辻川慎一つくば便り

都知事選と選民思想

雨が振り、気温が少し下がりました。湿度は高いですが、ちょっとホッとします。

夏休み前は、バス会社の繁忙期です。昨日は、私の会社の取締役が自ら大型バスを運転して工場まで来ました。

手待ち時間にお話しをしました。まだ50才くらいですが、私たちの様に休憩する時間もなく、仕事を取りに行ったり乗務員の配置を指示したり、トラブル対応にも責任を取られております。

「大丈夫ですか?」と心配していつも聞くのですが「おかげ様で身体は頑丈に出来ているので。」と返ってくる人ですが「さすがにこの暑さがこたえます。」と疲れた顔をしていました。

私も、異様に疲れるので「年のせいかな〜?」なんて思っていましたが、みなさん疲れるのは同じなんだと改めて思った次第です。

会社の運営に実際責任を取られている人は、高卒の人です。凄い努力と苦労をして、取締役になっているのですが仕事に厳しくはあっても偉そうではありません。

顧客目線で、仕事をしているからでしょうか?

この会社の安定をこのリーダーたちが生み出していると感じます。

業界新参者である私は、とても同じ事は出来ないな~といつも思います。

初期的には厳しい事も言われましたが「私たちの立場を分かってくれる人がいるのは助かります。」と言って頂ける様になりました。私の事もだんだんと理解してもらえている様です。

お互いに、過去や現在にあぐらをかいて安住しているなら理解できない事かと思います。

お互いに人としては、フェアでなければならないと改めて思います。


(わが家の自然観察。キュウリの根元に潜り込む綺麗な虫がおりました。アオドウガネと言う虫で、農作物の害虫なんですね。)


「私を最後にするために」と言う本を少しづつ読み始めています。

イラクのフセイン政権をアメリカを中心にする軍隊が倒したあと、イラクがどんな状態になったかが怖いほど明らかにされています。ISが台頭し、少数宗教の人たちが殺戮され、女性たちが性暴力を受けた事が、被害を受けた女性が書いています。

読んでいて、心が重く沈んで来ます。人間である事が嫌になって来ます。

どうしてこんな残虐な事ができるのか?

そして、見えて来た事もあります。

「神に選ばれし者」だと思う人たちは、他の宗教や国家に属する人たちにどこまでも残虐になれる。

かつての日本も、天皇を神とする神国の民として、他国の人に残虐である事を正当化しました。

自分こそ。自分たちこそ。
ムスリムの各宗派も、キリスト教徒の各宗派も、ユダヤ教もまたそれぞれが「神に選ばれし者」として「邪教」の者に徹底的に残虐になる。相手は、人では無くなるからです。

宗派だけで無く、信じる思想の違いでも殺害を正当化して来ましたので、自分たちが選ばれし者と言う考え方は同じなんですね。

それを選民思想と言います。
自分はエリートだと言う考え方も、実は同じです。

優生思想と言うのもそれと一体なのだと思います。自分たちは、優秀な命であり、他は劣った命だから消えるべきだ。と言う考え方です。


(黄金虫がいればツチバチもいる。黄金虫に寄生するハチなんですね。怖いですが人間に取っては「益虫」と言う事になる訳です。)


「選民意識とは自分たちは選ばれた特別な存在であり、他者を選ばれなかった存在として一方的に見下したり卑しい存在として排除しようとしたりする思想のことです。選民意識には根拠がなく、自分たちの都合のいいように物事を解釈して他者に対して攻撃的、排他的になるという特徴があります。」

さて、都知事選で攻撃し合った候補者たちにそんな選民思想(意識)を感じないでしょうか?


日本の教育改革自体がエリート(選民)を育成し、その他には従順な意識を持たせれば良いと言う考え方でした。

そう言う人が無自覚にたくさん出て来て、ぶつかり合うのは当たり前の様に思います。どちらがエリートか?の争いです。

他国の悲惨さに同情して、上から見ている場合では無いと思います。

選民思想や意識と私たちは、本当に無縁でしょうか?

私たちは、個人として、人を人として尊重する。

それが根本から問われている時代の様に思います。

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