辻川慎一つくば便り

台風の中で思う事

みなさま大雨を降らせた台風の被害は大丈夫でしたか?

私の方は、疲れが溜まったのか足、腰、背中に顔まで全身に張りがあり妻にマッサージをしてもらったり、お風呂に行ってジャクジーをしてみたりと台風とは別の格闘をしておりました。

今朝も昨日ほどではありませんが、重い体なので寝床でストレッチをしながらゆっくりと起き上がった次第です。

その時に、一人暮らしをしている仲間の事を思いました。

毎朝ストレッチをして、足湯をしてから行動を始めると言っておりました。

私には、脇であれやこれやと世話を焼いてくれる人がいるので甘いかも知れないな~と反省する訳です。


(かつてのにぎわいが嘘みたいな土浦の市街にあるパン屋さん。妻が見つけたと言うので行って見ました。「千勝堂」と言うお店でした。)


考えて見ると、無理をしながら目一杯働くと言うのも本当に大切な人を思っての事でなく単なる自己満足では無いのか?

そんな事をふと思いました。

手を抜かないと言う事と目一杯動くと言う事は同じではないよな。

「俺はこんなにやっている。」と言うのと人を思いながら仕事をすると言う事の違いです。

単に自分あるいは自分たちの強調であるのと仲間たちや人を思い生きる事は全然違う訳です。

自分の強調であるなら、人の思いや心はどうでも良い訳ですから。

まさに党派とは、そうして存在して来た。自分の、あるいは自分たちの正しさを強調し違う者は認めない、なので「打倒する」訳です。

「昔の辻川さんは、違う事を言うと打倒されそうな感じでした。」と言ってくれる後輩もおります。

「俺はこんなにやってるじゃないか!」と言うオーラやバリアは、党派の幹部時代に染み付いたものだったと思い直す訳です。

表面的な称賛の中の深い孤独。それが悲しそうで笑っていない目の原因だったのですね。


(「千勝堂」の2階で買ったパンを食べられます。コーヒーが何と120円。パンは、昔ながらの飾らない落ち着いた味です。コーヒーも嫌な味がありません。お客さんもかなりおりました。)


東京圏とは違い、常磐線が止まると代替え路線もバスも無いので帰宅難民が発生します。

出勤については厳格な会社も、帰宅は無責任で労働者任せ。JRの私の後輩たちは、仲間たちの安否確認をした上で帰れない仲間たちに自宅に泊まれば良いと勧めます。

そう言う時の連絡や動きが早い訳です。職業がら鉄道が止まる事に敏感なんですね。

そこにハーレーを駆って北海道を旅している仲間から帯広でバイクが動かなくなったと連絡が入る。

「北海道にまで仲間がいないな。」と言うと、別の仲間から「帯広には、水戸で働いていた◯◯さんがいる。」と知らせが来る。

整備士のライセンスを持つ別の仲間は、「キャブレター式のバイクだから湿気に弱い。晴れれば直るかも知れない。」とのアドバイスもある。

一人一人に「完全」だの「完璧」だのがあるはずが無い。

何かの困難があった時に、相手の事を思い自分ができる事をする。

仲間たちに改めて教えてもらいます。

そこに、40億年の生命の進化の歴史を生きる私たち人間が、もっとも弱い生物でありながら生き抜いて来た根本がある様に思います。仲間としてある事の大事さです。


私の言う事は大げさでしょうか?


何もなければ一人でも良いのかも知れない。

何もないなんて事が無いのが、自然であり世界なんですよね。

関東大震災も、東日本大震災でも、誰かのせいで悪いのは誰か?と言う議論。返す刀は「俺は闘って来た」と言う弁解。

人を仲間と思い手を伸ばす、自分の心に問う、そこが欠如したままで正義のために人を殺しを正当化して来た事をちゃんと考え直す時の様に思うのです。でないと、また繰り返しになる。

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