道を求めて
昨晩、出だしの道路が思ったより混雑しておらず、今日は順調だなと思っていましたら「学園西大通り」と言う幹線で事故があり大渋滞しておりました。
みなさんが急ぐラッシュ時間帯には、交通事故が多くなります。結果、当該の人はもちろんですが、多くの人もまた一層時間がかかり、疲れる事になります。
私の方も、より一層気をつけながら夕方3便を大渋滞の中で目一杯走り続ける事になりました。
帰宅して、妻の話しを聞く事もほとんど出来ずにダウン。
今朝も何だか調子が良くない。バスを運転しても、何だかスムーズに行かない。まあ、技量がまだまだと言う事もあるのですが、いつも木曜日と言うのは何だか疲れが出るのかも知れません。
そう思うと、私だけでなく工場で働く人たちをお迎えしていて、何となく元気がございません。
働く人たちは、みんな同じ様に思います。
なので、調子が出なくても、やはりなるべく安全に、そして快適に乗って頂きたいと思うのです。
それが、私の仕事ですから。
(土浦市上高津公園の「コナラ」の紅葉です。)
時間があると少しずつ読んでいる「代表的日本人」と言う本ですが、中江藤樹と言う江戸時代前期の学者さんのところに進みました。
学者さんと言っても、名も、地位も、名誉も求める事なく村の人たちに教えて来た先生でございました。
その先生が「道と法と言うのは別である。」と言う。法と言うのは時代によって変わって行くのだが、道と言うのは永遠の初めからあるものだ。」と言う。「なぜなら人間が出現する前に、宇宙には道があった。例え天地が無に帰しても、それは残り続ける。」と説いたのでございます。
昨日取り上げた二宮尊徳も「自然には道がある。自然の道を探し出すことだ。」と言いました。
変わり続ける人間の時代や社会、そして法にすら左右されないのが「道」であると言う訳です。
(13000年前から約10000年続いたと言う縄文時代。もちろん電気もなく、冬の夜は真っ暗だったと思いますが、満天の星や月の見え方は全然違っていたでしょうね。宇宙船で行かなくても、宇宙と自然を今よりずーっと近くで感じていたのかも知れません。)
なるほど、私たちは激変する時代や情報化社会の中で、孤独化して今までと違う不安の中にあります。
変わる法(ルール)を作った者勝ち。その中でお金と地位を得た者勝ち。
そんな事で揺るがせない、人としての道がある。それは宇宙の道であり、自然の中にある道なんだよ。
あれやこれやのニュースやネット記事に振り回されて、何が大切なんたがわからなくなってしまいます。
しかし、時代が変わろうと変わらない事がある。自分自身がそこに立って生きるかどうかなんですよ。
そんな大切な事を教えてくれている様に感じます。
大河の一滴ながら、私たちはお互いに宇宙と自然から生み出された奇跡の様な存在である事を、時には思い出せると人への接し方も変わるかも知れませんね。
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