雨のち晴
昨晩は、苦手な雨の乗務になりました。
とにかく視界が悪くなる上に、路上の水に対向車のライトが乱反射します。道路のラインが見えなくなり、横断歩道を渡る人や自転車を確認するのも困難になります。
そこをバスで走るので、とても怖く、非常に視神経を使います。
そこで油膜取りのスプレーを塗布して構えましたら、やはりかなり違いました。
それでも低速で、気を落ち着けて何とか切り抜けた感じでした。
(庭に咲いたホトトギスと言う山野草です。)
ところが、バス停でベトナム人の若者たちを降車させて「お疲れ様でした。気をつけて。」と一人一人に声をかけていましたら、路線バスが追い越さずにピッタリとくっついている。
そして、最後には脇付けしてにらみつけながら去って行きました。
私の方は「失礼しました。」とバス停を停まる事にハザードを点滅させましたし、邪魔にならない様に気を付けて停車していたのですが、とにかく路線バスの停留所に停めている事が気に入らないらしいのです。
あえてブログに出しませんでしたが、私が元いた大会社の名がついたバスです。
まるで「お前らごときが停まる場所ではない。」と言った感じです。しかし、一体お客様を乗せながらやる事なんでしょうか?
確かそのバス会社では、労働組合も頑張っているはずなんですがイメージがガタ落ちでございました。
そうです。自分が凄い訳でも無いのに、大きな会社や組織にいると自分まで他の人より上にいると思っている。
同じ人であり、労働者であるなんて思わなくなってしまう。そして多くの人に反感を買う。
その結果は?
困った時には、助けてもらえるどころか「ざまーみろ」と思われる。
昔の国鉄がそうだった。労働組合も。
倒産する前の関東鉄道の運転士さんたちも、他社のドライバーを卑下していたと古いドライバーさんたちから聞いた事があります。
そう、そして今の自民党も似ていますね。
(「ジュズサンゴ」赤い実を潰すと小さな種があります。その汁は手に付くとなかなか落ちません。染料に使われたそうです。)
大きな、強い組織に属していれば、自分も偉い?
そうしてみんなで増長した結果を、私たちはたくさん見て来ました。
そして、そんなものが通用しない時代になっている。時代が変わったと言うのは、そう言う人々の意識の変化にあると思っています。
働く人の意識が、昔のまんまであると言う事は、その会社、その組織のトップやリーダーの責任なんですね。
もっともらしい事を言いながら、実は儲けや採算、そして自分の事しか考えていない組織の在り方は、現場で働く人の意識も規定してしまうのだと、私は思います。
そう言う組織は、時代の変化から取り残され消えて行く。
逆に日々変化する現場の状況の中で、その時代の主体として生き生きと働く人たちを生み出せる事の中に新しい社会の価値の芽があると見抜ける人たちが大事なのではないでしょうか?
経験豊かな人たちには、どうにも理解できないと思われている若者たち。
でも常識にとらわれない若者たちが、新しい時代を切り開いて来たのは事実だと思います。
「常識」の中に、創造は無いのだと思います。
どうも人付き合いが苦手そうで、あまりあいさつも交わしてくれない若手の新人さんがおります。
それでもその人を見て、あいさつし、一言二言声をかけて来ました。
昨日は、運転研修中のその人から声をかけてくれました。
「色々言われて混乱しています。」と言うので「大丈夫ですよ。焦らない事。慌てない事です。結局やるのは自分なんですから。」
そんなアドバイスをさせて頂きました。
技術的な事は、だんだんと身について来ます。
大事なのは、他の誰かではなくあなた自身しか経験できない事をしているんだと言う事ではないかと思います。
だから貴重なんですよね。
常識や経験を語って、その人の主体性を活かせない時代は終わっている。組織が硬直化していては、若者たちの居場所が無い。
そんな風に思います。
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