高校野球
6月にもケガをされた介助人さんの代わりを一週間ほど努めました。
その時相棒になりましたもう一人の介助人さんは、息子さんが野球をやっていたとの事で中学、高校と部活の手助けや応援をやって来たと話されていました。
子どもと一緒になって他の親たちと一緒に支えて来た事を「本当に楽しかった!」と言い切ります。
その時の運転士さんも土浦の高校で野球をやっていたとの事で、盛り上がっておりました。
私の方は、それをニコニコしながら聞いていた訳です。
私の運動はと言いますと、アマレスを2年ほどやったくらいで後は、政治党派の運動と労働組合の運動を40年。
なのでほとんど別世界のお話しなのでございます。

そしましたら、茨城県の土浦日大高校が夏の甲子園で「想定外」の快進撃。
明日の準決勝を迎える事になったのでございます。
何も知らなかったのですが、監督さんの小菅さんと言う方は、茨城県の高校を全国優勝に導いた木内監督の教え子なんですね。
39年前、やはり全くの想定外だった取手二高を率いて、決勝で清原・桑田と言う超高校級の選手を率いていたPL学園を破って全国優勝したのが木内監督。
小菅監督さんは、その時の三塁手だったのですね。
いやー。野球を知らない私でも、その時の奇跡は覚えている訳です。

木内監督がいた常総学院近くの、羽黒山大聖寺「 土浦大師不動尊」では自由に鐘を突く事ができます。
球児たちの健闘を祈願して、私も一突きして来ました。
小菅監督さんは、24時間寝ないで筑波山に登頂する練習など、限界的な状態でどれほど頑張れるかみたいな経験をチームとして経験させて来たとの事。
「限界」でもみんなで励まし合い、支え合いながら「まだやれる!」と言う感覚を共同でつかむって凄い事ですよね。
それは、その人たちにしか分からない感覚の様に思います。
きっと小菅監督さんは、木内監督さんとそう言う経験をしたのかななんて思います。
「私は、木内監督の足元にも及ばない。」としながら、伝承されているのでしょうね。
やっぱり人が引き継がれて行くのですよね。
偉そうに威張ったり、人の足を引っ張って自分を上に置くみたいな気質でなく、全国でも通じる様な人の引き継ぎが茨城の伝統になって行くと良いと思います。
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