辻川慎一つくば便り

雨降りの太鼓

去年11月、工場の送迎バスの「責任者」としてバス会社から派遣されて初めてお会いして、暮れの仕事納めで「来年も宜しくお願いします!」とあいさつした同僚たちが、次々と去って行き、ついに誰もいなくなる事になってしまいました。

それこそ右も左も、トイレの場所も、送迎バスのルートも分からなかったのでとてもお世話になった人たちです。

最後に残った人も去る事になってしまいました。

昔の私ならば、それこそ「腕ずく」で残れる様にしただろうなと思います。

でも、ほとんどが良い結果を生まなかった事も事実でありました。

「天は自ら助ける人を助く」

と言うことわざ通りなのかもしれません。

それでも、昔の様に前面には立てないながらできる限りのサポートはして来ましたし、恩がありますのでとてもがっかりしております。


(今は乗用車を作っていないいすゞの「ベレット」。中学生の時に先生に乗せて頂いて感動した車でした。)


人にはいずれ分かれが来るのですが、ずっと一緒に働けたらと願っていても、いずれできなくなる。

それが分かっているので、できるだけその一瞬一瞬の時間も大切にして礼を尽くして来たつもりです。

でもあまりにも早い1年に満たない別れ。

どうにもならない事がありますね。

永遠に続く事や関係なんて無いのですよね。

でも寂しい。寂しいから抗う。
犬との別れも、子どもの頃なら泣いた。

寂しくない様にするにはどうしたら良いのかな?

(いすゞベレットの後継車ジェミニ。白いクーペタイプに乗っていた頃がありました。117クーペには手が届きませんでしたが、お気に入りでした。)

「あめふりの太鼓」ってどうにもならないという意味のしゃれことばなんですね。雨のため太鼓の革がしめって鳴らないことを、胴鳴らない、どうにもならないとしゃれた表現だそうです。

でも、ほんの短い間にいくつもの仕事をさせてもらい揉めた人もいたのですが、そんな人も「辻川さんがバス運転しているのを見たよ。」と人づてに伝わって来たりします。

私の方はラッシュ時の運転で、張り詰めていてほとんど気が付かないのですが「手を振ったけど、気づかなかったよ。」と言う人もいます。

そんな時には、嬉しく思います。
きっと相手もそうなんですね。
嫌なやつだと思われていたら、手なんか振りませんよね。

がっかりしたり、落ち込んだり、失敗したり、良い年してなかなか上手くなれない私なれどやっぱりバスの運転士になって良かったと思うのです。

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