記憶なんですもの。記憶は、自分のよりどころ。つまり自分が由って立つ自由の世界だと六十路の私は思うのです。


コメント

プロフィール

HN:
No Name Ninja
性別:
非公開

カテゴリー

P R