辻川慎一つくば便り

そんなオヤジに私はなりたい。

バスの運転適性検査の一つです。

ハンドルの左右にスイッチがついている。それから、ブレーキペダルにも。

モニターの〇に青がでたら右のスイッチを、黄色がでたら左スイッチを押し、赤がでたらペダルを踏むというルール。

これを単純にやるのは簡単な訳ですが、さらに警報が鳴った場合には押してはいけないという条件が付き、さらにさて青、黄、赤はいくつでたでしょうか?という検査。

かなりの速度で切り替わるのを短時間でやるのでございます。


(今度担当するバスのハンドルです。)


かなり良い結果がでたのでありますが、妻にそれを話すと「面白い!ボケなくて良いね〜。」と言われました。

こちら真剣だったのですが、考え方を変えて見ると「確かに」と思うのでございます。

マナーの世界から見ると、二つの動作を一緒にする「ながら動作」というのは、落ち着かない印象を与えるので良くないというのが基本なんですが、まあシグナルが出て慌てず、正確に、一つ一つできる事が一動作と考えれば良いのですね。

時間に追われてしまい、脅迫観念にとらわれて、慌ててしまうと結局正確さに欠けてしまう。

そんな検査だったのかも知れません。

時間が無いと焦り、二つも三つも同時にやろうとして失敗して来た私ですので、ずいぶんと変わって来た様にも思います。

性格のせいだとか、年のせいにしてしていれば、結局それで自分の進化は終わりになってしまう。というか、自分自身で終わらせてしまうのですね。



人生でも、働く現場でも、次から次へと問題が起こり、課題が発生します。


例え困難でも、それに向き合って自分自身として引き受けるのか。他者や境遇や「運命」にして嘆いて終わるのか?

結局自分次第なのだと思います。
自分自身の一度きりの人生を、誰かのせいにしてぐちを言いながら終わって行く。

アンパンマンの歌にもある様に「そんなのはイヤだ!」と思います。

今何が大事なのか?優先順位をちゃんと考えながら、ながら動作をやめる。

スマホを見ながら、目の前の人には向き合えない人が増えているみたいです。

スマホで向き合っているのは誰で、一体何なのでしょうね。

とても役立つ情報源でもあり、ツールだとは思いますが、実際を生きている主体は自分自身。

世界や人に興味をもち、五感や第六感で感じなければもったいないと思います。

打ちのめされる事は、あきらめない限り立ち上げる力になる。

打ちのめされた事がないというのは、人としてつまらないし、弱いだけの様に思います。

打ちのめされた人は、他の人の事にも思いを寄せられる様になる。

人を大事に思えない人は、自分も大事にできない。

昨日も試練、今日も何があるかわかりません。

自分が大変なのに、笑顔で人を思える。そんなオヤジに私はなりたい。

時間が来ました。

間もなく発車します!

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