辻川慎一つくば便り

北海道の鉄道を考える。

週末になるとさすがに疲れがたまるみたいです。昨晩の最終乗務は、集中力が途切れてちょっと危ない場面もありました。

いずれにしても事故になれば、取り返しは効かない事を自分に言い聞かせて気持ちを立て直しながら何とか無事に終える事ができました。

人を非難したり、悪く言うのは簡単ですが、それで自分の心が強くなる訳ではありませんね。

例えば、プーチンや金正恩は酷いヤツだと言う。私も思いは同じです。政敵を含めて人を殺す事に容赦がありません。

ところで、やはりその場合にも自分たちは無関係なのか?と考え無ければならないと思う訳です。



JRの後輩が、国鉄労働組合に所属し国鉄分割民営化で国鉄を去った人が、廃線になった「天塩弥生駅」跡地を買い取り、駅舎を再現して民宿をやっている事を教えてくれました。


国鉄を去り、転職し、地方議員も経て地域に貢献して鉄道の歴史を伝えているそうです。

残念ながら体調を崩し闘病中で、営業はしていないとの事ですが、鉄道ファンだけでなく色々な人の交流の場になって来た様です。

人にはそれぞれの生き方と物語があるのですね。

北海道の鉄道は、過酷な地でありましたので、国家主導で作られました。民営化にはなじまない路線なのです。それを無理矢理民営化して、独立させたのですから容赦なくスクラップにして行くしか無い。

つまり廃線の連続と言う訳です。

しかし、その線路一つ一つを切り開くために無茶苦茶な強制労働があった事も一緒に葬り去ろうとしている事も、忘れてはならないと思うのです。



最初は、明治維新政府に反対した政治犯を死ぬまで労働させた。それでも足りないと朝鮮人や中国人を強制的に働かせた。下層の貧しい日本人を「タコ部屋」に隔離して暴力で働かせた。


北海道の冬に腰巻き一枚、ムシロ一枚。死ねば線路脇にそのまま埋められた。橋の工事が難航すれば、橋脚部分に「人柱」として生き埋めにされた。

生贄にする事で自然の怒りを鎮めると言う迷信ですが、その死者が霊になって彷徨うと言うのであちこちに慰霊碑が立っているのです。

天塩弥生駅があった深名線沿線にもある訳です。



線路と一緒に、国家として行った非道を無きものにしようとしてはいないのでしょうか?


一人一人に物語があると言いましたが、物語にもならない無数非業な生と死があって今がある。

人を人とも思わない政治や政策があって戦争に行き着いた。それが歴史の現実だった事を北海道の鉄道の歴史が伝えているのです。


こちらは、私が4歳の頃両親といた広尾線大樹駅の写真です。


広尾線跡にも慰霊碑が残っているとの事です。

つまり、今私たちが「人を人とも思わない政治や政策」を容認する事が、自国の戦争を導く事になるのです。

それを、北海道の鉄道の歴史は教えてくれていると私は思うのです。過去の問題や他国の問題でなく、今を生きる私たちの問題として。


(JRの後輩が、北海道から送ってくれた手紙の消印です。)

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