辻川慎一つくば便り

心の旅

60才を越えた頃、何十年ぶりかで中学校の同窓会がありました。「森三中」の第三中学校です。

一学年二クラスの小さな中学校でした。小さな中学校で、小学校から一緒なのでみんな幼なじみって言う感じです。私の方は転校生なのでなかなかなじめ無かったのですが、母に「辻川くんは僕が守る」と言ってくれた「ガキ大将」が幹事さん。今も暖かく迎えてくれます。

同窓会で不思議だったのは、男の子の名前は覚えてるのだけど、女の子の名前が思い出せない事でした。やっぱり一緒に遊んだ人だからなのかも知れません。


(ユキヤナギがあちこちで満開です。いよいよ春ですね。)


そんな中で、とてもステキに年を重ねられているなと感じた女性がおりました。

その女性に話しかけられました。
「辻川くん、私の事覚えてる?」と言うので「もちろんです。○○○○さんですね。」とフルネームで言えました。女子バレー部のキャプテンでしたので記憶しておりました。

「良かった〜。私辻川くんの事が好きだったんだよ。分からなかったでしょうけど。」って、想定外の告白を半世紀ぶりくらいに受けたのでございます。

何とお返ししたのか、もはや分かりませんが、中学時代の私は暗くて一人でいるか勉強しているかであまり自分が好きではありませんでした。ましてスポーツで活躍している同級生たちが眩しく思っていましたので、とっても驚きました。

好きって、惹かれると言う心の働きですよね。一体私の何に惹かれていたのかな?って思います。

それから大人になってからも、少なからぬ女性から「告白」(古い表現でしょうか?)を受けたのですが、早くに結婚していましたし、脇目も振らず労働組合や政治党派の運動をしていましたので素通りしてしまいました。

特に女性との感情的やり取りが苦手で、面倒だと受けないで流してしまったのだと思います。

ところが今振り返って考え直して見ますと、人と人との関係って心と心がつながる事に生きる喜びを感じるのですから、人の思いと言うのはちゃんと受け止められるって事が大事だったと反省するのです。

人が惹かれる事を大切にできないから、自分の心、が惹かれる事も大切にできない。そんな関係じゃないかって思い直します。私なんかは、自分が心から惹かれるものや人が分からなくなってしまったのですから。


(息子の一人が死んでしまってから、頼まれた文章を書き終わると酒を浴びる様に飲みながら、ひたすら木を彫っていた時がありました。実家にお地蔵さんが残っておりました。)


息子を失ってから、心のどうしようも無い痛みを感じる様になりました。それまでは、本当には人の心の痛みを分からなかった様に思います。

置き去りにして来た自分の心がどこにあったのかを取り戻す新たな再考の旅が、そこから始まった様に思います。

それは自分の心が本当に惹かれるのは何かって言う事なのかも知れません。

惹かれる心から逃げずに受け入れる。逆に言えば嫌な事は嫌だと言う心もごまかさない。

それは、心に反した「良い人」をやめると言う事でもあります。

私のブログを見て、泣いたり笑ったりして心が救われたと言って下さる人がおります。

きっと心象風景が似ている人なのだと思います。

故郷の姿もどんどん変わり、地震や津波、原発事故でも変わり果てる時代です。そんな時代にも、変わらない故郷が心と心のつながりにはあるのだと思います。

風景の無い心が不安定ならば、心象風景も心のつながりも無い心と言うのは不幸でしか無い様に思います。生きる力が出て来ないのですから。

私が何に惹きつけられるのかを見極めずに、どうして私なんかに惹きつけられて来た人がいるのか?も分からない様に思うのです。

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