辻川慎一つくば便り

明かりは見える人が灯す。

みなさま金曜日の週末です。

私の方、午前中は介助人の見習いで午後は研修センターの業務で市役所に行く予定でございます。

あれこれとやっていて、頭の切り替えが効かないのかミスもありダメ出しされたりもいたします。

何かが足りないのか、困ったものです。

ただ以前みたいに、必要以上に落ち込むことは無くなって来た様に思います。

昨日引用した哲学者のデカルトさんはこんな事も言ってました。

「楽観主義者は何もないところに明かりを見るが、なぜ悲観主義者はいつだってその明かりを吹き消そうとするのだろうか?」

「主義者」なんて言うと固っ苦しいですが、考え方や生き方みたいな意味に取れば良いかと思います。

つまり楽観的な考え方の人だと何もないところに明かりを見る。悲観的だとあっても消してしまうんだよ。って事ですよね。


(土浦市の乙戸公園にある水生植物園です。)

バスの中で、シートベルトをしているので動けない小学生に「先生!ダルマさんがころんだやろう!」と言われて8回戦やりました。それから隠れんぼも8回戦。

周りの子まで「ここにいるよ!」と指差して楽しそうに参加します。

「見習い」なので、本当はダメなんだと思うのですが、断われずにやってしまう。

でも、なんでそんな事で盛りあがるのか?と言うと、お互いに想像の中でプレイしているからなんですよね。

空想なんだけど、そこに一緒にいる人には現実なんですよね。


(葉に白が入った「カキツバタ」が咲いてました。)


空想の中に遊ぶって人間の特性の様に思います。

空想をバカにする人は、自動車にも飛行機にも、電車にも乗れないよね。

みんな最初は空想だったのですから。

何だかね。空想や想像の結果である「現実」に対応できる人やお金を儲ける才能のある人だけが人として「上」だとされるなら、人の世界なんてそれまでって感じがしないかな?


(こちらは「ハナショウブ」でございます。)


子供たちだけでなく、大人になっても想像や空想を大事にできると、本当の想定外が起こる。

それ以外の想定外って本当は、想定外じゃない様にも思います。


(こちらは「ハナショウブ」)


私たちは、母親の胎内で35億年分の進化を再現してこの世に誕生し、次の世代を作り誰しも自然に…宇宙に帰る。

「現実」に対応するとか日常生活をちゃんとできるって土台の事だと思うんだけど、そこからさらに色々と想像するのが面白い。


(こちらは「カキツバタ」。何だか「ハナショウブ」との違いがようやく分かって来ました。アヤメだと花に綾目が付いてるのですね。)


しかもね。みんなで想像するのはもっと楽しい。

子供たちと一緒に仕事をしながら(決してあそんではおりませぬ。)、変わらぬ仲間たちとの楽しい日々を思い出す私でございます。明かりは、それが見える者たちで灯すのですよね。

今日の後半戦もメゲずに頑張ります。

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