辻川慎一つくば便り

青い鳥

痺れる様に寒い夜明け前「辻川さん。朝焼けが綺麗だね!そう感じられるのが大事だよね。」と私に同僚運転士が言いました。

その後、ユダヤ人が600万人殺害された強制収容所から生還した心理学者のフランクルが書いた「夜と霧」を思い出しました。

社会的地位も、財産も、家族も全て奪われ、ガス室に送られる順番を待つ。生存ギリギリの食料で、死体処理の強制労働をさせられる。絶望以外に無い状態の中から生還した人たちはどんな人たちだったのか?

頑強な人たちでは無かった。
絶望が支配する中でも「夕日が美しいな」とかささやかな事に感動できる人。人への思いやりがあり、僅かな食べものを譲ったり、ユーモアで笑わせる事ができる様な人たちだったと言います。

そして、フランクル自身は「きっと帰って来るのを待っている人がいる。」と自分も思い、他者にも言っていた。

記憶なので正確ではありませんが、そんな事を書いていた様に思います。



息子の一人を失い悲嘆の淵にあり、自分が人生の大半を賭けて来た運動から離れ「全てを失った」落ち込んで致命的な失敗をした私に「大変なのは辻川さんだけではない!」と声を荒げてくれた有り難い上司がおりました。


周りの同僚たちから改めてお話しを聞きながら「確かに大変なのは私だけでは無かった。」と分かる様になって来ました。

それぞれが大変な中で、毅然と自分の仕事をやり遂げている。

自分だけが大変な訳ではなかったと言う現実を学びながらの日々です。

そんな中で、自分がどれほど本当に人を思えて来たのか?と思い返します。

仕事への姿勢もですが、まだまだだなと思う日々です。


(日本の青い鳥、オオルリ。)


そんな私の人生は、浦島太郎と言うより、メーテルリンクの「青い鳥」なのかも知れません。

有名なお話しですね。幸せの青い鳥を探しに行ったチルチルとミチル。青い鳥を見つけたと思ったら逃げられてしまった。そして、家に帰ると白かった鳥が青い鳥に変わった。

つまり、幸せと言うのは日常の目の前の小さく見える事にあった。

そんなストーリーだと思います。本当はかなり深いお話しです。

正義や大義を賭けて打ち込んで来た事の中に幸せは無かった。むしろ、人を利用して傷つける関係しか無かった。傷つけても、つけられても平然としてやれる事が強靭な「指導者」の条件だった訳です。

自分の心や身体の悲鳴や頑張りを感じるのではなく、体調が悪い事も弱さとして振り返らなかった。

自然を感じる事も無く、自分自身にも本当には耳を傾けられないのですから、人に心を寄せられるはずもありません。

結果は、「信頼し合う事が大切」と言いながら誰も心から信頼できなくなっていたのです。

そして、幸せの青い鳥は実は目の前の日常にあった。

チルチルとミチルみたいに若く無いので、気づくのが遅かったかも知れませんね。

でも、気付いたら変えて行く。まだ生きていますし、残された時間は、どんどん少なくなっているのですから。



https://youtu.be/s6oopIdQg6Q?si=9tEWgnX2qM2aELnn

なぜかこの歌が、ザ・タイガースの歌で私の中には一番残っています。

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