辻川慎一つくば便り

雨の中の桜

みな様、諸行無常の桜雨。
せっかくなのに残念ですね。


それでも、妻と息子を連れて桜を見て来ました。


こちらは、牛久市にある龍ケ崎市の飛び地で女化(おなばけ)神社の桜でございます。

かなり手が入っていて、綺麗でございました。


1804年には、この神社を拠点にした「牛久助郷一揆」と言う農民による大きな反乱があったそうです。


江戸時代末期に入り、武士の権威が落ちている事を象徴する出来事だったと分析されています。

その後30年程で「天保の大飢饉」になり100万人もの人が餓死する事が起きて、反乱が拡大する中で明治維新が始まって行く事になります。

一揆の頭に選ばれた農民三人は拷問で命を絶たれたとのこと。

頭になると言うのは、本来そう言う大変なリスクと責任ある存在なのだと改めて思いながら、きっとふるさとの桜をもう一度見たいと思ったかも知れないな。なんて想像しました。

そう、戦場に送られてた兵士たちもきっと「もう一度故郷の桜を見たい」と願ったはずですよね。

そう思えば、雨であろうと美しい桜を見れるのは贅沢で幸せな事だと思えます。


私は「頭」に選ばれた時から、仲間たちの怒りや苦しみ、悲しみを自分の思いにして来ました。仲間たちへの理不尽な扱いを許さず、必ず取り返す。それを私の責任にして来ました。


「このオヤジが全部悪い!」と言いながら、私を大切に思ってくれるのは、その強い思いを分かってくれているからだと思います。

残念ながら、それが分からなかった人もいます。

「みんなのために」という言葉を、自分の正当化のために使う人もいるのです。

その虚偽を人の心は見分けるのです。
なので、正当化して人を下に置こうとする人の心は孤独で満たされる事が無いのだと思います。

私は、自分の心の醜い部分と向き合いながら、自分が孤独を感じる原因について考えても来ました。

人の心に葛藤があるのは、人の心とつながるためなのだと思います。無常の中に、永遠を感じる事ができる人間の心の素晴らしい働きではないでしょうか。

自分の正当化は、それを遮断してしまうのです。だから孤独になる。


裁判の判決を国鉄時代からお世話になった大先輩たちに電話して報告し、改めてお礼の言葉を伝えました。


「辻川さんたちへの仕打ちは理不尽だった。みんな良く頑張ったね。みんなは私の誇りだよ。」とJR水戸支社の幹部だった方が言ってくれました。

また労働組合の恩師である方も「新聞を見たよ。労働組合が弱められている中で凄い勝利だよ。みんな良く頑張って来た!誰にも消せない功績だよ。」ととても喜んで頂きました。

もう80才を越えている先輩方ですが、心と心のつながりは、やはり誰にも消せないのだと思います。

本当の勝利は、お金にあるのではなく人の心の勝利。そこにあるのだと私は思います。

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