辻川慎一つくば便り

休養の読書

おはようございます!
また1週間のはじまりでございます。

疲れと凝りが残っていて、昨日は妻を「百均」に連れて行った以外は出掛けませんでした。

家事はそれなりにしましたが、午後は読みたいと思っていた本を読ませて頂きました。


中高校生向けの本ではございますが、資本主義の歴史が食べ物から見ると良く分かる。なるほど~と合点しながら読み切りました。


第二次世界大戦後の世界と日本の変化の激しさが食べ物を通して良く分かりました。

例えば「和食」を売りにしておりますが、そんなものは江戸時代の一般民には無かった。でも、何だか昔から和食を食べて来た様に思われている訳なんですね。

当たり前の様にしている前提が違う。何より食べ物は「商品」として売れなければならなくなった。時給自足の時代とは根本で変わってしまったのですね。

それから、資本主義と言うのは絶えず新たな市場を生み出さないと成長できないので、全てが「金儲けのネタ」になって行く。

なので最大の市場は、人間自身。健康不安を煽り、医者通いをして薬漬けにするのが「儲かる」訳でございます。

老後も金儲けのターゲット。
「オレオレ詐欺」だけでは無いのですね。

まあ、そんな歴史と現在地点が分かる本でございました。

それにしても激しい変化を体験して来た事も分かります。

10年ごとにガラリと変わって来た。
なので10才違うと前提が違うのです。

例えば私の前提は、10才下の妻と違う。言葉の使い方さえ違うので、ぶつかったりする事があります。


(昨晩は、妻作のカレーでございました。ラッキョは、島根県産。私が皮をむいて妻が黒酢に着けたものです。)


私たちが受け取る1日当たりの情報量は、平安時代の人の一生分で、江戸時代の人の1年分だとの話もあります。

どれだけ大変な時代を生きているのでしょうか?

もはや知識があるなんて事に特別の価値は無いそうです。携帯で調べれば直ぐに分かりますからね。

なので、情報を持っているだけでは無く自分の考えを持つ事が重要だとも言われています。

でも、それも自分を「売る」ための方策なんですよね。

売れなくなったら資本主義では役に立たない訳です。

健康な労働年齢の人は会社に売れるけれど、健康な高齢者は儲からない。

食べ物も、人間も、商品化している世界なんですね。

そこんところから考え直さないと、自分も周りの人も見違えてしまう。

そこが、労働力を売る以外に生きられない労働者の人間としての根本的疑問だと思うのでございます。

企業に商品として買われ、企業が提供する商品を選ぶだけが人間なんでしょうか?

人としての主体性無しに、新しい創造なんて産まれ無いのに。

何はともあれ、商品価値の低い私ですし、体を壊して食い物にされない様にしながら今週も頑張ります。

みなさんもご無事でお過ごし下さい。

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